夢の中では、私の季節はいつ
も秋。
コスモスは花盛りで、甘い
香りを放ち、あたりには、記
憶と欲望が優しく混ざり合い、
睦み合い、光のシャワーとな
って、降り注いでいる。
まるでT.S.エリオットの小説
のように。そんな春のまんな
かに立ち、私はヴィーナスの
ように、その瞬間が訪れるの
を待っている。
YoiuTube
清水 翔太 feat.仲宗根 泉(HY) 『366日 Short Ver.』
https:/
夢の中では、私の季節はいつ
も秋。
コスモスは花盛りで、甘い
香りを放ち、あたりには、記
憶と欲望が優しく混ざり合い、
睦み合い、光のシャワーとな
って、降り注いでいる。
まるでT.S.エリオットの小説
のように。そんな春のまんな
かに立ち、私はヴィーナスの
ように、その瞬間が訪れるの
を待っている。
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清水 翔太 feat.仲宗根 泉(HY) 『366日 Short Ver.』
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「堪忍は無事長久の基」という
のがあります。
私たちは、どうも修行が足りない
のか、何かおもしろいことが
あると、老いも若きも、「アタマ
にきた」と、すぐ怒りだして
います。
雨に洗われた若竹は青々として
いて、伸びやかなうえに、い
かにもしなやかでいいものです。
若竹は竹の子が出たかと思う
と、メキメキと大きく高く
伸びて驚くばかりです。
ところが、竹笛などを作るとき
は、この若竹は絶対に使いま
せん。
何年も霜をくぐり、雪に耐え、
霧に濡れ、みぞれに打たれ、
いわば風雪に耐え抜いた竹
を選び抜いて作るのです。
若竹は見た目のは伸びがあり、
美しいのですが、竹の質が
粗く、細工は楽ですが、ひび
割れしたり、虫が食いやすい
のです。
そのうえ、最も大切な音色が
まったく違うのですから不思
議なものです。
みなんさんも竹笛を見たこと
ことがあるでしょうか、青々
とした若竹はなかったでしょう。
音色のよい、重量感のある竹
笛・・・・
そうです。風雪に耐え抜いた竹
のように、私たちも、すぐ腹を
立てないで、“無事長久の基”
である堪忍竹になりたいもの
です。
小さなことにいちいち腹を
立て怒りをぶちまけるのは
もうヤメにしましょう。
気にくわないことが起こっ
たとしてもグッとこらえて、
相手を思いやれる心を自分
の中に育てていこうでは
ありませんか。
そしてひとたび口を開けば、
説得力のある充実した話を
したいものです。
不安になると、
「心の拠り所が欲しい」
と願う。
他力本願が通用しないと
思うと、「自分で自分を救う」
という自力本願に目が向く。
戦国時代、「自分の心の拠
り所として懸命になって取り
入れたのが「禅」。
禅のひとつの特性は、「あの
世の存在よりも、この世に
おける自己努力を重視する」
ということだ。
つまり、
「自分で自分を救う」ということ。
そのためには、キビシイ心身の
錬磨を必要とする。
極限まで行えば、一種のマゾヒ
ズムに到達する。
これによって、
「危機の克服と新しい状況の
突破口「を得た。
死ぬか生きるかの瀬戸際
今の時代に通じるのでは
ないか。
思いが強すぎて相手にも
同じ気持ちを求めてしま
ったり、相手の本音を恐
れて逃げてしまったり・・・
素直になれない自分に
腹が立つのは、相手に
頼り過ぎているとき、もし
くは相手を信頼できていな
いときかもしれません。
YouTube
Mariya Takeuchi Plastic Love 竹内 まりや
https://www.youtube.com/watch?v=9Gj47G2e1Jc
人生はよく旅にたとえられ
ますが、本はときどき、その
目的地へのヒントを与えて
くれます。
1969年5月16日、松尾芭蕉
が「奥の細道」の旅に出ました。
「月日は百代(はくたい)の過客
(かかく)にして、行(ゆき)かふ
年も又旅人也(またたびとなり)
。」という書き出しは有名ですね。