ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「風の子」Ⅱ

2020年10月10日 14時57分20秒 | owarai

打ち合わせを終えたあと、わたし 
たちははごく短い時間、たわいな 
い世間話しを、カフェを出た。腕 
時計を見ると、三時過ぎ。まるで 
冬の幕間のような、ぽかぽかと 
暖かい午后だった。わたしは、 

「ちょっと散歩してから、帰り 
ます」 
と、本多さんに言って、駅の近く 
の横断歩道の手前で、彼女と別 
れた。 

新宿の街を歩くなんて、久しぶり 
だった。わたしの足は自然に西 
新宿へ、新宿中公園の方へ向い 
ていた。 

西新宿は、アラシといっしょに 
暮らした街だった。 

そこで出会いがあり、そこで、 
別れがあった。恋と愛が出会 
って、 
すれ違って引き裂かれた場所。 
一生分の涙を、わたしはそこで 
使い果たしてしまった。 

今はさらさらと流れる砂のよう 
な記憶に包まれて、ひっそりと 
たたずんでいる街、涙も、心の 
痛みも、傷も、情熱も、おそらく 
この世には、何ひとつとして、 
同じ形で同じ場所にとどまる 
ことのできるものなど、ない 
かもしれない。 

公園に着くと、わたしは陽あたり 
の良いベンチに腰かけて、鞄の 
中から、うす茶色の封筒も取り出 
した。ついさっき、本多さんから 
から受け取ったばかりの、封筒。 
中には仕事の資料が入っている。 

企画書やあらすじをまとめた 
文章やあらすじをまとめた文章 
や構成案や、誰かの過去の作品 
のコピー。 
わたしは、封筒を膝の上に乗せ 
てその重みを、てのひらでその 
厚みを、味わった。 

愛おしさにも似た感情が、山奥 
で人知れず湧く泉のように、 
あとからあとから、あふれ出し 
てくりのがわかった。 

アラシ、また会えたね。 
わたしたち、また、つながった 
ね。 
カフェで読んだその文章を、わ 
たしはもう一度、ゆっくり読んだ。 
なつかしい、アラシの声が、愛 
した人の魂が、粒子になって飛 
んできた。 
       * 
これは、風に聞いた話しです。 
柳の木の枝を揺らし、白樺の 
木の葉を踊らせ、 

アザミの綿毛を見えない手で 
掬い上げながら、 
静かに草原を通り過ぎてゆく、 
風に聞いたお話。 

仕事にも暮らしにも、人を愛す 
ることにも疲れて、 
何も信じることができず、自分 
さえ信じることができず、 
すべての希望を失い、立ち上が 
る元気もなくし、 

悲しみだけを抱えて、絶望の谷 
底を眺めていた僕に、 
風がそっと、囁いてくれた物語。 


元気がわいてくる「魔法の言葉」

2020年10月10日 13時58分20秒 | owarai

『目覚めたら、昨日のことは 
スッパリ忘れる』 
人から無視された。人に認め 
てもらえなかった。朝、目が 
覚めたとたん、そんな苦痛は、 
実はどこかへ飛んで消えてい 
る。 

目が覚めようとする瞬間は、 
ほとんどの人が、「ああ、も 
う少し寝かせておいてほしい 
」と願っている。 

嫌な経験は、そのときだけに 
したい。嫌なことがあっても、 
クヨクヨしなければ、何でも 
ない。 

嫌な経験を、積み重ねると、 
いつしか、苦しみが大山の 
ように大きくなって、一生、 
苦痛の中で生きてしまうこ 
とになる。 

苦しみが小さいうちに、心 
の整理をして、気楽になる 
ことだ。 

朝、目覚めると同時に、過去 
を忘れ、過去から超越した自 
分になる。あれこれ過去にこ 
だわらない。 

「無」という言葉は、禅語の 
最高峰である。呪文である。 

朝起きたら、毎朝、床の上に 
正座して「ムーッ」叫んで、 
昨日まで自分にとっついて 
いた「ある」とか「ない」とか 
「損」とか「得」とか「いい」 
とか「悪い」とか苦しみ抜いた 
全過去を、一呼吸で捨てる。 

すると、またたく間に、今日が、 
開けてくる。 


「人に好かれようと思って 仕事をするな」

2020年10月10日 12時03分57秒 | owarai

「人に好かれようと思って 
仕事をするな。 
むしろ半分の人間に積極的 
に嫌われるように努力しな 
いと、ちゃんとした仕事は 
できねぞ」。 
白洲次郎/実業家 

貿易商の家庭に生まれ、イギ 
リスに留学。そのとき、上流 
階級の学生と遊び上流階級の 
なまりを覚えそれが将来武器 
になる。 

日本人で初めてジーンズを穿いた 
人物でもある。 

第二次大戦後の1951年、サン 
フランシスコ講話会議に全権団 
顧問として随行。 

その際、吉田茂首相の読む演説 
が英語で書かれていたうえ、G 
HQへの美辞麗句が並ぶことに 
激怒。 

敗戦国であっても戦勝国と同等の 
資格で出席すべきと、日本語に書 
き直させた。 

歴史的舞台で、「アメリカさん」へ 
の気遣いよりも、「筋」を通すこと 
を実践した。 

のちに実業界に移り、東北電力を 
はじめとする大企業の役員や 
顧問を歴任した。 
妻は作家の白洲正子さん。


『新しい自分を見つける近道』

2020年10月10日 11時57分05秒 | owarai

「いつも新しい自分を模索
したい」
僕にはこんな願いがあります。
毎朝、毎日、新しい自分を探
すのが楽しいと感じているの
です。

なぜなら僕は、完璧ではない
から。理想の姿ではまるでない
から。

もちろん、暮らしの小さなこと
でも、人とのかかわりでも仕事
でも、自分なりに謝っていない
道を歩んでいるつもりです。

それでも、僕はたぶん間違えます。

正しいとしても、その道が完璧と
も限りません。だから信じると同
時に、「もっとほかのいい道はない
か」

あるいは「別のやり方があるの
ではないか」と考えることをやめ
ません。

自己否定というと暗い言葉だと
感じるかもしれませんが、これ
こそ新しい自分を見つける近道
です。

温故知新という言葉があるとお
り、古いものや先人の知恵から
学ぶことはたくさんありますが、
その一方で、今の時代ならではの
自分なりの新しさを見つけること
は、生きている証しではないでし
ょうか。

だからこそ、いつも自分を壊したい。  
自己否定をくりかえし、自分を
こなごなに壊したい。

心をやわらかくし、新しい精神を
見つけたい。そう願ってやまない
のです。


『過去から、未来を予測しない』。

2020年10月10日 08時53分42秒 | owarai

未来は、 
過去の延長線上にない。 
いくらでも、変わる。 

もし、過去の延長線上にあると 
したら、未来を簡単に変えるこ 
とはできません。 

ある程度、予測ができてしまう 
未来なんて、きっとつまらない 
もの。 

ところが、一見まっすぐに見え 
るあなたの未来は、もう少し先 
のところで、急カーブしている。 

曲がったところにあるものを、 
今いるところから見ることは 
できません。 

ただ、これだけは、はっきり言 
うことができます。 

未来は、過去の延長線上ではなく、 
いくらでもかえることができる 
のです。 


YouTubeJUJU 
「メトロ」 Music Video フルバージョン 


https://www.youtube.com/watch?v=BJNkQOwnOF0 


「薫風」くんぷう

2020年10月10日 05時42分22秒 | owarai

みずみずしい言葉の芳しさを 
運んでくるような、やわらか 
い南風のこと。 

「薫風」は漢語で、唐の詩人 
白楽天の漢詩の一節 
「薫風南より来り」があり、 

日本でも奈良時代や平安中 
期の漢詩集で「薫風」が使 
われ、和歌、俳句では、 

「風薫る」「薫る風」などと 
して詠まれています。 

中世宮廷歌人たちは、「風の 
香」などと、花の香りを伝え 
る風として、春の歌に詠みま 
した。 

俳句では本来の夏の季節に 
立ち戻って、初夏の句に用い 
られます。 

“ 
ふっと風が薫ように、誰かと 
出逢う“ 

どんなに偶然が偶然の顔を 
していても、出逢うべくし 
て出逢った。 

出逢ったことの意味を考え 
ることは、ふたりのためと 
いうよりも、自分について 
考えることにつながってい 
るように思う。 

ふたりが出会った意味、 
なぜその人に惹かれたのか 
・・・・。 


「利他の心」

2020年10月10日 05時38分30秒 | owarai

他人を幸せにしない限り 
「人間の幸せ」はあり得ません 
自分が幸せになりたいと思う 
なら、人を幸せにすることだ。 

人を幸せにしたいという 
「利他の心」を持ち、人にやさしく 
接したいもの。 

人を幸せにしない限り、自分 
の幸せはあり得ない。 

たとえば、赤ちゃんが泣き出す 
とお母さんは仕事の手をぱっと 
止めて、赤ちゃんをあやします。 

赤ちゃんへの配慮、これこそが 
利他の心です。そして、こうし 
た心を持ったお母さんのもとで 
育った子どもは、自然に利他の 
心を学んでいきます。 

ところが今の子どもは、物心が 
つかないうちに託児所に預けら 
れ、お母さんから学ぶ時間が減 
っている上に、 

学校に上がれば、「勉強しなさい」 
「ゲームはもうやめなさい」と 
叱咤の連続です。 

それが、母性的なもの、つまり 
他人への配慮ができない子ども 
の増加につながっているそうです。 

利他の心とは自己犠牲ではありま 
せん。他人が救われると、同時に 
自分もいい気持ちになれるので 
自分の喜びでもあるのです。 
子どもにもそう教えてあげたい 
ものです。