夢をみる。深い夜に、レールの
向こうでたくさんの蛍が光る。
そのうちそれが、紫の羽を持っ
た無数の蝶に変り、なぜか白い
シーツをバックに舞っている。
それを小さな少年が、瞳をこら
して見ている。
横に、なぜかお下げ髪の少女に
なっている私がいて、怖くて
そばにへ行けない。「帰って
きて、帰ってきて」と叫ぶだ
けだ。
YouTube
ジプシーキングス - インスピレーション
https://www.youtube.com/watch?v=Tm7N0-LGpEc
向こうでたくさんの蛍が光る。
そのうちそれが、紫の羽を持っ
た無数の蝶に変り、なぜか白い
シーツをバックに舞っている。
それを小さな少年が、瞳をこら
して見ている。
横に、なぜかお下げ髪の少女に
なっている私がいて、怖くて
そばにへ行けない。「帰って
きて、帰ってきて」と叫ぶだ
けだ。
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ジプシーキングス - インスピレーション
https://www.youtube.com/watch?v=Tm7N0-LGpEc
そのころ、「思い出」を自分の
そばに置いたり、所有したり、
身に着けたりすることに執着
していてわたしは、
使いかけの消しゴムやボール
ペンや百円ライターをもらっ
て、それらを宝物のように大切
にしたり、
とにかく優しい人が使ったもの、
触れたもの、捨てようとして
いるものを、事あるごとに、
「それ頂戴」と言って、自分の
ものにした。
たとえばわたしは、優しい人が
使っていた定期券を、期限が
切れるたびにもらって、自分の
定期入れの中に仕舞い込んで
いた。
電車でキセルと間違えられた
とき彼の期限切れの定期券を
取り上げられそうになって、
わたしは悲しかった。
ただ、悲しかった。優しい人の
使った定期券。わたしに会いに
くるために使われた定期券。
離れ離れになっているなって
いるときはには、優しい人を
少しでも身近に感じていたいと
いうこと。そんなささやかな
願い。
そんな慎ましい願望が、なぜ
許されないのか。
幸いなことにわたしはその夜、
厳重注意だけで罪は問われず、
開放された。
けれども、わたしの大切な定
期券はすべて没収された。
わたしにとってそれらは、
掛け替えのないお守りだった。
わたしはいったい何を守ろう
としていたのか。
守るべきものはあったのか。
おそらくそれはわたしの
「思い出の――」
を守ってくれる、お守りだった。
わたしの暮らしていた部屋の中
なかで、亡くなったもの、失わ
たもの、を数え上げてみれば、
きりがない。
愛情も欲望も喜びも悲しみも、
空を飛べる鳥も、水に住める
魚も、思い出も、わたしの部屋
のなかではまるで死ぬために、
生まれてきたようなものだった。
そしてわたしは最後の最期(さ
いご)に、優しい人との生活を
失うことになる。
いいえ、失ったのではない。
自らの手で、わたしはそれを
葬ったのだ。わたしは妊娠し
た美しい希望を、葬るのと
同時に。
YouTube
久石譲 あの夏へ
https://www.youtube.com/watch?v=Dkdt5yVmfsc
そばに置いたり、所有したり、
身に着けたりすることに執着
していてわたしは、
使いかけの消しゴムやボール
ペンや百円ライターをもらっ
て、それらを宝物のように大切
にしたり、
とにかく優しい人が使ったもの、
触れたもの、捨てようとして
いるものを、事あるごとに、
「それ頂戴」と言って、自分の
ものにした。
たとえばわたしは、優しい人が
使っていた定期券を、期限が
切れるたびにもらって、自分の
定期入れの中に仕舞い込んで
いた。
電車でキセルと間違えられた
とき彼の期限切れの定期券を
取り上げられそうになって、
わたしは悲しかった。
ただ、悲しかった。優しい人の
使った定期券。わたしに会いに
くるために使われた定期券。
離れ離れになっているなって
いるときはには、優しい人を
少しでも身近に感じていたいと
いうこと。そんなささやかな
願い。
そんな慎ましい願望が、なぜ
許されないのか。
幸いなことにわたしはその夜、
厳重注意だけで罪は問われず、
開放された。
けれども、わたしの大切な定
期券はすべて没収された。
わたしにとってそれらは、
掛け替えのないお守りだった。
わたしはいったい何を守ろう
としていたのか。
守るべきものはあったのか。
おそらくそれはわたしの
「思い出の――」
を守ってくれる、お守りだった。
わたしの暮らしていた部屋の中
なかで、亡くなったもの、失わ
たもの、を数え上げてみれば、
きりがない。
愛情も欲望も喜びも悲しみも、
空を飛べる鳥も、水に住める
魚も、思い出も、わたしの部屋
のなかではまるで死ぬために、
生まれてきたようなものだった。
そしてわたしは最後の最期(さ
いご)に、優しい人との生活を
失うことになる。
いいえ、失ったのではない。
自らの手で、わたしはそれを
葬ったのだ。わたしは妊娠し
た美しい希望を、葬るのと
同時に。
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久石譲 あの夏へ
https://www.youtube.com/watch?v=Dkdt5yVmfsc
「私が」を後回しにすれば
よく見える
誰しも善心は持っています。善心を
発揮することは、決して努力して
会得するものでも苦しいことでも
ありません。
悪心でいるよりはずっと楽しい
ことであり、喜ばしい気持にな
るものです。
誰でも善を行ないたい気持は持っ
ているはずです。
それができないのは、あまるにも
小さな我にとらわれて、「私が、
私が」と自己中心の考え方をして
いるからです。
その結果、全体が見えなくなり、
真実が見えなくなってしまいま
す。
真実が見えなくなれば、正しい
対応の取りようがありません。
そうして、他への感謝の心を失
い不満ばかりを募らせるように
なります。
病気になってはじめて日頃の
健康のありがたさがわかり、
職を失ってはじめて仕事に
打ち込めるありがたさがわかり、
海外旅行をして、はじめて米飯
のありがたさがわかります。
自分の立場ばかり物事を考えないで、
ちょっと自分を離れて見ると、いろ
んなものが見えてきて、感謝の心が
湧いてくるはずです。
よく見える
誰しも善心は持っています。善心を
発揮することは、決して努力して
会得するものでも苦しいことでも
ありません。
悪心でいるよりはずっと楽しい
ことであり、喜ばしい気持にな
るものです。
誰でも善を行ないたい気持は持っ
ているはずです。
それができないのは、あまるにも
小さな我にとらわれて、「私が、
私が」と自己中心の考え方をして
いるからです。
その結果、全体が見えなくなり、
真実が見えなくなってしまいま
す。
真実が見えなくなれば、正しい
対応の取りようがありません。
そうして、他への感謝の心を失
い不満ばかりを募らせるように
なります。
病気になってはじめて日頃の
健康のありがたさがわかり、
職を失ってはじめて仕事に
打ち込めるありがたさがわかり、
海外旅行をして、はじめて米飯
のありがたさがわかります。
自分の立場ばかり物事を考えないで、
ちょっと自分を離れて見ると、いろ
んなものが見えてきて、感謝の心が
湧いてくるはずです。