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抱かれるきっかけ
ずるき我にして
「あなたが決めてください」と言う
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Fragile - Nina Vidal
https://www.youtube.com/watch?v=ZbPeqPj51AA
休みになると、多くの家族連れ
が電車に乗ってくる。電車が
着いたとたんに列を乱し、
子どもを使って席の取り合い
が起き、
お目当ての遊園地などの
最寄りの駅に着けば今度は
親子でいっせいに駆け出す。
一刻も早く入場して、人気
の乗り物などの列につくた
めだ。
親は子どもをせかせ、子ども
は「早く、早く」と親を励ま
し、親密に連携を取り合って、
自分たち以外の家族のことは、
どうなろうとおかまいなしで
ある。
自分たちの内々では温かく
融和しているけれども、外部
に対しては対立する。
これはなにも家庭だけの問題
ではありません。会社などの
組織に入ればそれは家庭と
同じものになる。これは多民
族に対したときの対応も全く
同じ根です。
我と他に対する対応の厳然
たる違いには、唖然とするも
のがあります。
世界と共生しなければ生きて
いけない日本にあって、今私
たちはエゴの民、非倫理性の
国民、不可解な民族などと言
われています。
このような国民性を改めない
限り、世界に受け入れられな
いと思います。
それは別に大げさに考える
必要はなく、まず些細なその
根にある小さな「村意識」
「家族意識」の改善から始める
ことだと思います。
ヨーロッパのことわざで、
「恋愛中のコックのスープ
は飲むな」というものが
ある。
その原因は、科学的に
証明されている。
つまり、恋愛で、喜びの
感情に包まれていると、
それが、中枢神経を刺激
し、ホルモンバランスが
崩れてしまう。
そのために、ついつい
コックさんの味覚神経が
マヒし、塩を多めにくわえ
がちになる。
ただし、
一流シェフだけの話。
くるたびに、味がかわる駅
前の中華料理屋のオヤジ
さんでは、恋愛中でも、
そうでなくても、味つけは
一定しないもの。
私たちが仕事や職場を通じて
友を得ることが多いのは、利
益を共有するからです。
ところが、職場を去ったとた
んに、なお友であり続けるこ
とは難しくなってきます。
利ゆえにつながっていた関係
なので、利がなくなれば相手
は去っていくからです。
「こんなはずではなかった」
という寂しさは、上にいた
人ほど味わうものです。
「定年退職したら年賀状の
数がグンと減った」などと
いう話もよく耳にします。
サラリーマンが退職したと
たんに衰えるのは、仕事を
失って張りを失うこことも
あるが、友と思っていた人
を失うことのほうが大きい
ようです。
普段から利外の真の友を持
つように心がける必要があ
ります。
商社マン時代中国と仕事を
しているとき、現地人の人
から本音を聞いたり、友だ
ちになったりするのが難し
いと聞きます。
しかし、中国人ほど、一度
友だちになったら尽くして
くれる国民はいません。
元田中総理への中国の対応を
思い出してください。
中国で本当の友だちをつくる
には、利害や打算からではな
く、少なくとも三分の義俠心
を持ち、小さい約束を順々に
守っていき、数年にかけて
信用を築くことです。
そうすれば鉄石の誓いで結
ばれます。しかし、それは
どこの国でも同じ。信頼
関係なしに友は生まれません。
作家の渡辺淳一さんは、『外科
医の反省』という文の中で
次のように述べている。
「外科医の友人二人がガンの
手術を受けた。
その医者が、『俺たちは今まで、
何気なく手術をして、苦しん
でいる患者にも
“頑張りなさい”なんて言って
いたけど、切られるほうはまさ
に死ぬ思いだよ。今度、手術を
受けて、患者の苦しみが本当に
わかった』と述懐していた」
患者の本当の苦しみを自分のこ
とに置き換えて、その二割でも
考えられるようなら真の友人で
あり、五割も考えられたら聖人
で、八割を超えるようならもは
や神か仏でしょう。
それほど、他人のつらさや哀し
みを、自分のものとして感じる
ことは難しいものなのです。
平和ボケした日本人が、世界の
中で「信頼できぬエゴの民」と
言われているのも、そんな他人
の痛みがわからない鈍感な国民
だからです。一人ひとりが心
したいものです。
二十代のときに遊びすぎ、
使いすぎ、そのために
三十代になってから、
一時的に元気をなくすこと
をいう。
また盛り返すのであるが、
このとき、すっかり指専門
になってしまう男もいる。
結婚したとたん、野球の
投手のような中三日とか
中四日で登板というわけ
にはいかなくなる。
モテて愛人のようなのが
できても、登板できな場合、
やむなく指が登板となる。
「ねえ、どうしたの。いつも
指だけね」
と愛人が不満。
「おれの指はゴールドフィン
ガー。これだけでも十分
楽しんでるんじゃないか」
と、いいわけをするのだが、
「だって・・・・、ソレはなんの
ためにあるの?」
「なに、これは指がダメに
なったときの予備さ」と強がる。
じゃあ、たまには予備のほう
も使ってよ、といわれ、やむな
く予備のほうを出すのだが、
これが小さく短いまま,
しかも、早い!
「ヨビに短しといってね」
それはタスキでしょ(怒
お後がよろしいようで
大林宣彦監督の映画を通して、
尾道を知った人は多いだろう。
私もその一人で、坂道と海辺
の風景が美しいこの町を歩く
ときには、なんとなく映画の
主人公のような気分になる。
“坂のある町を歩けば
かくれんぼの少女
どこかで我を見ている“
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PORTUGUESE LOVE / RAMSEY LEWIS
https://www.youtube.com/watch?v=m69rIDEGoDw
“あなたからきたるはがきの
かきだしの「雨ですね」
さう、けふもさみだれ“
電話で、「雨ですね」と言いあ
うのとは違う、不思議な連帯感が
生まれる。電話ならまさにリアル
タイムで、今自分の見あげている
空を、
相手も見あげて相づちを打つわけ
で、それは単なるあいさつにすぎ
ない。
葉書に書く「雨ですね」は、そう
ではない。それは、あなたのこと
を思ってペンをとっていた時間に
雨が降っていました、といいう
一種のしるしのようなもの。
私はその時「・・・・ね?」と
あなたに話しかけたかった、
という気持ちの消印のようなもの。
リアルタイムでなく、時間の幅を
持って、その想いが届けられる。
「さう、けふもさみだれ」という
相づちも、同様に、気持ちの消印
である。
今あなたの文字を見つめながら、
心の中で返事をしました、と
いう。
正確な意味では時間はズレている
けれど、「さみだれの降る季節」と
いう視点から見れば、わたしたちは
時を共有しあっている。
そして一枚の葉書をとおして、
心を共有しあっている。
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Art Farmer / Gentle Rain
https://www.youtube.com/watch?v=rNPY8WzqoQw