ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

鬱積から脱した64年東京オリンピック

2023年02月20日 12時07分45秒 | owarai
前回の東京大会は、それ

でも商業主義一色の近年

よりずっと簡素だった。

1964年の東京のとき、三

島由紀夫は大忙しだった。



いくつかの新聞社に頼まれ、

連日、観戦記を書いたので

ある。有名なのは開会式の

ルポだ。「やはりオリンピ

ックをやってよかった。

これをやらなかったら日本

人は病気になる」。偽らざる

心境だったろう。



かつて、戦争のために大会

返上を余儀なくされた歴史

が東京にはある。そのリベ

ンジとしての「64年」を

三島は強く意識したのだ。

「これでようやく日本人の

胸のうちから、オリンピック

とういう長年うっ積していた

観念が、みごとに開放された。

この成功体験から、戦後日本

は五輪に特別な意味を見だし

て現在に至る。



そういう価値観は、しかし

徐々にすたれていたのだろ

う。コロナ禍はこんどの大

会への熱をひどく冷まして

いるが、案外それ以前から、

人々の意識は変わりつつあ

ったに違いない。組織委員

会会長の方言と、後任選び

の醜態は「五輪ムラ」自体

の旧弊をあらわにした。変

化に適応できなかったマン

モスのようだ。



前回の開会式は90分ほどで

ある。「64年」にこだわる

なら、むしろそこに目を向

けたい。半世紀前に三島は、

五輪開催によって日本が

長年の鬱積から解放された

と喜んだ。いまのこの国は、

壮大な祭典こそ五輪という

固定観念から解放されなけ

ればなるまい。

媚びない

2023年02月20日 12時03分49秒 | owarai
男性に媚びるためのアクセサ
リーやオーデコロンを否定す
る女たち。

自分自身のために、自分流の
やり方で、自分にオーデコロ
ンをつける。誰にも知られな
いおまじないように。

耳のうしろではあたりまえす
ぎるが、足首なら秘密めいた
雰囲気だ。

アンクレットという足首につ
けるアクセサリーは、とても
大人のもので、イヤリングや
ネックレスよりも上級編とい
う感じがするが、歌のオーデ
コロンは、見えないアンクレ
ットのようなものである。

“足首にオーデコロンをつけ
る日の私は

誰にも支配されない“

『恋恋』

2023年02月20日 11時59分48秒 | owarai
「恋恋」-れんれん- attacbment
いつまでも思い慕って、
思い切れないさま。

恋の栞
恋恋とした恋心は、綿綿とした
恨みつらみに繋がりがち。
執着ってここから始まる。

・・・・・♡・・・・・
愛において警戒しなければなら
ないのは、時間でも、飽満でも、
またどんな種類の倦怠でもなく
て、

むしろ幸福が与えてくれる安全
感であり、放心状態である。

この美しい女人が、つまりは
行旅の人であることを、つい
忘れてしまうのである。

ひとがそれを楽しむこと如何
に薄いかを響えてみれば、快晴
の日々を空しく消えるにまかせ
て、

ろくろく楽しまぬうちに、早く
も夏の逝くのに似ている。

もっとも、夏ならばまた立ち返
りもしようが。

愛をめぐる随想より
 -ジャック・シャルドンヌー

風に揺るる鞦韆(しゅせん)ひとつ傷つきしほど傷つけ来しと思えり

2023年02月20日 11時55分34秒 | owarai
鞦韆は、ぶらんこのこと。意味は
同じでも、語感はずいぶん違う。
「ぶらんこ」というと、それに
乗って遊ぶ子どもの可愛らしい
イメージがセットでついてくる
ような感じがするが、「鞦韆」と
いうと、もう少し硬質で大人の
物思いに寄り添うようなイメージ
がある。

ぽつんとある鞦韆が、風に揺れる
さまは、不安定な心にも似ている。
我自身の心が、今ゆらゆらしてい
る。その動きは、下の句の意味す
るところの象徴でもある。

前にだけ揺れる鞦韆はない。前に
揺れたら、その勢いで次は後ろに
いったら、今度は前に向かう。
人を傷つけたら、そのことによっ
て自分も傷つく。たとえば別れの
決意を相手に告げるとき、深く愛
しあった人であればあるほど、心
は痛むだろう。

後ろにいったら、今度は前へ向か
う。人に傷つけられたときは、そ
のことによってたぶん相手も傷つ
けている。そして結局落ちつくと
ころ、プラスマイナスゼロの地点
だ。

「自分がいやなことは、人にしな
いようにしましょう、と言います
よね。これはもっともなことです。
ただ、世界中の人がそのようにす
れば、世界は平和になります。
というのはどうでしょうか。
きれいごとですね。自分がいやで
なくても、人がいやなことという
のは、いくらでもありますし、も
ちろんその逆もある。そういうと
ころから、人は傷つけあってしま
うとうことを、きれいごとでなく
教えなくてはならないと思います」

自分は、あんなことこんなことで
傷ついてきたけれど、相手はそれ
ほど意識していないかもしれない。
そして同じように自分もどこかで
誰かを、そんなことこんなことで
傷つけてきたのだろう。まあ、そ
れをトータルすればプラスマイナ
スゼロってところかな・・・・。
「ほど」という語には、そんな
ニュアンスがある。