名前を忘れてしまっても
顔を覚えてくれたらいいけれど、
心が傷ついている分、
マスカラをいっぱいつけた。
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Isabelle Antena - E Preciso Perdoar
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「深い湖が澄んで、清らか
であるように、
賢者の心はいつでも静か
です。
言葉づかいも静かです。
行いも静かです」。
本当に実力のある人は、む
やみに目立とうとはしません。
普段は、同僚、友人たちの
後ろのほうに引っ込んで、
おとなしくしています。
自分をとり巻く状況、周りに
いる人の気持の揺らぎ、
自分がその場で担うべき
役割など、物事をいい方向
へ進めるためにするべき
ことが、見えてきます。
人の本当の力がわかるのは、
「いざというとき」です。
ここ一番のときに、どう行動し、
どう決断するかに、人の真価
があらわれます。
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Bill Evans - Like Someone in Love
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男と女が出逢う。恋が芽生える。
けれども、どんなに相思相愛に
見える関係でも、ひとは同じ量
で愛し合うことは絶対にないの
だという。
どちらかがより多く愛し、どち
らかはより少なく愛するのだ。
別の言い方をすると、愛する役割
のほうと、愛される役割に、ほと
んど出逢いの最初の瞬間にわかれ
てしまう。
より多く相手を思っているほうが
愛する役割となるわけだ。
役割の傾向はつねに決まっている
のかと思うと、そうでもない。
自分自信の過去の恋愛を振り返っ
てみて、あのとき愛されるほうだ
った、しかし次のときには完全に
私がより多く愛する役割を演じて
いたと、思いあたる。
相手によってちがうわけだった。
私はどちらかというと、愛する
役割のほうをよけいに体験した
と思う。かぞえきれないほどの
片思いをのぞいての話。
相手はひたすら愛されて、いい
気持ちで、少し重荷で、安心しき
っていて、だんだん傲慢度をくわえて
いき、いよいよ冷淡になる。
相手のなかに理不尽な冷淡さがチラ
チラみえだすと、恋愛―――
少なくとも私自信の―――は、急速
に終わりに向かう。
あなたの愛の天秤は・・・!?
「深い湖が澄んで、清らか
であるように、
賢者の心はいつでも静か
です。
言葉づかいも静かです。
行いも静かです」。
本当に実力のある人は、む
やみに目立とうとはしません。
普段は、同僚、友人たちの
後ろのほうに引っ込んで、
おとなしくしています。
自分をとり巻く状況、周りに
いる人の気持の揺らぎ、
自分がその場で担うべき
役割など、物事をいい方向
へ進めるためにするべき
ことが、見えてきます。
人の本当の力がわかるのは、
「いざというとき」です。
ここ一番のときに、どう行動し、
どう決断するかに、人の真価
があらわれます。
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Bill Evans - Like Someone in Love
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ヨーロッパでは、文学に手紙文学と
いうジャンルがある。
誰かからか誰かに宛てた手紙という
形式で、物語が進むスタイルの
文学だ。
文学の一ジャンルというより、小説
といえば、手紙文学を指していた
時代さえあるくらいだ。
それほど、手紙というものは、そも
そも、物語性を秘めている。
文学は、手紙から始まったといって
もいいくらいだ。
どうして、手紙が文学と結びついて
いるんだろうか。それは、手紙には
2つの大切なことが含まれているか
らだ。
1つは、手紙を書くことを通して、
人間は成長すること。
もう1つは、手紙を通して、離れて
いる人と人とが近付いていくこと。
「成長すること」と「人とが近付く
ことは」、人間にとって、いちばん
大切な2つのこと。
昔の知り合いに、夕暮れ時の公園で、
子供をぶらんこに乗せて遊ばせて
いる若い母親を見ると、すごく色気
を感じると言っていた男がいた。
何で夕暮れなんだ、何で子供を遊ば
せているお母さんなんだ、と尋ねる
と、上手く説明できないけれど、
気配じゃないかと、という答えが
返ってきた。
彼の説明だと、夕暮れ時は、太陽が
闇に呑み込まれる直前に、自らの
エネルギーを宇宙に放出し、それを
気配に変える一瞬であり、幼い子供
を見守る母親は、子を想う心が体か
ら溢れ出し、愛情が慈しみにが、
気配となって母親の姿を包み込むの
だという。それらの気配がぶらんこ
の揺れと一緒にそよぎ、辺りの空気
を心地良く、艶かしいものにするの
だそうだ。
珈琲を飲みながらの何気ない会話だ
ったが、妙に私の心に残った。
人はセクシーとか色っぽいとかいう
言葉を、ともすると特別なシチュエー
ションのもとに置きたがる。でも案外、
エロスはさり気ない日常の中に潜んで
いて、私たちが心の耳を澄ませば、
どんな瞬間でも感じ取れるものではな
いかという気がする、エロスは悪戯
好きな子供のように、隠れんぼが好き
なのだ。
追いかけると逃げるけれど、何気な
く辺りを見廻すと、ふとまた目に
つくのである。
私の好みでいえば、一生懸命生きてい
る人や、何かに集中している人の姿に、
色っぽさを感じることが多い。
昔の知人が言っていた“気配”とは、
花における香りのようなもので、一心
に、そして無心に咲いて、
自然に漂うものなのかな、とも思う。
旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る
私にとって芭蕉の辞世の句、心
こそが旅人だと教えてくれた宝
物のような一句である。
一人旅を初めて経験したのは、二
十代の半ば。その時、私は伊勢神宮
を参拝し、志摩に泊まった。今でも
明るい光に彩られた、晩秋の伊勢志
摩の風景が目に焼き付いている。
一人って、なんて気ままなんだろう、
なんて解放感があるのだろうと、
その時初めて一人旅の楽しさを知
った。
仕事場の机にしがみつきながら、
ふっとため息を漏らす。旅に出たい
などと突然思う。その思いが高じ
ると、心が勝手に空を駆ける。
美しい景色が目の前に浮かぶ。
優しい人たちが笑顔で語りかけて
くれる。
そんな時、この句が心をよぎる。
たとえ体は病んだとしても、心
は千里を走り、野を駆け巡り、
逢いたい人のもとへ飛んでゆく。
そう、人間は無限の中に生きて
いるのだと、この句は教えてく
れる。
夢のように過ぎていく人生もまた
旅。多分、芭蕉はそう言いたかっ
たのだろう。
一生を旅の空で過ごした芭蕉の
辞世の句と思えば感慨もまたひと
しおだ。
旅にも人生にも未熟な私はまだそんな
心境にはなれないが、この句の中に
旅の醍醐味と真実が隠されているよう
で、思い出すたびに心がサワッと揺れる。
潜在意識とは
「信じるがごとくあな
たになされる」
という。
信じるとは、何かを
「そうだ」と
納得していて一貫して、
そう思って
いる状態のことです。
「そうだ」と思ってい
るけれど、とき
おり「いや、本当にそ
うかなぁ」
と不安になったり、凝っ
たり、気持ちが
ゆれるというのは信じ
ていること
にはなりません。
あなたが何かを思う
ように叶えたい
ならば、それがそう
であることを、
一貫して思うという
ことです。