彼に似た人にまた会いまた惑う
恋の神さまはいたずらが好き
YouTube
John Coltrane - On Green Dolphin Street (LIVE, 1960)
https://www.youtube.com/watch?v=ePScRElDHOY
一人の罪人が、地獄で
「お前に三つの部屋を用意
してある。一つ選んで
そこで罪の償いをしろ」とい
われ、部屋を見た。
一番目は大蛇の部屋。
たくさんの毒蛇がいてとっても
無理。
二番目は「あまちゃん」の刑。
海女さんになって海で貝を
取るのだが、足に重石をつけ
られ、これでは息もできない。
三番目の部屋を見ると、もの
すごいにおい。なんと、コエダ
メになっていたが、ここには
大勢人がいた。
首から上がコエダメから出て
いるだけだが、みんなのんき
そうにタバコまで吸っている。
タバコ好きなその罪びとは、
慣れれば臭いなんでガマン
できると思い、
迷わず三番目の部屋を選んだ。
さて、自分も首までコエダメに
つかってタバコに火をつけようと
すると、見張り番が来て、
「さぁ、休憩は終わり。
みんな沈んで、沈んで」
愛し合うということを、ときどき
不思議に思う。
おたがいに求め合っていても、
その強さは微妙に違う。
きっとその差が淋しさだったり、
せつなさっだりするのだろう。
恋をすると淋しさがよく見えて
くる。だぶん、それはちょっと
したきっかけで反比例し、そし
て正比例する。
YouTube
Waltz For Debby - Love Theme From "Spartacus" - Jean-Yves Thibaudet
https://www.youtube.com/watch?v=dCANhujTJE0
能の演技者が自己の立場を
離れ、鑑賞者と同じ心にな
って自分の立ち居振る舞い
を心のなかで見ながら動い
ていくことを「見所同心」
(けんじょどうしん)とか
「離見の見」(りけんのけん)
という。
世阿弥の「花鏡」に
「離見の見にて見る所は、
すなわち、見所同心の
見なり」とある。
自分の動きを”もうひとりの
自分”が、離れたところから
冷静に見つめている。
「坐」という文字は、「土」の
上に「二人」の人間が対面
している字形。
「坐る」ことによって、現実の
自分と、現実の自分の奥に
あるもうひとりの自分の存在
がよくわかるようになるという。
一日に一回は静かに坐って、
”もうひとりの自分”と対話する
必要があるのではないだろうか。
彼と会うようになって、私の
心が少しずつ柔らかくなって
いくのがわかった。
常にとくとく心臓の音が
聞こえて、心は体につなが
っているのだと改めて気づか
された。
YouTube
Bill Evans-On Green Dolphin Street
https://www.youtube.com/watch?v=8wwxaJ80nCg
結果があります。
しかし。
この世の中のことは、そう単純
ではありません。それは、原因
と結果の間には縁という
ものが働くからです。
人様からいただく縁によって
自分の世界が変わるために、
誰もが「できるだけ善い縁に
めぐり会いたいなぁ、でき
ることなら悪い縁は遠慮願
いたい」と思って生きています。
考えてみると、「他人から縁
をいただく」という受け手側
であるだけでなく、同時に
自分そのものがた他人にとって
縁になっているわけです。
これを忘れてはならないと
思います。
人に対して、自分が善い縁に
ならなければならないのです。
そうすることによって、人様
からお返しをいただいていけ
るのではないでしょうか。
心の中には、鬼(悪心)も仏
(善心)も我も皆住んでいると
言いますが、自分がゲンコツ
を振り上げさせる鬼もいます。
善い縁(仏)に触れるか、悪い
縁(鬼)に触れるかで自分の
生きる世界が決まってきます。
善い縁に触れられるように、
また自分が他人にとって善い
縁になれるように、日頃から
精進したいものです。