私たちはつい、今のあるがまま
のすべてが、ずっと未来まで続
くような錯覚を持ってしまいま
す。
でも一寸先はわからないのです。
二百年も眠りつづけていた島原
の普賢岳が、ある日、突然火を
噴くように、七十年も続いた
ソビエトの共産主義が、突如と
して崩壊したように、
明日何が起こるかわからない
のです。一寸先は闇です。
常に、世の中のすべては移り
変わっています。私たちが
生まれた瞬間から、老いと
死に向って毎日変わっていく
ように。
それを仏教では「無常」という
言葉であらわしています。
この世に起こるすべてのことは
移り変わる、一時も同じ状態
はないということです。
心もまた無常です。
人と人との関わり、交わり、愛
もまた無常です。
結婚式で、日本古来の神式であれ、
お寺での仏式であれ、キリスト
教のチャペルの式であれ、
どの場合も、神や仏の前で、
新郎新婦は夫婦の愛の永遠に
変わらぬことを誓います。
それでも、夫婦の愛が決して
永遠でないことを、年々、世
界的に増加していく離婚の数
が示しています。
結婚式での誓いは
「変わりません」というより、
「変わりやすい私たちの愛だ
からこそ、どうか、神や仏に
よって、守り、育て、つづけ
させてください」
と祈るべきだと思います。
愛しあっている時は、いつか
自分が裏切られるなど、人は
思いません。
まして自分がこんなに今愛して
いる相手に飽きがきたり、情熱
を感じなくなったりする日が
来るなど想像もつきません。
ところが気がついた時、相手に
別な愛人が出来ていたり、
自分が今の恋人や夫以上に心
惹かれる人が出来ていたり
するのです。
それほど人間の心は不確か
なものなのです。
だからこそ人は愛に誓約や
契約を求め、その証人をつくり
たがります。
それで結婚式や神父や僧侶や
神主に立ち会ってもらい、た
くさんの友人に参列してもら
って証人になってもらうので
す。
でも、そんなことがいかに
虚しいか私たちはもうさんざ
ん愛の破局を見たり経験した
り知っています。
愛もまた無常ということも、
孤独と同じくらいに知って
いましょう。