食べ物も恋も
すべての出会いは
不意にやってくる
ランチはサラダとスープ
だけど
先刻まで思い定めていた
のに
いま青山のまい泉でトン
カツを
幸福に咀嚼(そしゃく)し
ている
それについて説明はできない
人生について説明でき
ないように
※まい泉は元の銭湯を
そのまま居ぬきで使用。
だから天井が高い。
お釈迦さまは、2400年前に、
「人生は意(おも)った通り
になる」と言っている。
真剣に正しく考えて、平素よ
り信じて念(おも)い続けて
おれば、その通りになるのが
人生である。
しかし、意外と「あなたの希望
は何ですか」と問いかけると、
「何かをしたいのだが何をし
たらよいのかわからない」と
考える人が意外と多い。
そんな人は、考えてみたとこ
ろですぐにわかる問題では
ないのだから、当分の間あ
れこれ考えることを一切や
めてみるといいと思います。
そして、その期間はいろい
ろなことを思い切りやって
みることです。
そうしている間に、遊ぶこ
とにいいかげん飽きてきて、
真剣なものだけが残るでし
ょう。
その中にきっと何かが見え
てくるはずです。中途半端
がいちばんダメです。
待ち合わせの10分前に
着いたら、もう待ってい
たこと。
動物園のゾウが友達に
似てたこと。
デパートで帽子をたくさ
ん試着しあったこと。
偶然見つけた小さな神社
で拍手を打ったこと。
とんこつラーメンとつけ
めんを頼んで半分こした
こと。
展望台から見た夕陽が
きれいすぎたこと。
電車の中から手をふった
窓ガラスが息でくもった
こと。
改札のざわめきも、頬に
あたる風も、
たとえ何年経っても、
思い出せそうな気がする。
どんなにささやかでも、
自分で動いたこと、
だれかと感じたことは、
消えないのだから。
携帯電話が発明されて
LINEが発明されて
人間たちは 携帯電話の鳴
らない LINEの着信しない
さみしさ を 発明してしま
ったんだね
すこしまえ 留守番電話が発
明されて 用件のない日の
さみしさ が発明されたよう
に 郵便さえ 手紙の届かな
い さみしさ の発明だった
かもしれない
だから むかしがよかった
というのではなく こうして
この駅で君と待ち合わせて
いることが ぼくは好きだ
それはきっと 変わらない
誰だって こうして 現れる
ひとを待つことは 現れる
ひとのいることは ただ
むかしなら 10分でも
20分でも へいきだった
いまは 携帯電話のつなが
らない 心配 も 発明され
てしまったから どうしたの
かな まだ電車のなか なのだ
ろう と思いつつ 待っている
変わらない たとえ何が発明さ
れたって もうすぐ 現れる君
を待っている この人ごみに
君を捜す リアルな時間が僕
は好きだ ちょっと遅れて
ちょっと心配して でも現れる
きっとすぐに駆けてくる その
確かさが 手をのばせば さわ
れる君の 手をとって あるき
だす
あれこれ迷う 君の買いもの
君の気にいる そのシャツの
そのてざわりや えりの
かたち そういうことの
ひとつひとつが かけがえの
ない 消去されない まいに
ちになる 目の前にある
てざわりのある 時間の ひと
こまひとこまが 誰だって 欲
しいんだ
ほんんとうは だから こうして
この駅で
(・・・それにしても 遅いな)
悲しいときは、思いきり
悲しむ。寂しいときは、
思いきり寂しむ。
それが私のモットーだ。
ほかのことを考えて気を
まぎらわしたり、悲しい
ことから目をそらしたり
していると、立ちなおる
のが、よけい遅くなって
しまうような気がする。
じっくり悲しみ、とこと
ん寂しんでこそ、その辛
さから抜けられるのでは
ないだろうか。
だから、泣きたいたきも、
思いきり泣く、そうして
いるうちに、涙が心のなか
のいろんなホコリやざら
ざらを洗い流してくれる。
あ、抜けたな、と思える
朝がくる。昨日までのこと
より、明日のことを見てい
る自分がいる。そんなとき、
新しい予感を運ぶように、
何かのつぼみを感じたり
する。
一瞬が積みかさなって、
一生をつくる。だとし
たら、
それは美しい一瞬であ
ってほしいと思います。
喜怒哀楽をたいせつに。
こころとからだの声を
信じて、結果的に楽し
く生きること。
そういう瞬間を集めて、
人生は美しさを増し、
続いてゆくのかもしれ
ません。
たとえば、「すましてい
るより動いている方が、
意外にいい顔している」
とか
いつだって女性の可能性
を信じ一瞬の表情の美しさ
が、永遠でありますように。