ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

『コスモス』 秋 桜 

2017年09月03日 19時35分55秒 | owarai
「傷つけ合うばかりの恋に
区切りをつけた帰り道

雨上がりの遊歩道に秋桜が
揺れていた

優しく可憐に でもしたた
かに

わたしも強くなれるだろうか

大事なものを抱きしめすぎな


強さを心に もてるだろうか



恋の魔力が忍び込む

2017年09月03日 19時29分02秒 | owarai
人間関係、とりわけ『恋愛』に
人は思い悩むものである。

好きになった時、気持ちを相手
に伝える時、失恋した時、別れ
の時。そして想いが通じ合って
いる二人でも悩みはつきない。

「どうやって“好き”という
気持ちを伝えよう」
「ふられたらどうしよう」

「あの人には、別に想う人が
いるのではないか」

「ほかに想う人ができちゃっ
たけれども、どう別れを切り
出そうか」・・・

こと恋愛に限らずとも、ただ
でさえ人間同士のつきあいは
難しい。ましてや一対一の
恋愛関係においては、感情が
入り乱れるうえ、

性別の違いもあるし、相手に
よって状況が違ってくるのだ
から、普通の人間関係より悩
ましいのも当然といえるだろ
う。

シェイクスピアが「恋が平穏
無事に進んだためしはない」
と言うように、古今東西の
哲学者や作家、詩人など知性
ある人も、

その難しさや悩ましさでは
なぜ人は恋愛に生きるのか
―――。

多くの賢人や恋愛の達人が
言うように恋は人間の活力
であり、愛は人生の光なの
である。

ラブレターを書くには、
まず何を言おうとしている
のか考えずに書きはじめる
こと。

そして、何を書いたのかを
知ろうとせずに
書き終わらなければならない。
ジャン=ジャック・ルソー

フランス女性は
裏切られたらライバルを
殺す。

イタリア女性は、
だました男の方を殺す。

イギリス女性は
黙って関係を断つ。

だが、みんな別の男に
慰めを見いだす。
/シャルル・ボワイエ

美しい唇である為には、
美しい言葉を使いなさい。

美しい瞳である為には、
他人の美点を探しなさい。
/オードリー・ヘップバーン



本物の恋だから

2017年09月03日 08時32分29秒 | owarai
男と女がある時ふと出逢う。

一瞬相手の存在に釘づけになる
ような、躰がぐらりと揺れるよ
うな、そんな驚きが体内を駆け

抜ける。二人に言葉もなく、
右と左に別れる。

が、そのまま永久に相手を見失
ってしまうかと思うと恐ろしい。

まだ一度たりともその相手を
所有したことがないというのに、
失うことが怖いのだ。

それが恋の始まりなのである。

恋する二人なら、当然、結ば
れたい。ひとつになりたい。

せつないまでに好きあってい
るのに、なぜかそれが出来ない。

相手も自分も結婚しているから
ではない。あまりにも愛しすぎ
て、怖いからだ。

今どき、珍しいような男女だ。
男と女が好きあって、二人の
間に何もないことの方を、警戒
するべきだ。

それこそ本物の恋だから。


『時は詩人』

2017年09月03日 06時28分18秒 | owarai
時は詩人である。皆さまは、
何を言っているのだろうと、と
首を傾げられるかもしれない。

しかし、詩人とは言葉の網で時
を生け捕りにする魚師みたいな
ものなので、多少の脈絡のなさは
お許し頂きたい。

そう、魚師である詩人は、文字を
打ち込むキーボードのキーに、
“今”という魚を、ピカピカ光る
鮮魚のまま封じ込めることにやっ
きとなる。

銀色の刃物のような尾びれや背鰭
と格闘しながら、命懸けにもなる。

また深い海に潜り“過去”という
名の美しい巻貝を盗むのに余地が
ない。

未来は波間に漂う深緑色の藻だ。
それを網で掬い上げ、先取りする
ことに懸命になる。

大海に生きる回遊魚のような人
の一生を見つめて、その生き様
を書き記す。

恋の歌を書いても、人生の喜び
や悲しみを綴ったとしても、そ
れは時を描くことに他ならない。

一瞬たりとも留まることのない
のも、消え去り、流れ去ってゆ
くものを追いかける作業。

今日もどこかで、時の狭間に迷い
込んだ詩人が、難破船で独り言
を呟いている。

所詮、勝目はないのだ。詩人が
どんなに頑張ったて、時の方が
ずっとずっと詩人なのだから。



「かなしみ」

2017年09月03日 06時09分12秒 | owarai

あの青い空の波の音が聞こえる
あたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
過失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

/ 谷川俊太郎 初期の作品
昭和二十七年
『二十億光年の孤独』から。

小中学校の教材でもある。
膨大な宇宙の片隅に住むぼく、
時代の変化の中に埋没しながら、
少しずつ変わっていく感覚、

失った大切なものあなたに
もありませんか。




『彼を好きになって、新しい自分を発見する』

2017年09月03日 02時57分05秒 | owarai
誰かを好きになるということ
は、新しい自分を発見する
こと。

ヒトを好きになると、驚くこと
だらけだと思う。

相手に対して新しい面を発見する
だけではなく、今まで知らなかった
自分と出会っていく驚きだ。

相手とつき合っていく中で、結局、
相手というのは自分の鏡になって
いく。

人生のあらゆることが、結局、自分を
見つけていくプロセス。

なぜ好きになったかとうことは、
本当はづでもいい。

好きになって、何を発見したかという
ことのほうが大事。

ぼくの内側にいるもう一人の僕は、
あなただったのかもしれない





『一日一回さわる』

2017年09月03日 02時17分30秒 | owarai

ものをいつくしみ、自分をいつく
しむ。これは毎日の暮らしをいつ
くしむということだと思うのです。

いつくしむ方法は、一日一回、さわ
ること。ごく単純ですが、とても
大きなことだと思います。

たとえばウチでは、商社時代、欧米
の仕事から趣味で集めたビスクドー
ルのジュモーやブリュー他50体を
無料で紹介しているのですが、

毎日、配置換えをしスタンドの安定
性を確かめるため触ってあげます。

平均身長68CMで、結構重い子
もいます。

まったく変りがなくきれいなまま
でも、さわるとさわらないとでは
大きな差が出てきます。

さわったことで、あたかも命の
吐息がふきかかったごとく、その
ものがすこし元気になるのです。

逆に言えば、誰にもふれられず
置き去りにされたものは、

やがて生気を失います。
さわるとまた、点検でもあります。

自分の手足や髪といった細部も、
ものと同じように一日一回はきち
んとさわり、点検し、すこやかか
どうか確かめましょう。

大切なものにふれる暇もなく終る
日々が連なるとは、大切なものを
ぼろぼろと取りこぼしていく日々
が積み重なることでもあります。

大切なものにさわり、あいさつを
しましょう。明日のために、今日
もていねいな「おやすみなさい」
と言えるように。

〇ここ一年、さわっていないもの
があったら、断捨離を考えてみま
しょう。

〇夜ねむる前、足にクリームを
つけてマッサージ。「今日もあり
がとう」と声をかけて。






『ユーモアについて』

2017年09月03日 02時14分27秒 | owarai
「月見座頭」という狂言がある。
谷崎潤一郎や永井龍夫が小説に
書いているので、ご存じの方も
いると思うが、

概略だけを書いておくと、
ある月のいい晩に盲目の男が月見
に出かける。

目が見えないのだから、月なんか
見えはしないのだが、月夜の静けさ
とか虫の声などは、敏感な盲人の
心には、もしかすると常人より

はるかに身にしみる風景として
感じられるに違いない。

彼はその気分をたのしみつつ、
手酌でちびちびやっていると、そ
こへ下京(しもぎょう)の男が
現われる。

盲人が月見をしているのを見て、
これはまた風流なことだと感心し、
いっしょに月見をしようと、持参
の酒肴をともに飲んだり食ったり
し、はては舞い歌いなどして大い
にたのしむ。

やがて、夜も更けたので、下京の
男は名残を惜しみつつ帰って行った
が、途中まで来て、このまま帰った
のでは面白くない、今度はあいつを
なぶってやろうと、先の盲人のところ
へ行き、
さんんざんに打ったり叩いたりした
あげく、いい気持になって家路を
辿った。

「やれやれ、とんだ災難に出会った。
はじめに来た男は親切に付きあって
くれたが、二度目の奴にはひどい目に
会った。

同じ人間でも違うものだなあ」

と、盲人は感慨にふけりクシャミを
一つして去って行った。同じ人間
どころか、まったく同一人物で
あったところがとてもおかしい。

だからといって、私はお説教をする
つもりはない。誰の中にも二つの相
反するものが住んでいる。

盲人を笑うのは悪いことだが、時に
は私たちも盲人同様目をくらまされ
ていることが多いのではないか。

「月見座頭」とはあんた達のことだ
よ、と舞台の上からいっているよう
に聞こえなくもない。

ユーモアとはそうしたものである。

それは心の余裕であり、他人の身
になって考えられることをいう。

それにつけても、日本語にはめくら
という古来のいい言葉
があるのに、禁句になっているとは、
何ともユーモアに欠ける国民であるこ
とか。

身体障害者といえば、差別したこと
にならないと信じているのだろうか。