ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

“かくれんぼ” ブリュー・ミュージアムショップ 佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年11月04日 19時55分17秒 | owarai
【コラム:】
昔の知り合いに、夕暮れ時の公園で、
子供をぶらんこに乗せて遊ばせて
いる若い母親を見ると、すごく色気
を感じると言っていた男がいた。

何で夕暮れなんだ、何で子供を遊ば
せているお母さんなんだ、と尋ねる
と、上手く説明できないけれど、
気配じゃないかと、という答えが
返ってきた。

彼の説明だと、夕暮れ時は、太陽が
闇に呑み込まれる直前に、自らの
エネルギーを宇宙に放出し、それを
気配に変える一瞬であり、幼い子供
を見守る母親は、子を想う心が体か
ら溢れ出し、愛情が慈しみにが、

気配となって母親の姿を包み込むの
だという。それらの気配がぶらんこ
の揺れと一緒にそよぎ、辺りの空気
を心地良く、艶かしいものにするの
だそうだ。

珈琲を飲みながらの何気ない会話だ
ったが、妙に私の心に残った。

人はセクシーとか色っぽいとかいう
言葉を、ともすると特別なシチュエー
ションのもとに置きたがる。でも案外、
エロスはさり気ない日常の中に潜んで
いて、私たちが心の耳を澄ませば、

どんな瞬間でも感じ取れるものではな
いかという気がする、エロスは悪戯
好きな子供のよう、隠れんぼが好き
なのだ。

追いかけると逃げるけれど、何気な
く辺りを見廻すと、ふとまた目に
つくのである。

私の好みでいえば、一生懸命生きてい
る人や、何かに集中している人の姿に、
色っぽさを感じることが多い。

昔の知人が言っていた“気配”とは、
花における香りのようなもので、一心
に、そして無心に咲いて、

自然に漂うものなのかな、とも思う。



60体のビスクドールを展示

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業121年』


『進歩のない”くらべっこ”をいつまで続けるのか』 ブリュー・ミュージアムショップ 佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年11月04日 16時26分15秒 | owarai
【コラム:】


私たちが何かを認識するため
には、違いのある相対する現象
が必要です。

善悪、良否、名案、優秀、好き嫌い
、貧富、長短、自他、、できるでき
ない・・・すべてそうです。

現在の教育や評価の中で最も問題
なのは、この相対比較だと思います。

決められた知識の獲得は早かった
り、物知りであることが「優」で、
知らないことが「劣」になるので
しょうか?

自分が頭の良いと思っている人も、
極端な言い方をすれば、周りの記
憶力の悪い人たちのお陰で、頭の
良い人でいられるわけです。

優劣も、できるできないも、比較
の中でしか成立しないものです。
そんなものに価値をつけても意味
がないのです。

相対比較の世界では、自分を磨く
よりも相手を引きずり降ろした
ほうが楽なので、醜い事件がよく
起こります。学校や職場でもよく
見かけます。

本当に大切なことは、自分独自
の存在価値を知り、それを磨き
続けることなのです。

その手助けをするのが教育だと
思います。その歳に大切なこと
はその人自信が成長したか否か
を評価する絶対評価の目です。
60体のビスクドールを展示

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業121年』


「幅一尺」は広いか、狭いか :ブリュー・ミュージアムショップ 佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年11月04日 12時30分46秒 | owarai
【コラム:】
荘子の言葉に、「小さい浅い谷川に
小さな橋が架かっている。これは
安心して渡れる足幅があればよい。
これが“有用の用”である。

しかし、深い谷間に架かる橋は
そうではない。足幅の何倍もの
幅がなければ危なくて安心して
渡れるものではない。

この余分の幅が“無用の用”で
ある」という教えがあります。
この言葉の解釈は、各人によ
って違います。

大きな仕事や良い仕事をするに
は、単なる専門知識や能力だけ
でなく、人間の幅がものを言う
のだという意味に取る人もいます。

剣豪宮本武蔵は、「幅一尺の板を
渡したとき、低いところなら誰で
も渡れるが、天守閣の間に渡した
ら渡れなくなる」と言い、

日頃の不動心の鍛錬が肝要だと
説いています。

私は、二つとも大切だと思います。
日頃から基礎を鍛錬することに
よって自信を養う。

ここぞというときにその力を遺憾
なく発揮するためには心の習練を
行っておく。

仕事だけでなく人間の幅を広くする
ことが、その人の魅力を増します。



60体のビスクドールを展示

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業121年』


「掌」たなごころ :ブリュー・ミュージアムショップ 佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年11月04日 04時55分18秒 | owarai
【コラム:】
“あなたがわたしの頭をなでると
とてもくすぐったい気分になって
つい口元がゆるんでしまう
あんなにふくれていたのにね“

優しく触れるもう一つの“心”

手のひらのことを「たなごころ」と
いう場合、そこには“手の心”と
いう意味が含まれているといわれ
ます。

人に優しく触れたりものを受け
取ったりするとき、手に心があ
ると感じられたでしょう。

「掌中の珠」は最も大切にして
いるもの、最愛の子供をさします。
「掌を指す」は明白で、疑問が
まったくないということ。

夏目漱石の小説『こころ』の
一節には「掌が翻ったように」
(手のひらを返したように)と
いう使われ方をしています。

どれも、心のうちを表している
言葉として「掌」です。
あらためて自分の「たなごころ」
を見つめたくなりますね。


60体のビスクドールを展示

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業121年』