こんなに好きなのに、
どうして好きなだけでは
いられないのでしょう。
恋しさは寂しさによく似て
いて、
逢いたい想いも淋しさに
似ていて、
あなたひとりを見つめていた
くて、
愛する人をひとりじめにしたく
なって。
やがて淋しさからやきもちが
生まれて。
そんな恋の渦巻きに巻きこまれ
そうなとき、
やきもちなんて知らないよ、
と、見上げた空の青さがなんだ
か悲しい。
どんな花を活けても、しっくり
くる花瓶というのがある。
シンプルでなんの変哲もないも
のだけれど、かえってそれが花
をひきたてる。
かと思うと、花瓶それでい、と
いうようなものもある。花の器
としてではなく、自分がオブジェ
として主張しているような花瓶。
”正月の花は終わりて壺は
壺の本質となり木箱に帰る“
私の本質は、花を活けられる
ことではない、と壺自身が思って
いる・・・・そんな自己主張
タイプの壺だ。
プライドの高い壺、といって
もいい。
正月の特別期間中のサービス
として、壺は花瓶の役割を果
たしていた。
正月気分から日常生活へと
帰る、われわれ人間の切り替え
地点でもある。
水を求め森をさまよう
小羊のまなざしで今君を見つめる
YouTube
Swing Out Sister -- Who's Been Sleeping
https://www.youtube.com/watch?v=ewpJ3zOJWV4
愛する気持ちと憎む気持
ちが裏腹で
あることに気づいたのは
いつのことだったでしょ
うか。
自分が愛する気持ちと同
じくらい愛してほしいと
願い、かなえられなかっ
たときの絶望感。
それは憎しみにすり替
えられていくのです。
そして同時に、愛するこ
との孤独を感じずにはい
られない。愛しあうのは
ふたりの作業でも、愛す
るというのは自分だけの
心の中での作業。
ふたりでいても孤独なこ
とはあるのです。
孤独は心を強くする、淋
しさにまかせても誰でも
いいから誰かと一緒にい
たいと望むのか、孤独に
よって自分の弱さを見つめ、
心を磨き、本当の恋をつか
んでいくのか。淋しさを
味わうことも恋の一部なん
かもしれません。
『嫌われ者になる覚悟は
できているか』
優等生でいようとするから
疲れるのだ。他人が何と言
おうがかまわない。
嫌われてもいい。自分はこれ
がやりたいんだ、と考えれば
楽になる。心配しなくても、
好かれる嫌われるかは、気配
りの多い少ないではないのだ。
いくら気配りしても嫌われる
人は嫌われるし、気配りなん
かしなくても、好かれる人は
好かれるのだ。
嫌われないようにしようとす
る努力すること自体、人間
関係に不自然な力が作用する
ことになる。
一度嫌われ者になってごらん。
こんなに気持ちのいいことは
ないのだから。
黄昏どきはなぜ人を淋しく
させるのでしょう。
昼と夜が溶けあう微妙な時
間。夕焼け空がやがて青い
闇に覆われていく様子を見
ていると、忘れていた想い出
がよみがえったり、
今、ここにひとりでいるこ
とが心に迫ってくるもので
す。誰かと一緒ではないと
いう所在なさに、途方に暮
れてしまうのかもしれませ
ん。
不思議なもので、黄昏どき
というのは恋人がいてもい
なくても、人をうら淋しい
気持にさせるものです。
そう、ずいぶんと昔の話。
秋になり日が短くなる頃、
何かは淋しさを呼びお越
し、せつなさの琴線を弾
きました。
黄昏ていく世界の中で、
自分はいったい何なのだ
ろう・・・・。
愛する人と自分うを重ね
合わせながら、長い夜を
連れてくる黄昏の紫いろ
に包まれたものでした。
そんな気持ちになるのは、
誰かを思っているからな
のです。
勢いがある時、その人は強烈
なオーラを放っている。元気
がなくなると、その人のオー
ラはしぼんでしまう。
目に見えないけれど、初対面
の人に出会った時、何んとな
く凄いなと感じるのは、この
オーラのせいだ。
黙って立っているだけで、強
烈なオーラを発する。
オーラはその人の過去と未来
を表す。これまでどれだけの
修羅場をくぐってきたか。
これから、どれだけ遠くに
行こうとしているか。
身長や体重測定と同じよう
に、オーラの測定を自分で
してみることだ。
3歳の誕生日に、
「大きくなったねぇ、
あっというまにお嫁に
いっちゃうかな」と
お母さんがつぶやくと、
「だいじょうぶ、
すぐ帰ってくるから」
「うっ・・・・・・・。」