ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

『嬉しかった』

2023年02月13日 12時25分22秒 | owarai
根こそぎ自分をどこかに持って
いかれるような、心許ない感覚。
心許ないのに、それは限りなく
純粋で、石のように確かだった。

私たちは一度も、言葉でその
ことを確かめ合ったりしなか
ったけれど、それはそのこと
が、あまりにも明らかな、
いわば自明の理だったから。

好きだと言う必要もないほど、
好きだった。

もしもわたしがこの人を好きになってしまったら。

2023年02月13日 12時23分49秒 | owarai
それは脈絡無く胸の中を
通り抜けていった。

まるで不意打ちのような
「仮定」だった。


エレベーターの扉が閉まり、
降下を始めた。
彼もわたしも、何も話さな
かった。

どこの階にも止まらず、抗い難い
速度で、まっすぐに地下まで
降りていく狭い箱の中で、
わたしはひとり、息を潜めて
聞いていた。

メトロノームのように行き来き
する言葉を。わたしの声を。

もしもわたしがこの人を好きに
なってしまったら。



※抗い難い(あらいがたい)

さからえない(さからいにくい)


その雪の白さを、写し取ったような封筒

2023年02月13日 12時11分46秒 | owarai
子供時代、私たちは身体的でも
精神的にも目覚ましく成長しま
す。

しかしある年齢に達すると、成
長はあまり目に見えないものと
なるため、成績が上がったり、

給料が増えたり、資格を取得し
たりすることだけが、成長の
証のように思い込みがちです。

しかし、国の成熟度が経済的
数値だけでは表し切れないよ
うに、人の成長も社会的尺度
だけでは計れらません。

それは、精神的成長を数値で
示すことが不可能だからです。

しかもたとえば病いやリスト
ラのように一見マイナスに
思えることが、実はその人の
人間的成長を促す大きなきっ
かけとなる可能性も少なく
ありません。

人は人生のなかで、前へ進む
だけでなく、ときに立ち止ま
ったり、回り道をしたりする
もの。

しかしそれでも視線を前へ
向けている限り、いつまでも
成長し続けることができるは
ずです。


好きでいさせて 

2023年02月13日 12時09分30秒 | owarai
両手で顔を覆ったまま、あのひと
に呼びかけた。

日本にいるあのひとに?いいえ、

わたしを取り囲むこの暗闇と、肩
や膝に舞い降りてくる雪の、その
結晶の、すべての粒子の中に
棲んでいる、
今、ここにいるあのひとに。

ずっと、好きだった。
今までずっと、好きだった。

あなたに別の人との暮らしがあり、
あなたに別の人生があったとし
ても、わたしは、あなたがくれた
言葉を、想いを、決して忘れは
しない。

わたしたちは、ここではないど
こかで、別の惑星で、深くつな
がり、愛し合っていたのだと。
そんなおとぎ話を信じていたい。

今はそう信じさせて。
好きでいさせて。
お願いだから。
これからも、ずっと。



「遠 恋」 愛よりも優しく ―最終章―
あれから―――

スケジュールうまくあわない今月はふらんすよりもとおいよ あなた

2023年02月13日 12時08分16秒 | owarai
後になって「あれはこうなる
べくしてなったんだ」
と思えるような“偶然”と
いうのがあります。

偶然の力を信じていると、そ
のような意味のある偶然が
次々と身の回りで起こり始め、

その偶然がまた新たな偶然を
呼ぶようになります。

それを「偶然力」と呼ぶので
すが、この力を身につけるに
は、なんでもいいから、

とにかく行動を起こすこと
です。

家でじっとしていても
偶然の神さまはやってきません。
あなたにとっての
唯一の“優しいひと”も・・・・。


満員電車に揺られて、暮れなずむ空を映した窓の外に・・・

2023年02月13日 12時06分28秒 | owarai
わたしの乗っている電車と
並んで走っている中央線が
見える時、わたしは思わず
爪先立ちになり、首を伸ばして、

その電車に、わたしの尋ね人が
乗っていないかどうか、探して
いることがある。

わたしと同じように乗車口に
立ち、ガラス窓に額をくっつ
けて、その人もまた、

わたしの姿を探しているのでは
ないかと。
そんな奇跡など、起こるはずは
ないとわかっているのに。


花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった

2023年02月13日 12時04分02秒 | owarai
愛を告げるタイミングは、
むずかしい。

「よし、今日こそは」と思って
いても、相手がちっともそうい
う雰囲気でなかったりすると、
気勢がそがれてしまう。
頭の中で愛の言葉を必死になって
組み立てているところへ
「どうしたの?なんか今日
は元気ないじゃない。そうだ、
ぱーっとカラオケでも行ってみ
る?」なんて言われると、がっ
くり。

逆に夕暮れどきで港なんかがあ
って、あなりにもロマンチック
な状況というのも、また照れく
さい。「いかにも」すぎて、ひる
んでしまう。

さりげなく、さわやかに、いつも
の会話の延長のように伝えれたら
・・・・。その舞台として、花水
木の散歩道というのがいい。
季節は初夏。すらりとした街路樹
に、天からの光を受けとめる手の
ひらのような、白い花(正しくは
苞(ほう)。そこを歩いてゆく二人。
戸外で、動きがる。

僕は心のなかで「この花水木の道が
終わるまでに言おう」と決意する。
こういうときの期限やきっかけと
いうのは、人によってさまざまだ。
「信号が青になったら」だったり
「デザートを食べおわるまでに」
だったり。とにかく何か、自分の
背中をポンと押してくれるような、
えいっと踏み出せるような、そんな

合図。

並木道があれより長かったら、
決意が鈍ってしまったかもしれ
ない。並木道があれより短かっ
たら、勇気を出す時間が足りな
かったかもしれない。
―そこには、愛を告白するとき
の、微妙でデリケートな心情。

また、
性をからめた相聞歌なら、
「風を浴びきりきり舞いの曼珠
沙華(まんじゅしゃげ)抱きた
さはときに逢いたさを超ゆ」
「あたたかいからだのなかに倒
れたいバターナイフがめりこむ
ように」