ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

『もっと憎みなさい』

2022年06月28日 11時00分13秒 | owarai

もっと憎みなさい。恨みつらみや 
憎しみの対象が相手から自分に 
移る。相手から一瞬でも眼が 
免れる。 

それが救いになるのだから、自分 
を憎む、捨てた相手じゃなく。 

人間というものは他人に対しては 
理不尽に厳しいものだけど、こと 
自分自身のこととなると、大目に 
みたり甘やかしたりするのだ。 

他人に対する憎しみは長い間持続 
するけど、自分自身をそう長く憎み 
続けることは、不可能だ。 

すると、ある朝、あなたは急に、 
「もういいや」と、思う。 

もう疲れた、もう自分を許しちゃ 
おう、とこう思うわけ。そう 
やって傷は案外早く癒えていくのだ。


別れ際に投げつけた言葉。

2022年06月28日 10時57分46秒 | owarai

 

 

――もうあなたには会いたく
ないわ。
顔も見たくない。会いに来ないで。
電話もしないで―――

別れ際に投げつけた言葉。一字
一句間違わず覚えている。後悔
はしていない。本気でそう思っ
たし、今でもそう思っている。

あんな男、人生のひどい寄り道
だ。得たものなんて何ひとつな
い。失ったものばかり。

これで吹っきれた。みごとに
さばさばとした気分だ。こんな
簡単なのだったら、もっと早く
別れてしまうべきだった。

あんなにびくびくすること
なんてなかったのだ。

いったい何を恐れていたのだ
ろうか?独りぼっちになるこ
と?そんなことではない。

自分自身の孤独に関してなら
手に負えないことはないはずだ。
手に負えないのは他人の心。

あのひとが誰か別の女に心を
寄せること。その瞬間にみすて
られたような気持ちになるだろ
う。

別れてしまった後で、その別れた
男が別の女を愛するのが怖くて、
別れられなかった。

別れるのは良いが、彼が幸せに
なるのが許せなかった。別れた
直後は、しばらくの間喪に服し
てもらいたい。絶対に。



YouTube
Sunday Morning - Maroon 5 (Adikara Fardy feat. Algyle)

https://www.youtube.com/watch?v=_rSjGT1kj_U&list=RDhlsqsIW6gx8&index=2


優しい人 ―最終章― 

2022年06月28日 08時48分18秒 | owarai

 

雨と涙の混じったような夜風
の香りに包まれて、わたしは
優しい人に呼びかけていた。

また、会えたね。
わたしの、優しい人。
また、会えたね。
こんな場所で。

“わたしは、ここにいる
あなたも、ここにいる“

わたしたち、やっと
一緒になれたね。

橋を渡り終えてしばらく
走ってから、わたしは、脇道
から幹線道路に車をいれるた
めに、方向指示ランプを出し
ながら、車が途切れるのを待った。

幹線道路の車はなかなか途切れ
なかった。

なんとはなしに背筋を伸ばして、
バックミラーを覗いてみた。
銀色の鏡に宿った闇のなかから、
ぼんやり目を凝らして、それを
見た。

旅行鞄だ。路上に投げ出された、
二つの旅行鞄だ。社員旅行の最後
の日だ。わたしたちにとって、
初めての夜と初めての朝。

ふたりとも、社員旅行の日程
を一日だけ多く、家族に伝え
てある。そこのバスに乗って、
京都駅まで行けば、そこで
職場の人たちと解散があって、
そこから、ふたりの時間がは
じまる。

やっと車が途切れた。
わたしはアクセルを踏み込みな
がらハンドルを切って、幹線
道路に車を入れた。

次の瞬間、対抗車線を、大型トラ
ックが轟音を響かせて、通り過ぎ
ていった。その轟音に巻き込まれ
て、見えない壁に激突し、車ごと
粉々に破壊さて、死んでしまえた
らどんなに良いだろう。と、わた
しは思った。

この世で胸に刻んだ最後の記憶は
優しい人との思い出。死ぬ直前
までそばにいて、わたしの手を握
ってくれた優しい人を連れ、

旅行鞄ふたつで別の世界に旅立つ
ことができたなら、どんなに素晴
らしいだろう、と。

むかしむかし・・・・
少女のころ、わたしを夢中にさせ
たのは、そんな言葉で始まる物語
だった。物語のつづられた本を、
心ゆくまで読みふける贅沢な時間
だった。

大人になってから、わたしを夢中
にさせたのは、心ゆくまで好きな
ひとを思い、その思いを生きる、
ということだった。

遠いむかしに、わたしはそれを
生きた。そして今も生きている。
地の果てで、独りぼっちの不完全
な死体として。


「自分で箸を取れ」

2022年06月28日 08時45分30秒 | owarai

 

「何かひと仕事をしようとする者 
は、自分で箸を取らなければ駄目 
である」/ 渋沢栄一 

「もっとやりがいのある仕事がした 
い」「もっとできる上司の下で働きた 
い」「こんな会社なんか」・・・。 

昔も今も、サラリーマンに会社への 
不平不満はつきものだ。とくに若い 
うちは、誰しも自信過剰気味なだけ 
に、なおさらだ。 

だが、会社は学校ではない。仕事は 
教わるものではなく、どんな職業も、 
結局は道を切り拓いてゆくしかない。 

経験の浅いうちは会社や上司がお膳 
立てをしてくれるかもしれないが、 
そこから先は本人次第。 

やる気のある人間には、いくらでも 
能力を発揮するチャンスが用意され 
ているものだ。それを見過ごしは 
ならない。 

役に立つ青年はちょうど磁石のよう 
なもので、人に頼んで仕事を与えて 
もらわなくとも、自分に仕事を引き 
付けるだけの力を持っている 

栄一は大人物の例に豊臣秀吉を挙げ 
ている。秀吉は、一介の匹夫(ひっぷ) 
から身を起こして、信長にその才を 
認められ、関白まで登りつめた。 

だが彼は決して信長に養っても 
らったわけではない。 

信長は懇切に人の面倒を見るほ 
ど甘い人間ではなく、またそん 
な暇もなかった。 

彼が秀吉の前に最初に用意した 
のは「草履取り」といういかにも 
貧相な献立だった。だが、秀吉 
は喜んでそれに箸をつけた。 

要するに、秀吉はつねにみずから 
箸を取り、最後は天下統一という 
ご馳走を頬張ったのである。