ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

愛よりも優しく

2019年01月05日 17時35分21秒 | owarai
あれから、十二年という歳月が
流れた。

あの日、あの夜、闇の底を生き
物のように流れる河のほかには
何もない、

閉散とした駅のプラットホーム
に、おそらく永遠に取り戻すこ
とのできない何かを置き忘れた
まま、わたしはもうすぐ、三十
五歳になろうとしている。

こうして、スピードを上げながら
西へ西へ向かう新幹線の中でひと
り、遠ざかってゆく景色を眺めて
ると、記憶の虚空(こくう)から、

はらはらとこぼれ落ちてくるのは
あの年の記憶だけだ。あの年その
ものが、わたしにとって八番目の
曜日であり、十三番目の月だった
のかもしれない。

今はもう、痛みは感じない。そこ
にはひと粒の涙も、ひとかけらの
悲しみ宿っていない。あのひとの
記憶は愛よりも優しく、水よりも
透明な結晶となって、わたしの心
の海に沈んでいる。

この十二年のあいだに、わたしは
いくつかの恋をした。

出会いがあって、相手を求め、求
められ、愛しいと感じ、結ばれた。
二十七の時には、結婚もした。
不幸にも、夫に好きな人ができ
てしまったため、その結婚はた
った二年で壊れてしまったけれ
ど、それでも二年間、わたしは
とても幸せだった。

ただ、どんなに深い幸せを感じ、
それに酔い痴れている時でも、
わたしの躰の中に一ヶ所だけ、
ぴたりと扉の閉じられた、小
部屋のような領域があった。

扉を無理矢理こじあけると、
そこには光も酸素もなく、
植物も動物も死に絶えた、
凍てついた土地がだけが
広がっている。

だからうっかりドアをあけた
人たちは、酸素と息苦しさに
身を縮め、わたしから去って
いく。離婚の本当の原因は、
もしかしたらわたしの方に
あったのかもしれない。

こんな言い方が許されるな
らば、わたしは誰かに躰を
赦(ゆる)しても、心を救
したことはなかった。




YouTube
alan / BALLAD ~名もなき恋のうた~

https://www.youtube.com/watch?v=YTuiEbkXJS0

予定にないこと

2019年01月05日 17時27分56秒 | owarai


「家で死にたいんじゃありません。
家で暮らし続けたいんです」

     ※

「ペットの最後は自宅で死なせる
べきです。
ペットでなくても、飼ってる人間
だって同じことだと思います」

     ※

「子供ってのは――
親が死ぬってことが予定にない
んですね。
だから親に死なれると、自分も
死ぬんだという実感がドーンと
きますね」

     ※

「死んだら他人の世話になるん
だから、生きている間に他人の
世話をしとかなきゃね」

     ※

「死ぬ前になりますと、人間は
炭酸ガスが増えるんです。
この炭酸ガスに麻酔性がありま
すから、最後はそれほど苦しまず
に終わるようにできているんです」

     ※

「死ぬということには
ベテランや名人はいません。
死ぬのはみんな初心者です」

「相手の心がパッと開く場合」

2019年01月05日 17時14分08秒 | owarai
“マイナスの言葉”で相手の
心がパッと開く場合がありま
す。

ある女性が、久しぶりに女友
だち数人と集まって、レスト
ランで食事を楽しんでいたと
きのことです。

ひとりの友人が、「最近、いい
恋愛をしてる?」と尋ねられて、

「いやー全然縁がないのよ。
もう恋愛運は使い果たした
かも」

と冗談めかして言ったところ、
みんな爆笑して「私もよ!」
と一気に話が盛り上がりました。

彼女の言葉が本当だったのか、
冗談だったのかわかりません
が、

「全然ダメよ」というマイナス
の言葉が、その場の雰囲気をな
ごやかにしたのは間違いありま
せん。

マイナスの言葉でも、ユーモア
にあふれていて、発した人の
気持が明るくボジティブであれ
ば、悪い未来を引き寄せること
はありません。

マイナスの言葉がマイナスの
想念として潜在意識にインプ
ットされることもありません。

何より、周りから共感を得る
ことができて、お互いの新密
度がグンと増します。

マイナスの言葉も、使い方
次第というわけです。

ネガティブな方向に話題を
変えられないのなら、むしろ
それに上手に乗っかってしま
いましょう。

・ ・・人の失敗談って、なん
だか聞きたくなりますよね。

「小さくても自分の花を咲かせる」

2019年01月05日 13時28分47秒 | owarai
一羽のオウムがエサをさがし
ながら道に迷い、奥山へまぎれ
こみました。

日が暮れてあたりが暗くなって
きて、我が家の方向さえわから
ず途方にくれていたとき、奥山
の鳥や獣が出てきて、

「オウム君、君は道を間違えたの
だ。今からでは帰れない。明日送
ってあげるから、今夜はボクたち
のねぐらへおいでよ」と親切に案
内し、

「ここに木の実があるから、お腹
いっぱい食べなさい。ここにはお
いしい湧き水あるよ」と教え、

そのうえオウムが寂しくてはいけ
ないからと皆でオウムのまわりを
囲むようにして寝てくれました。

オウムは安心して、ぐっすり休む
ことができ、翌朝、無事に古巣に
もどることができました。

それから数日たったある日、懐か
しい奥山のほうを見ると、親切な
鳥や獣たちの住む山あたりから色
濃い煙が立ち上っています。

いまや全山が火事になっているで
はありせんか。すぐさまオウムは
谷川に舞い降りて、全身を濡らし
て飛び立ちました。

火事の上で身をふって、2~3滴
の水を落としこれを休みなく繰り
返していました。

このとき、このありさまを谷川の
ほとりの木の上で、さっきから見
ていた他の鳥たちが、あざ笑うよ
うに言いました。

「君のもって行くその僅か2~3
滴の水であの大山火事が消えると
思うのか。骨折り損のくたびれも
うけとは、そういうことだ」

このときオウムは、
「私のもって行く水は僅かです。
あの大火事は消えないかもしれま
せん。でもあの火の中に、私にこ

のうえなく親切にし、助けてくれた
友だちが、いま苦しんでいるかと思
うと私は止めることはできません。

私は、水を運びます」
と言って、せっせと水運びをつづけ
ました。

すると、一天にわかにかき曇り、大
雨がザアーッと降り出し、さしもの
大火事も忽ち消えてしまいました。
「雑宝蔵経」
という仏教説法

この説法は、人間なら、つまりあな
たならどうするだろうという問いかけ
を、オウムの行動を通しています。

いまの世の中では、主役のオウムを
“バカなオウム=人間”と嘲笑う鳥
たちのほうが“利口な鳥=利口な
人々“であり、賢明な生き方であり、
圧倒的な多数派だろうと思います。

ある大病院で看護婦をしている女性
が、本当は朝、午後、夜勤と3交換
制で看護婦不足の中で、時間を超え

て、熱心に病室を巡回して一晩中、
見守ってあげて、他の看護婦さんか
ら、非難・中傷の対象となりました。

彼女の行為が、看護婦さん全体の労働
条件改善闘争のさまだげになる、彼女
ひとりががんばってもすべての患者さん
を救えるわけではないからはじまって、
彼女ひとりがいい娘になろうとしている
とか・・・・。

このときお寺で説法を受けた話です。

『悟りとは、小さくてもいい
自分の花を咲かせることだ』

どんな小さな花でもいい
誰のものでもない
独自の花を咲かせることだ

他の人々からどう嘲笑われて
も、認められなくても、無駄
骨になってもいい。

その看護婦さん独自の、小さい
ながらも世にも美しい花を、い
つまでも咲かせつづけてほしい。

そして、その小さな花が、やがて
世の中いっぱいに咲きひろがること
を願いながら・・・。

「亀は「アンフェアか」

2019年01月05日 12時57分01秒 | owarai
物事には、最初から善悪があるわ
けではなく、その見方は一様では
ありません。

「ウサギとカメ」の昔話があります。
歩みののろい亀でも、一歩一歩確実
に努力していれば、足の速い兎にも
勝つことができる。

つまり、自分は優れていると思って
兎のように怠けてはいけない。亀の
ように勤勉に歩き続けようという
解釈が一般的だと思います。

しかし、欧米人に言わせれば、兎と
亀と条件が違う者を競争させるのは
フェアではないという意見もありま
す。日本の格闘技はもともと無差別
ですが、

欧米人では体重別が基本だからで
しょう。また、眠っている兎を見た
ら、亀はなぜ起こしてやらないのだ。

亀は、アンフェアだという見方も出
てくるわけです。

こんな単純な昔話にさえ、いろいろな
見方や解釈が出てきます。私たちが、
これまで信じてきた善悪の基準も、世
の中がグローバル化する中で通じなく
なってきています。

何事も良い悪いの識別は、自分にとっ
て都合か良いか悪いかが判断の基準に
なります。

一つの物差しだけで判断すると
間違いを起こします。世界の中
で共生していくには、事実をし
っかと捉え、その上で複数の尺
度で判断することが大切になり
ます。

「あなたにとっての「価値」は?」

2019年01月05日 08時55分16秒 | owarai
どこに自分の「価値」の基準を
置くかはとても大事なことです。

背伸びをして何十万もするケリー
バックを一つ買っても、部屋で
カップラーメンを食べてテレビ
を見ているような日常なら、そ
こになんの価値もありません。

それより、上質な綿や麻のシー
ツをピーンと敷き詰めた清潔な
ベットに毎日寝られることの
喜び。

バスタブに好きな入浴剤を入れ
て、ゆっくり体をほぐす時間を
持てる喜び。本を読んで得られ
る無限の知識。

そういう環境の中に身を置くほ
うがずっとエレガントな女性を
作ります。

ヴィトンのバックやシャネルの
スーツには長い歴史があり、上
質な女性が接してこそ初めて輝
きを持つものたちです。

それを通して本人の人柄や生き
てきた背景、思想や性格まです
べて判断されてしまいます。

長い伝統を持つブランドに見合
うだけの自分であるのか。

表面だけ着飾っていても、人様
ときちんと会話ができなかった
り、敬語の使い方が出鱈目では、
裸の王様より始末が負えません。

体の中から最高の天然のオイル
が出るように、最高のエレガン
スは自分の内面から滲み出る
ものだと思います。

そのために今必要なことにお
金を使う。自分自身にとって
の「価値」の基準をどこに置
くか考える。

時間はあっという間に過ぎて
いきます。
今の自分はどういう人間なの
か。

じっくり自分を観察していけ
ば、ボーナスをすべてつぎ込
んででもシャネルのバックが
必要なのか、それとも上質な

カシミアのセーターを一枚手
に入れるべきか、上質な革の
手帳が必要なのか、見えてく
るはずです。

現在は自己アピールが確かに
必要な時代です。でもそれは
ブランド物で身を固めること
ではありません。

逆にそれらを取り除き、内面
の豊かなものが見えた時、そ
の人は初めて地に足をつけて
自分の人生を歩いていると言え
るのではないでしょうか。

エレガントとは、必要以上に
自己アピールをしないことです。

“臆病”だから強くなれる

2019年01月05日 06時23分26秒 | owarai
北方謙三の小説『風樹の剣』の
主人公・日向景一郎は、日向流
を興した祖父と旅をする。

景一郎は、剣術は得意なのだが
度胸がない。博徒にからまれて
逃げたり、真剣で挑まれた勝負
には尻もちをついて刀を投出し

てしまい、恐怖のあまり小便を
もらす始末だ。

かつての日向流の門人が、「あな
たのお孫さんは臆病だ。とても
剣の名手にはなれない」

とあきれて言うと、祖父はこう
答える。

「はじめての真剣の立ち会いで
相手を倒したお前には、景一郎
の天稟はない。臆病だからこそ、
相手の剣先を見切ろうとし、身
を守る術を覚えるのだ。

真剣を握ったあれを斬れる手だ
れは少なかろう」

恐怖を感じること自体は、決して
恥ずかしいことではありません。

恐怖を感じながら、それを乗り超
えようとする人こそ素晴らしい仕
事をするものです。

弱気になったとき、壁にぶつ
かったとき、どう対処するか
が問題です。

過去の自分を乗り越えて成長
していかなければならないの
は、昔も今も同じです。

絶えず恐れを持っている人の
ほうが、精進に励み素晴らし
い境地を開いていくように
思います。

「初鏡」

2019年01月05日 05時19分05秒 | owarai
重ねてきた年月の 喜びや
悲しみが

いまのわたしをつくっている
から

とびきりの美人じゃなくても
若くなくても

自分自身を愛したい

白雪姫の継母みたいに呪文を
唱えなくたって

わたしたちは誰もみな 世界
にただひとりのヒロイン

『新年最初のお化粧のノリは?』
新年になって初めて鏡に向かって
お化粧をすることを「初鏡」ある
いは「初化粧」といいます。

昔の人は、お化粧をするのでな
ければあまり鏡を見ることもな
かったので、「初鏡」が「初化
粧」と同じ意味になったので
しょう。

古来、お化粧と鏡とは、切っ
ても切れない間柄だったので
す。

京都周辺のある地域には、結婚
した年の暮れに実家に鏡餅を
贈る習慣があって、

そこでは、その鏡餅が「初
鏡」と呼ばれているそうです。

そんな初鏡もすてきかもしれ
ません。

ところで、新年最初のお化粧を
するときはどんなことを考えま
すか。「今年こそ!」などと考え
えて、いつものお化粧より気合い
の入り方が違うでしょうか。

初鏡娘のあとに妻座る
  / 日野 草城

女性は何歳になっても鏡が
大好きなのです。

「愛に飢えて愛を与えて」

2019年01月05日 05時10分27秒 | owarai
『オードリー・ヘップバーンの
生き方』
彼女の人生を貫いたもののひとつ
に「家庭」へのこだわりがある。

アンネ・フランクリンと同じ国、
同じ年に生まれ、幼いときの両
親の離婚が彼女に植えつけた

「家庭への憧れ」、これがあまり
に強すぎたために、もしかした
ら二度の離婚を経験したのかも
しれなかった。「守りたい」と

いう思いが強すぎて、それを
強く抱きしめすぎて、腕のなか
で壊してしまったのかもしれな
かった。

そんなオードリーが、最高のパー
トナーに出逢えたとき、選んだス
タイルが「結婚をしない」という
選択だったことを思うと、考え
深い。

歳を重ね経験を積んでおそらく
オードリーは、内面がゆたかに
養われ、物事の本質を知る力を
身につけたのだと思う。

服装などにも象徴される「表面
的なこと」を重視しないとうこ
とだ。財産のことなど、愛以外

のややこしい事柄を避けること
ももちろんあっただろうけ

けれど、「結婚」という社会
的な約束事を「表面的なこと」
に分類したのだろう。

オードリーが男性に求めた愛
は、性愛ではなく抱擁だった
気がする。そんなオードリー
を物足りなく思った恋人、夫
はいたかもしれない。

わからない。すべては組み合
わせの問題なのだ。

けれど、思うに女にはただ、
抱きしめて欲しい夜があるよ
うだ。

オードリーはことさらそんな
夜を多くもった気がする。

晩年、オードリーは息子の
ショーンに言った。

“愛は行動なのよ。言葉だけで
はだめなの。言葉だけですんだ
ことなど一度だってなかったわ“

心で喋る人には  心で聞け

2019年01月05日 04時54分34秒 | owarai
“言葉で喋る人には
     耳で聞け

 心で喋る人には
     心で聞け“

常に相手の立場、置かれて
いる状況を忘れず、測り、
想像しながら、耳を傾け、
話をしなさいという意味
です。

相手が今聞く状態になって
いないとき、こっちだけが
夢中になって話したって、

それはまったく音であるとい
うこと、耳に入ってそのまま
反対側の耳から出ていってし
まう。



“あっ、今は時期じゃない“
と気づいたら話の内容を変え
るとか、

また違った受入れ姿勢のある
ときにお話しをするというふ
うに心がけるとよいのです。

サザエさんの漫画ではないで
すが、

玄関先に野球のバットとグロ
ーブを持ったお友達が迎えに
来ているのに、小学生のカツオ

に“宿題はどうなってい
るの“といっても聞く耳を
持っているはずがありません。

お友達と野球の約束をしてし
まう前か、いっそ遊んで帰っ
てきた後に、じっくりとお話
しするほうがいいわけです。

仕事が山積みになっている恋人
や旦那さまに、重い内容のお
話をしても逃げられ、嫌がら
れるだけ。

相手の方の心の声を聞いてあげ、
想像してあげてください。