前回の東京大会は、それ
でも商業主義一色の近年
よりずっと簡素だった。
1964年の東京のとき、三
島由紀夫は大忙しだった。
いくつかの新聞社に頼まれ、
連日、観戦記を書いたので
ある。有名なのは開会式の
ルポだ。「やはりオリンピ
ックをやってよかった。
これをやらなかったら日本
人は病気になる」。偽らざる
心境だったろう。
かつて、戦争のために大会
返上を余儀なくされた歴史
が東京にはある。そのリベ
ンジとしての「64年」を
三島は強く意識したのだ。
「これでようやく日本人の
胸のうちから、オリンピック
とういう長年うっ積していた
観念が、みごとに開放された。
この成功体験から、戦後日本
は五輪に特別な意味を見だし
て現在に至る。
そういう価値観は、しかし
徐々にすたれていたのだろ
う。コロナ禍はこんどの大
会への熱をひどく冷まして
いるが、案外それ以前から、
人々の意識は変わりつつあ
ったに違いない。組織委員
会会長の方言と、後任選び
の醜態は「五輪ムラ」自体
の旧弊をあらわにした。変
化に適応できなかったマン
モスのようだ。
前回の開会式は90分ほどで
ある。「64年」にこだわる
なら、むしろそこに目を向
けたい。半世紀前に三島は、
五輪開催によって日本が
長年の鬱積から解放された
と喜んだ。いまのこの国は、
壮大な祭典こそ五輪という
固定観念から解放されなけ
ればなるまい。
でも商業主義一色の近年
よりずっと簡素だった。
1964年の東京のとき、三
島由紀夫は大忙しだった。
いくつかの新聞社に頼まれ、
連日、観戦記を書いたので
ある。有名なのは開会式の
ルポだ。「やはりオリンピ
ックをやってよかった。
これをやらなかったら日本
人は病気になる」。偽らざる
心境だったろう。
かつて、戦争のために大会
返上を余儀なくされた歴史
が東京にはある。そのリベ
ンジとしての「64年」を
三島は強く意識したのだ。
「これでようやく日本人の
胸のうちから、オリンピック
とういう長年うっ積していた
観念が、みごとに開放された。
この成功体験から、戦後日本
は五輪に特別な意味を見だし
て現在に至る。
そういう価値観は、しかし
徐々にすたれていたのだろ
う。コロナ禍はこんどの大
会への熱をひどく冷まして
いるが、案外それ以前から、
人々の意識は変わりつつあ
ったに違いない。組織委員
会会長の方言と、後任選び
の醜態は「五輪ムラ」自体
の旧弊をあらわにした。変
化に適応できなかったマン
モスのようだ。
前回の開会式は90分ほどで
ある。「64年」にこだわる
なら、むしろそこに目を向
けたい。半世紀前に三島は、
五輪開催によって日本が
長年の鬱積から解放された
と喜んだ。いまのこの国は、
壮大な祭典こそ五輪という
固定観念から解放されなけ
ればなるまい。