ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

大切なひとの名は・・・・

2021年01月07日 18時59分28秒 | owarai

朝つゆで口をそそぎ 
朝つゆで顔をあらう 

かわいい子犬のすぐうしろ 
木かげにかくれた人がいる 

その名はだれでしょう? 
どなたでしょ? 

こたえは―― 
春です 

 

YouTube 
恋の奴隷 [Koi no Dorei] - 秦基博 [Hata Motohiro] (日本語歌詞付き+ ローマ字 [romaji]) 

https://www.youtube.com/watch?v=unD4zSwE6Zg 


「心の鏡」。

2021年01月07日 18時58分55秒 | owarai

古代ローマのオーガスタ皇 
帝は、皇后との夫婦仲がきわ 
めてむつまじく、家庭において 
はすべてが皇后のいうがままで、 

すこしも逆らうことがなかった 
そうだ。やさしくて、善良な夫 
だったわけだが、 

もとより、皇帝は恐妻家ではなく、 
皇后はカカア天下式に夫を支配 
したわけではない。 

にもかかわらず、夫を「自由自在 
にあやつる」というふうであった。 

皇后には夫を支配する意図など、 
カケラほどもなかったのだ。 

反対に従順であることのみ努めて 
いた。その徳へのリアクションと 
して、夫のほうも、従順になった、 
ということであった。 

つまり、夫の姿は、彼女のそれの 
“写し”であったわけである。 

もしこの皇后が支配欲の強い女性 
で、“女上位”式に皇帝を支配しよ 
うとしたのであったら、 

夫はこれの“写し”となって夫婦 
仲にヒビが入り・・・ということ 
になったはずである。 

つまり、この皇后は、「やさしい夫 
をもつ」という妻の幸福、女のしあ 
わせを、自分で創りだしたわけで 
ある。 

こういう男と縁を結んだことが幸運 
・・・というだけのことだけでは 
なかったのだ。 

やはり、モンテーニュがいったよ 
うに、夫は妻にとって(その逆も 
また)人生の材料にすぎず、 

これに彫刻をしてゆくのは自分 
自信である。 

幸福を刻むのも自分、不幸を彫る 
のもまた自分なのだ。 

人生において「自分が効く領域」 
は、常識で思うよりはるか以上 
に大きいようだ。 


「相手の心がパッと開く場合」

2021年01月07日 11時54分48秒 | owarai

“マイナスの言葉”で相手の 
心がパッと開く場合がありま 
す。 

ある女性が、久しぶりに女友 
だち数人と集まって、レスト 
ランで食事を楽しんでいたと 
きのことです。 

ひとりの友人が、「最近、いい 
恋愛をしてる?」と尋ねられて、 

「いやー全然縁がないのよ。 
もう恋愛運は使い果たした 
かも」 

と冗談めかして言ったところ、 
みんな爆笑して「私もよ!」 
と一気に話が盛り上がりました。 

彼女の言葉が本当だったのか、 
冗談だったのかわかりません 
が、 

「全然ダメよ」というマイナス 
の言葉が、その場の雰囲気をな 
ごやかにしたのは間違いありま 
せん。 

マイナスの言葉でも、ユーモア 
にあふれていて、発した人の 
気持が明るくボジティブであれ 
ば、悪い未来を引き寄せること 
はありません。 

マイナスの言葉がマイナスの 
想念として潜在意識にインプ 
ットされることもありません。 

何より、周りから共感を得る 
ことができて、お互いの新密 
度がグンと増します。 

マイナスの言葉も、使い方 
次第というわけです。 

ネガティブな方向に話題を 
変えられないのなら、むしろ 
それに上手に乗っかってしま 
いましょう。 

・ ・・人の失敗談って、なん 
だか聞きたくなりますよね。


「小さくても自分の花を咲かせる」

2021年01月07日 05時42分28秒 | owarai

一羽のオウムがエサをさがし 
ながら道に迷い、奥山へまぎれ 
こみました。 

日が暮れてあたりが暗くなって 
きて、我が家の方向さえわから 
ず途方にくれていたとき、奥山 
の鳥や獣が出てきて、 

「オウム君、君は道を間違えたの 
だ。今からでは帰れない。明日送 
ってあげるから、今夜はボクたち 
のねぐらへおいでよ」と親切に案 
内し、 

「ここに木の実があるから、お腹 
いっぱい食べなさい。ここにはお 
いしい湧き水あるよ」と教え、 

そのうえオウムが寂しくてはいけ 
ないからと皆でオウムのまわりを 
囲むようにして寝てくれました。 

オウムは安心して、ぐっすり休む 
ことができ、翌朝、無事に古巣に 
もどることができました。 

それから数日たったある日、懐か 
しい奥山のほうを見ると、親切な 
鳥や獣たちの住む山あたりから色 
濃い煙が立ち上っています。 

いまや全山が火事になっているで 
はありせんか。すぐさまオウムは 
谷川に舞い降りて、全身を濡らし 
て飛び立ちました。 

火事の上で身をふって、2~3滴 
の水を落としこれを休みなく繰り 
返していました。 

このとき、このありさまを谷川の 
ほとりの木の上で、さっきから見 
ていた他の鳥たちが、あざ笑うよ 
うに言いました。 

「君のもって行くその僅か2~3 
滴の水であの大山火事が消えると 
思うのか。骨折り損のくたびれも 
うけとは、そういうことだ」 

このときオウムは、 
「私のもって行く水は僅かです。 
あの大火事は消えないかもしれま 
せん。でもあの火の中に、私にこ 

のうえなく親切にし、助けてくれた 
友だちが、いま苦しんでいるかと思 
うと私は止めることはできません。 

私は、水を運びます」 
と言って、せっせと水運びをつづけ 
ました。 

すると、一天にわかにかき曇り、大 
雨がザアーッと降り出し、さしもの 
大火事も忽ち消えてしまいました。 
「雑宝蔵経」 
という仏教説法 

この説法は、人間なら、つまりあな 
たならどうするだろうという問いかけ 
を、オウムの行動を通しています。 

いまの世の中では、主役のオウムを 
“バカなオウム=人間”と嘲笑う鳥 
たちのほうが“利口な鳥=利口な 
人々“であり、賢明な生き方であり、 
圧倒的な多数派だろうと思います。 

ある大病院で看護婦をしている女性 
が、本当は朝、午後、夜勤と3交換 
制で看護婦不足の中で、時間を超え 

て、熱心に病室を巡回して一晩中、 
見守ってあげて、他の看護婦さんか 
ら、非難・中傷の対象となりました。 

彼女の行為が、看護婦さん全体の労働 
条件改善闘争のさまだげになる、彼女 
ひとりががんばってもすべての患者さん 
を救えるわけではないからはじまって、 
彼女ひとりがいい娘になろうとしている 
とか・・・・。 

このときお寺で説法を受けた話です。 

『悟りとは、小さくてもいい 
自分の花を咲かせることだ』 

どんな小さな花でもいい 
誰のものでもない 
独自の花を咲かせることだ 

他の人々からどう嘲笑われて 
も、認められなくても、無駄 
骨になってもいい。 

その看護婦さん独自の、小さい 
ながらも世にも美しい花を、い 
つまでも咲かせつづけてほしい。 

そして、その小さな花が、やがて 
世の中いっぱいに咲きひろがること 
を願いながら・・・。 


予定にないこと

2021年01月07日 05時38分10秒 | owarai

「家で死にたいんじゃありません。 
家で暮らし続けたいんです」

     ※ 

「ペットの最後は自宅で死なせる 
べきです。 
ペットでなくても、飼ってる人間 
だって同じことだと思います」

     ※ 

「子供ってのは―― 
親が死ぬってことが予定にない 
んですね。 
だから親に死なれると、自分も 
死ぬんだという実感がドーンと 
きますね」 

     ※

「死んだら他人の世話になるん 
だから、生きている間に他人の 
世話をしとかなきゃね」

     ※ 

「死ぬ前になりますと、人間は 
炭酸ガスが増えるんです。 
この炭酸ガスに麻酔性がありま 
すから、最後はそれほど苦しまず 
に終わるようにできているんです」 

     ※ 

「死ぬということには 
ベテランや名人はいません。 
死ぬのはみんな初心者です」 


愛よりも優しく

2021年01月07日 05時36分44秒 | owarai

あれから、十二年という歳月が 
流れた。 

あの日、あの夜、闇の底を生き 
物のように流れる河のほかには 
何もない、 

閉散とした駅のプラットホーム 
に、おそらく永遠に取り戻すこ 
とのできない何かを置き忘れた 
まま、わたしはもうすぐ、三十 
五歳になろうとしている。 

こうして、スピードを上げながら 
西へ西へ向かう新幹線の中でひと 
り、遠ざかってゆく景色を眺めて 
ると、記憶の虚空(こくう)から、 

はらはらとこぼれ落ちてくるのは 
あの年の記憶だけだ。あの年その 
ものが、わたしにとって八番目の 
曜日であり、十三番目の月だった 
のかもしれない。 

今はもう、痛みは感じない。そこ 
にはひと粒の涙も、ひとかけらの 
悲しみ宿っていない。あのひとの 
記憶は愛よりも優しく、水よりも 
透明な結晶となって、わたしの心 
の海に沈んでいる。 

この十二年のあいだに、わたしは 
いくつかの恋をした。 

出会いがあって、相手を求め、求 
められ、愛しいと感じ、結ばれた。 
二十七の時には、結婚もした。 
不幸にも、夫に好きな人ができ 
てしまったため、その結婚はた 
った二年で壊れてしまったけれ 
ど、それでも二年間、わたしは 
とても幸せだった。 

ただ、どんなに深い幸せを感じ、 
それに酔い痴れている時でも、 
わたしの躰の中に一ヶ所だけ、 
ぴたりと扉の閉じられた、小 
部屋のような領域があった。 

扉を無理矢理こじあけると、 
そこには光も酸素もなく、 
植物も動物も死に絶えた、 
凍てついた土地がだけが 
広がっている。 

だからうっかりドアをあけた 
人たちは、酸素と息苦しさに 
身を縮め、わたしから去って 
いく。離婚の本当の原因は、 
もしかしたらわたしの方に 
あったのかもしれない。 

こんな言い方が許されるな 
らば、わたしは誰かに躰を 
赦(ゆる)しても、心を救 
したことはなかった。 


YouTube 
alan / BALLAD ~名もなき恋のうた~ 

https://www.youtube.com/watch?v=YTuiEbkXJS0 


『期限切れの定期券』 Ⅳ

2021年01月07日 05時36分15秒 | owarai

そのころ、「思い出」を自分の
そばに置いたり、所有したり、
身に着けたりすることに執着
していてわたしは、

使いかけの消しゴムやボール
ペンや百円ライターをもらっ
て、それらを宝物のように大切
にしたり、

とにかく優しい人が使ったもの、
触れたもの、捨てようとして
いるものを、事あるごとに、

「それ頂戴」と言って、自分の
ものにした。

たとえばわたしは、優しい人が
使っていた定期券を、期限が
切れるたびにもらって、自分の
定期入れの中に仕舞い込んで
いた。

電車でキセルと間違えられた
とき彼の期限切れの定期券を
取り上げられそうになって、

わたしは悲しかった。

ただ、悲しかった。優しい人の
使った定期券。わたしに会いに
くるために使われた定期券。

離れ離れになっているなって
いるときはには、優しい人を
少しでも身近に感じていたいと
いうこと。そんなささやかな
願い。

そんな慎ましい願望が、なぜ
許されないのか。

幸いなことにわたしはその夜、
厳重注意だけで罪は問われず、
開放された。

けれども、わたしの大切な定
期券はすべて没収された。
わたしにとってそれらは、
掛け替えのないお守りだった。

わたしはいったい何を守ろう
としていたのか。

守るべきものはあったのか。
おそらくそれはわたしの
「思い出の――」
を守ってくれる、お守りだった。

わたしの暮らしていた部屋の中
なかで、亡くなったもの、失わ
たもの、を数え上げてみれば、
きりがない。

愛情も欲望も喜びも悲しみも、
空を飛べる鳥も、水に住める
魚も、思い出も、わたしの部屋
のなかではまるで死ぬために、

生まれてきたようなものだった。
そしてわたしは最後の最期(さ
いご)に、優しい人との生活を
失うことになる。

いいえ、失ったのではない。
自らの手で、わたしはそれを
葬ったのだ。わたしは妊娠し
た美しい希望を、葬るのと
同時に。