ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「“一片のさつまいも弁当”が心の財産」

2021年12月16日 11時52分08秒 | owarai

芹沢光治朗の自伝的大作『人間の運命』
の中で、主人公の次郎はこう語っている。

「子ども心に、財産とは何であろうか、
その財産を神に捧げたいということは
どういうことか、貧乏になって不幸だ
と大人の言うのはどういう意味か、

必死に考えた。自分は貧乏であると
知っているが、そのために裸足で
学校に行き、一片のさつまいもを
弁当にしても、教室で学んだり、

運動場で騒いだり、下校の途上喧嘩
をしたりして、幸せである。

貧乏のために、学校から帰っても、
海辺へ打ち上げられる木片を拾いに
行き、林や山へ落ち葉をかきに行か
なければならないが、

未開人のように自然の中に、自由に
生きていて、幸せである。

それなのに、大人はなぜ不幸であろう
かと、真剣に考えた・・・・」

今私たちは、確かに物質的には豊に
なりました。食べ物は、世界中のもの
が季節に関係なく食べられます。

寒さ暑さも、エアコンのお蔭で快適
にしのげるようになりました。
移動も、車や電車、飛行機で世界中
を簡単にできます。

でも、豊かな自然は消え、人間関係は
ギスギスしています。それが本当の
幸せなのでしょうか?


「見放したとき、本当に手遅れになる」

2021年12月16日 11時47分47秒 | owarai

ある園芸師が、「木って不思議な
ものです。庭の手入れをしていて、
ああこの木はもう駄目だろうなと
思うと、

不思議とその木は急速に衰えていき
ます」と言っていた。

心がないと思われる樹木でさえも、
人間に見放されると生きる力を
失っていく。

ましてや、人間であれば、親や
上司が〇〇〇だから・・・と
絶望してしまっては、子どもや
部下は自分の可能性を伸ばすこと
はとうていできない。

私は若くして脳内出血で倒れ、
慶應病院に運ばれ一命を取り
留めたが、ハンディが残ると
宣告された。

ヨーロッパの文献から三か月
で回復出来たことが、それ以
降は急速に回復がおくれ、
同じ回復を10年以上かけて
やることになると情報を得た。

会社も一年待つダメなら二年
待つと言ってもらえ、給料も
倒れる前と同額払うと・・・・。

歩く以外治せないことを知り、
毎日、台風の中も30km
激頭痛(一日23時間)と共に
足を引きずりながら歩き8か月で
奇跡的に完治した。

京都大学名誉教授の大島清さんは、
「人間の能というのは、非情に
柔軟です。たとえば、

ハンディキャップの知恵遅れの
子どもができたからといって、
悲しむことはない。

他の脳がちゃんと代償してくれる
んですよ。だから、知恵遅れであ
っても、

本当に良い環境を与えれ
ば、必ずある程度まで回復する
のです」と語る。

生まれたとき知恵遅れの子でも、
絶えず良い環境に置かれ、良い
刺激が与えられるならば(周り
の人の愛とコミニュケーション)、
脳は思いがけなく発達するのです。

ましてや、もともと知恵ある子なら。

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「方人」  ーかたうどー

2021年12月16日 08時42分29秒 | owarai

ずっと きみの味方でいるよ 
絶好調で飛ばしているときも 
死にたいくらい沈んでいると 
きも 
帰ってこれる 場所でいる 

【運動会には「赤の方人」 
「白の方人」】 
苦しとき、つらいとき、そばで 
支えて励ましてくれる仲間がいる 
のはとても心強いものです。 

そんな仲間や味方のことを 
「方人」といいます。 

平安の昔、二つチームに分かれて、 
持ち寄った絵のすばらしさを争う 
「絵合」、どちらのチームが持って 
きたあやめの根が長いかを争う 
「根合」、 

どちらがよりすばらし 
い歌を詠むかという「歌合」など 
の遊びがありました。 

そのときの同じチームの仲間を 
「方人」といったのが由来といわれ 
ます。もとは一緒にがんばる仲間を 
さしていたようですが、 

現在では一方をひいきする人のこと 
も「方人」といいます。


♀と♂のほうそく

2021年12月16日 08時40分12秒 | owarai

「いい男と
いい恋愛は、おんなを綺麗に
する」

「わるい男と腐れ縁は、
おんなを死ぬほど ブスにする」


「遠くの王子様より
 近くの あのヒト」

「バストはツカミで
 香水とヒップ(ランンジェリ)で 
おとす」

「古い下着に、恋は遠のく」


「ときめくと、胸はふくらみ
(=ブラに気をつかう)

 愛すると、見えないトコにも
気をつかう」


川の流れのように

2021年12月16日 08時38分54秒 | owarai

いくつもの災難に見舞われ 
たら、「もうこれ以上悪くなら 
ない。あとはよくなるだけ」と 
考え、事の成り行きを天にま 
かせる気持で生きましょ。 

 この世は、「光と影」「水と影」 
「火と水」「昼と夜」「晴天と雨 
天」「誕生と死」「右と左」と 
いった具合に、すべて陽と陰 
の関係で成り立っている。 

永久にどちらか一方だけに 
片寄ることはないし、 
災難に立てつづけに見舞われ 
たなら、今度はとても大きな幸 
運に向かって展開していく、 
不幸のどん底に陥ったときこ 
そ、 

「これからは幸福の頂点に向か 
って突き進むだけ」と考え、 
ゆったり構えましょうよ。 

「希望」の光が、自分の行く先を 
照らしてくれるんだから。

 

 

真夜中の雨音 ―完―

2021年12月16日 08時34分25秒 | owarai

ああ、でも、彼からの連絡は今、 
途絶えているんです。ずっと 
電話を待っているんだけど、 
かかってこないんです。 
そう言いそうになるのを、懸命 
に堪えた。 

言ってはならない。この人には 
絶対に。なぜだか、そう思った。 

いったん口に出してしまうと、 
現実が牙をむいて、わたしに 
迫ってくるような気がする。 

いいえ、そうではない。牙を 
むいてわたしに襲いかかって 
くるのは、わたしの邪心。 
あのひとを信じたいのに、信 
じられない弱い心。 

それから短い時間、わたした 
ちは他愛ない世間話をした。 
テーブルの上の小皿はすべて 
空になり、代わりに、和やか 
な空気だけがふんわりと残っ 
ていた。 

テーブルの陰で腕時計に目を 
落とすと、すでに十ニ時近く 
になっていた。 
「じゃあ、そろそろ」 
芦川さんが先に腰を浮かせた。 

「わたしはここから歩いて帰り 
ます。十五分ほどの距離ですか 
ら」 
と、わたしは言った。 
「そうですか。それならせめて、 
アパートまで送らせて下さい」 

ふたつの傘で、歩いた。切り通 
しのゆるやかな坂道。闇は深く、 
向かい風は冷たく、わたしたち 
の躰は傘ふたつ分離れていたし、 
激しい雨の中、言葉を交わすこ 
ともなかった・ 

なのに、わたしは芦川さんと 
「一緒にあるいている」と 
思うだけで、身のうちに、途方 
もなく暖かく、包みこまれてい 
るような居心地のよさを感じて 
いた。 

あとにも先にも、その時ほど 
強く「わたしとあのひとの距離」 
を感じたことはない。それは、 
絶望にも似た距離感だった。 
まるで、あのひとの存在その 
ものが、距離なのだと突きつけ 
られているような。 

「部屋はこの上です。今日は 
ありがとうございました」 
「俺の方こそ、桜木さんと飲め 
て、よかった。俺でよければまた 
いつでも・・・」 

そのあとを、芦川さんは言い淀 
んだ。言い淀んだまま、わたし 
に背を向け、今来た道を引き返し 
始めた。傘が右に、左に、揺れて 
いた。彼の躰はほどんど、ずぶ 
濡れだった。 

追いかけていって、背中から、 
声をかけてしまいそうになっ 
た。よかったらわたしの部屋 
で、温かいお茶でも飲んでい 
きませんかと。 

今夜、ひとりぼっちでいたく 
ないと、思っていた。ひとり 
ぼっちで、かかってこない 
電話を持っているのがいや 
だった。 

だから今夜だけ、芦川さんで 
なくても、かまわない。 

優しい誰か、穏やかな誰かに、 
そばにいて欲しい。 
そんな、ずるい、 
自分勝手で、どうしようもない 
女が、わたしの中で蠢(うごめ) 
いていた。 

雨は降り続いていた。 
あの日、佳代子は言った。愛 
は、帰る場所が同じ、ふたり 
のあいだにあると。朝まで隣 
に寄り添って眠る、ふたりの 
あいだにあると。 

「愛は他愛ない会話と、つない 
だ手のぬくもりの中にあるの。 
愛は一緒に歩いていくこと。 

愛は一緒に坂道を登っていく 
こと。だから愛は、狂お 
しくはないの。だから愛は、せ 
つなくないの」 
愛は、そばにいてと、願ったり 
しないの。 

願わなくとも、いつもそばに 
あるもの。 

「愛は、愛は、愛は」と、繰り返し 
ながら、降りしきる雨の中、わたし 
は芦川さんの姿がすっかり見えなく 
なってしまうまで、路上に立ち尽く 
していた。