昨日の午後、つくば市内の宝篋山461メートルに日だまりハイクに出かけました。
ルートはこちらです。
山口コース1のルート
主要ポイントのGPS位置情報は、その写真の説明に書き込んで有ります。
臨時駐車場 北緯36°10′39.12″ 東経140°06′46.42″
ここに車を駐めて、出口から左に行きます。
右に金網で囲まれた山口の第一給水所を見ながら登山口を目指します。
(ここは直進)
右に宝篋山を見ながら田んぼの間を道なりに進みます。
早くも畦にオオイヌノフグリの花が咲き出しています。
登山口 北緯36°10′37.98″ 東経140°07′03.64″
ここが山口コース1の登山口です。
石垣の前から右に入ります。二軒目の人家を過ぎると、後は竹林と桧の林になります。
竹林
フォレストクラブが伐採整備中の林
涼やかな清流の音を聞きながら登ります。
昼でも薄暗い桧林を進む。
山口2コース分岐 北緯36°10′21.49″ 東経140°07′16.26″
山口2コースへの連絡路の分岐です。ここは左に行きます
えぐれた道には落ち葉がたまり、心地よい感触が楽しめます。
静かな杉林の山腹の道を歩き
小さな谷川を渡ると、そこがこのコースの中間点となります。
頂上にも山口にも、それぞれ1.7キロと表示されている。
中間点 北緯36°10′17.58″ 東経140°07′27.08″
しばらく登って再び桧林に入り突き当たったら左の斜面を登っていきます。
登って林道に出たら、左に進みます。
やがてこのコースに有る水場「宝篋名水」に出ます。
北緯36°10′20.81″ 東経140°07′31.35″
その先には、手入れされて日当たりの良くなった道があり、スミレの多い所になります。
冬の天気の良い日には富士山が見えたりする。
ベンチの有る曲がり角付近には、クサボケの蕾がついていました。
そしてたった一輪、タチツボスミレも咲いていました。
宝篋山では、3月から4月初めにかけて、11種のスミレが観察出来ます。
再び桧林の間を上り詰めると
左に万博の森に入る階段があり、そこから中にはいると
(中に入らずそのまま歩いても出口で合流するが)
朝日新聞社が全国から寄付を集めて植樹した万博の森のモニュメントが建っています。
北緯36°10′17.17″ 東経140°07′40.65″
展望は無いが、ベンチがあり廻りが林なので風も吹き抜けないから一休みにはもってこい
銅板に刻まれた趣意書
県別に寄付者4万人余の名前が刻まれています。これは東京都の部分
万博の森を抜けると、すぐに分岐が有り、右の尾根を登っていくと400メートルで山頂につく。
青木の多い山道を登っていくと
いきなり窪地に出るが、それが昔ここが小田氏の山城(砦)があり、それを守る空堀の跡だという。
堀を掘って山頂側に掻き上げて、急斜面の山にして防御を固めた名残である。
それ故、登山道も急坂を登る。
この山の各登山コースには、樹木に名札が多数つけられているが、フォレストクラブの
会員が、自腹で材料をそろえてつけてくれたものである。
各樹木に負荷を掛けないように、ヒモの一部がゴム製になっている。
宝篋山461メートルの山頂に有る「宝篋印塔」、この山の山名の由来になっている史跡である。
地元の人は、通称「小田山」と呼んでいる。
宝篋山の山頂から、筑波山を見ると、霞に包まれてけむっていた。
それも又良い眺めである。
ベンチに座り、ガスでコーヒーを湧かして、しばしゆったりと過ごした。
ルートはこちらです。
山口コース1のルート
主要ポイントのGPS位置情報は、その写真の説明に書き込んで有ります。
臨時駐車場 北緯36°10′39.12″ 東経140°06′46.42″
ここに車を駐めて、出口から左に行きます。
右に金網で囲まれた山口の第一給水所を見ながら登山口を目指します。
(ここは直進)
右に宝篋山を見ながら田んぼの間を道なりに進みます。
早くも畦にオオイヌノフグリの花が咲き出しています。
登山口 北緯36°10′37.98″ 東経140°07′03.64″
ここが山口コース1の登山口です。
石垣の前から右に入ります。二軒目の人家を過ぎると、後は竹林と桧の林になります。
竹林
フォレストクラブが伐採整備中の林
涼やかな清流の音を聞きながら登ります。
昼でも薄暗い桧林を進む。
山口2コース分岐 北緯36°10′21.49″ 東経140°07′16.26″
山口2コースへの連絡路の分岐です。ここは左に行きます
えぐれた道には落ち葉がたまり、心地よい感触が楽しめます。
静かな杉林の山腹の道を歩き
小さな谷川を渡ると、そこがこのコースの中間点となります。
頂上にも山口にも、それぞれ1.7キロと表示されている。
中間点 北緯36°10′17.58″ 東経140°07′27.08″
しばらく登って再び桧林に入り突き当たったら左の斜面を登っていきます。
登って林道に出たら、左に進みます。
やがてこのコースに有る水場「宝篋名水」に出ます。
北緯36°10′20.81″ 東経140°07′31.35″
その先には、手入れされて日当たりの良くなった道があり、スミレの多い所になります。
冬の天気の良い日には富士山が見えたりする。
ベンチの有る曲がり角付近には、クサボケの蕾がついていました。
そしてたった一輪、タチツボスミレも咲いていました。
宝篋山では、3月から4月初めにかけて、11種のスミレが観察出来ます。
再び桧林の間を上り詰めると
左に万博の森に入る階段があり、そこから中にはいると
(中に入らずそのまま歩いても出口で合流するが)
朝日新聞社が全国から寄付を集めて植樹した万博の森のモニュメントが建っています。
北緯36°10′17.17″ 東経140°07′40.65″
展望は無いが、ベンチがあり廻りが林なので風も吹き抜けないから一休みにはもってこい
銅板に刻まれた趣意書
県別に寄付者4万人余の名前が刻まれています。これは東京都の部分
万博の森を抜けると、すぐに分岐が有り、右の尾根を登っていくと400メートルで山頂につく。
青木の多い山道を登っていくと
いきなり窪地に出るが、それが昔ここが小田氏の山城(砦)があり、それを守る空堀の跡だという。
堀を掘って山頂側に掻き上げて、急斜面の山にして防御を固めた名残である。
それ故、登山道も急坂を登る。
この山の各登山コースには、樹木に名札が多数つけられているが、フォレストクラブの
会員が、自腹で材料をそろえてつけてくれたものである。
各樹木に負荷を掛けないように、ヒモの一部がゴム製になっている。
宝篋山461メートルの山頂に有る「宝篋印塔」、この山の山名の由来になっている史跡である。
地元の人は、通称「小田山」と呼んでいる。
宝篋山の山頂から、筑波山を見ると、霞に包まれてけむっていた。
それも又良い眺めである。
ベンチに座り、ガスでコーヒーを湧かして、しばしゆったりと過ごした。
万博が開かれたのは1985年3月17日からでしたので、もう25年もたってしまいましたね。
あの頃すでに、自然に関心を持っていたのですね。素晴らしいです。
確かに万博関連の記念碑としては、判りにくい場所かも知れませんね。
お役に立てて嬉しいです。
万博開催当時小学生だった私は、クラス全員で植林の寄付をしました。10年ほど前一度記念碑を探したのですが見つからず何処にいってしまったのだろうと思っていました。
このブログをみて記念碑を見に行こうと思っています。ありがとうございました。
初めまして、コメントありがとうこざいました。
またブログでここの記事をご紹介していただき、感謝いたします。
あの万博の前に、つくばに引っ越して来たので、万博は懐かしい思い出です。