ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「つながり」

2023年02月23日 12時35分14秒 | owarai
深山の断崖を飛躍する鷹を
みてごらん。
運命を誇らしげに両翼にみなぎら
せて宙を舞っている。

その姿は高貴だ。

人間をまったく無視して、
人間との
なれあいを断絶している。
そのような生きものの生き
ざまに、
私は人間として命のつながりを感じる

強運の持ち主は、実験をたくさんした人

2023年02月23日 12時33分00秒 | owarai
人生は、テストではなく、実験。
実験には、
予想通りの成功と
予想外の大発見しかない。

生きることは、テストではなくて、
実験なのです。
テストには、合格と不合格があり
ます。

ある予想を立てて、仮説通りの
結果が出だとしたら、その実験
は成功です。

ただし、自分が立てた予想とは、
まったく違う結果が出たとしても、
それは失敗ではありません。

予想した通りにならない時にこそ、
偉大な新発見が生まれる。

人生には、予想した通りの成功と、
自分の予想しなかった大発見の
ふた通りしかなりません。
いすれにしても成功なのです。


「納得いかない」を持ち越さず

2023年02月23日 12時06分05秒 | owarai
人はよく矛盾した行動をして

しまう。例えば、コロナ禍の

中で体重増加。「食べ過ぎは

健康に良くない」と思いなが

ら「食べる楽しさは生きる上

で価値がある」として同じ食

生活を送ってしまう。



そうした矛盾した行動につい

て、米国の心理学者フェステ

ィンガーは「認知的不協和」

という概念を提唱した。ま

わりからは一見矛盾とみら

れる行動でも、本人は理由を

とりつくろって納得している。

この状態が「協和」であり、

無意識もしくは意識的な防衛

機制により不快が減少し、精

神的な健康を保つ機能だ。



ただ、合理化した考え方が

うまくできないときは、自身

の中でも矛盾が生じる。これ

が「不協和音」という状態だ。

実は日常生活は不協和音で

あふれている。自分の売って

いる商品は良くないと思って

いるのに、仕事として客に販

売しなければならないときな

どだ。



頑張って働いたつもりなのに、

低評価を受け入れなければ

ならないときも、なかなか

腑(ふ)に落ちてくれない。



不協和音をそのままにして

おくと、精神衛生上は不愉

快なことが多い。そのため

「生活のため仕方ない」な

どと、とらえ方を工夫して、

少しでも協和に近づいて暮

らしている。社会に適応する

ための重要な機能ともいえる。



とはいえ本質的な問題解決に

つながるものではない。時間

がたつとさらに問題が大きく

なってしまうこともある。

冒頭の例では、精神衛生は保

てても身体疾患につながる。



時がたってもしこりが残る不

協和音の対処について2つの

方法がある。一つは合理化す

る考え方が他にないかを探る

こと。もう一つは行動そのも

のの変更。後者の方が決意や

意気込みが必要だが、問題

解決に近づきやすい。



アリストテレスが残したとさ

れる言葉に「我々の性格は我

々の行動の結果」というもの

がある。全般的な行動の変化

が難しいときは、どうしても

変えたくない部分以外のこと

からチャレンジしてみてはど

うか。大きな段差もまずは小

刻みに上がってみる感じで。

「愛されるより、愛する辛さ」

2023年02月23日 12時04分37秒 | owarai
男と女が出逢う。恋が芽生える。
けれども、どんなに相思相愛に
見える関係でも、ひとは同じ量
で愛し合うことは絶対にないの
だという。

どちらかがより多く愛し、どち
らかはより少なく愛するのだ。

別の言い方をすると、愛する役割
のほうと、愛される役割に、ほと
んど出逢いの最初の瞬間にわかれ
てしまう。

より多く相手を思っているほうが
愛する役割となるわけだ。

役割の傾向はつねに決まっている
のかと思うと、そうでもない。

自分自信の過去の恋愛を振り返っ
てみて、あのとき愛されるほうだ
った、しかし次のときには完全に
私がより多く愛する役割を演じて
いたと、思いあたる。

相手によってちがうわけだった。

私はどちらかというと、愛する
役割のほうをよけいに体験した
と思う。かぞえきれないほどの
片思いをのぞいての話。

相手はひたすら愛されて、いい
気持ちで、少し重荷で、安心しき
っていて、だんだん傲慢度をくわえて
いき、いよいよ冷淡になる。

相手のなかに理不尽な冷淡さがチラ
チラみえだすと、恋愛―――
少なくとも私自信の―――は、急速
に終わりに向かう。

あなたの愛の天秤は・・・!?

答えなんてないのに 

2023年02月23日 12時02分17秒 | owarai
静寂が辺りを包み
ひとあしごとに私は
明日に近づき

心は昨日に連れもどされる
まちがった角を曲がり、
まちいがった選択をしたの
だろうか

答えなんてないのに
後悔してしまいそうになる

踏み出したこの道が
どこへ続くか
今は
深く考えないようにして
深緑のベールを薄く
一枚ずつ剥ぐように
深緑の夕暮れの奥へと
分け入る

まだ一度も起こしたことの
ない行動を

「誰かを思い」

2023年02月23日 11時57分30秒 | owarai
矢のようにすぎていく
油断するとあっという間

こんなに大切なことが
知らないうちにどんどん
流されていくとは知らなかった

気をひきしめなくては
油断したまま終わりがきそう

誰かを思い
せつなくなる時

その気持ちを大事にしよう

私をジャムにしたならばのどような香りが立つかブラウスを脱ぐ

2023年02月23日 11時55分15秒 | owarai
 いちごジャム、りんごジャム・・
・・・
くだものを煮詰めていると、ど
こにこんな香りの袋が隠されて
いたのか、と思われるほど、部
屋じゅうが、うっとりするよう
な甘い香りに包まれる。そして
その香りは、くだものによって、
さまざまだ。

 もし、「私」という果実をジャ
ムにしたなら、いったいどんな香
りがたつか、私のなかにはどんな香
りが秘められているか、甘くて
酸っぱくておいしいジャムにな
れるだろうか・・・・

実際にはありえない「もし」だ
が、空想としてはユニークで
ロマンチックな「もし」。

そしてまた、ナルシスティック
でエロティックな「もし」でも
ある。つまりその気分のなかに
は、今の自分を果実にたとえる
なら、ジャムにできるぐらい熟
れている、という意識があるし、
また、自分という果実を、これ
から食べようとしている相手の
存在も、見え隠れする。

 結局の「ブラウスを脱ぐ」は、
まるでくだものの皮を剝ぐよう
な、軽やかさだ。脱ぐ、という
動詞の現在形で、臨場感を出し
て読み手をちょっとどきっと
させた。
とことん愛されている、いや、
愛し合っているという自信が
なくては、こうはなれない。
エロティックではあるのだけれ
ど、そこには前向きの明るさ
が漂うのを感じとって欲しい。
セックス前の一場面をとらえ
た歌ととらえるなら、次にく
る一首は、

雨上がりの楓(かえで)のように
ぬれしままに君が浴室よりも
どりくる

目をそらすでもなく、変に見
つめてしまうわけでもない。
「普通の」視線が、ここにはあ
る。肩の力が、抜けているのだ。
この普通さに歌の伸びやかさと、
無縁ではない。