『知らないうちに「不幸の
シナリオ」を書いてしまう
パターン』
恋愛でも同じことがいえます。
「アイムノットOK」という
人は、恋をするたびに、最後は
やはりフラれるのではないかと
思ってしまいますから、相手が
別の女性とちょっと話をしてい
るだけでも、「あなた、私と別れ
ようと思ってるでしょう?」な
どと、つい口にしてしまいます。
そして、その次の日も、「やっぱ
り私のこと、もう飽きたんじゃ
ない?」などと言うものですから、
「君みたいなしつこい人とはもう
つき合いたくない」と、本当に
フラれることになる。
どれほど自分が愛していても、
また相手が献身的であって
も、最後は自分をフるように
しむける、そんなシナリオに
自分で変えていってしまうの
です。まさかと思うかもしれ
ませんが、現実には、こうした
タイプの人はけっこう多いので
す。
仕事でも勉強でも、成功体験の
乏しい人は、「やっぱりダメだわ」
といって途中であきらめてしまう
ので、成功からますます遠の
いていきます。成功しないか
らまた自信を失う。結局、悪
環境におちいってしまうわけ
です。
逆に言うと、そうした悪環境
を途中で断ち切る“武器”が
ないということになります。
子どもの頃どんな育てられ方
をしたかが、この悪環境を
断ち切る強力武器=
「自分も捨てたもんじゃない」
という自信の核になると私は
思っています。
たとえば、雛祭りや端午の節
句のときに決まった“行事”
を家族でいとなんだ、などと
いう一見ささいなことが、
意外のそうした自信の土台に
なっています。
「その日はかならず、雛壇の
前で甘酒と雛あられを食べた」
でも、「家族でファミレスに
行った」でもいいのです。
こうした経験のある人は、心
の底に「自分は愛されている、
愛されるに足る存在である」と
いう自信がしっかり育っている
ので、何かを始めたとき途中
で苦しい状況におちいっても、
投げたりすることはないので
す。
あなたを傷つけた人を
許してあげよう。
人を傷つけるのは、
二流の人だけです。
一流の人に
傷つけられたら
がっかりしよう。
でも、
一流の人は、人を傷つけたり
しないのです。
わたしを束ねないで
あらせという花のように
白いネギのように
束ねないでください
わたしを止めないで
高原からきた絵葉書のように
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつけ
られた座に
座りきりにさせないでください
わたしは風
りんごの木と泉のありかを知って
いる風
わたしを区切らないで
コンマやピリオド いくつかの段落で
そしておしまいに「さよなら」が
あったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください
わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく
一行の詩
あらせという花のように
白いネギのように
束ねないでください
わたしを止めないで
高原からきた絵葉書のように
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつけ
られた座に
座りきりにさせないでください
わたしは風
りんごの木と泉のありかを知って
いる風
わたしを区切らないで
コンマやピリオド いくつかの段落で
そしておしまいに「さよなら」が
あったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください
わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく
一行の詩
幾つになっても初々しいと
称される女性がいます。
きっと、
その女性は賢い。
強い。
優しい。
称される女性がいます。
きっと、
その女性は賢い。
強い。
優しい。
『祝い事には遅れてもいい。
ただし葬式には
真っ先に駆けつけろ。
本当に人が悲しんでいるときに
寄り添ってやることが大事だ』。
田中角栄元総理
田中角栄氏はどんな政敵の葬式
にも真っ先に駆け付け、涙を流
してその死を惜しんだ。
葬式から1週間が経過したとき、
改めて新しい花を届けさせた。
「最初の花が枯れる頃だ。遺族
も一番悲しみが募る」
人が悲しんでいるとき、本当に
悲しみを共有できるか。
人が喜びを感じたとき、本当に心
から祝福できるか。
田中角栄は「偽りのない感情」を
人に伝えることで、多くの人の
記憶に残る政治家になった。
(敬称略)
ただし葬式には
真っ先に駆けつけろ。
本当に人が悲しんでいるときに
寄り添ってやることが大事だ』。
田中角栄元総理
田中角栄氏はどんな政敵の葬式
にも真っ先に駆け付け、涙を流
してその死を惜しんだ。
葬式から1週間が経過したとき、
改めて新しい花を届けさせた。
「最初の花が枯れる頃だ。遺族
も一番悲しみが募る」
人が悲しんでいるとき、本当に
悲しみを共有できるか。
人が喜びを感じたとき、本当に心
から祝福できるか。
田中角栄は「偽りのない感情」を
人に伝えることで、多くの人の
記憶に残る政治家になった。
(敬称略)
泣くだけ泣いて、空っぽになった
心に何が残るだろう。
本当に不思議なことだけれど、それ
までとは違った思いがふっと空っぽ
の心に舞い降りる。
「ありがとう」
そんな思いが、舞い降りる。
たとえつらい恋だったとしても、
恋人だった人への感謝で心は
満たされる。
そのような気持ちに行き着くまで、
何日かかるのか、何ヶ月、何年
かかるのか。
とても感謝なんてできないと思う
恋もきっとある。
でも、それでいい。いつか気持ち
が溶け出すことを信じて。
終わった恋に「ありがとう」が
言えたとき、別れは決して悲しみ
だけではなかったことを知るだろう。
別れの淋しさを思うとき、私は
『ライ麦畑でつかまえて』の
最後を思い出す。
恋とは違うけれど、「あいつらが
今ここにいないことがたまらなく
淋しい」と、主人公は思う。
そう、今ここにあの人がいない
ことは淋しい。
でもそれは、悲しみとは違う。郷愁
にも似たせつなさなのだ。
心に何が残るだろう。
本当に不思議なことだけれど、それ
までとは違った思いがふっと空っぽ
の心に舞い降りる。
「ありがとう」
そんな思いが、舞い降りる。
たとえつらい恋だったとしても、
恋人だった人への感謝で心は
満たされる。
そのような気持ちに行き着くまで、
何日かかるのか、何ヶ月、何年
かかるのか。
とても感謝なんてできないと思う
恋もきっとある。
でも、それでいい。いつか気持ち
が溶け出すことを信じて。
終わった恋に「ありがとう」が
言えたとき、別れは決して悲しみ
だけではなかったことを知るだろう。
別れの淋しさを思うとき、私は
『ライ麦畑でつかまえて』の
最後を思い出す。
恋とは違うけれど、「あいつらが
今ここにいないことがたまらなく
淋しい」と、主人公は思う。
そう、今ここにあの人がいない
ことは淋しい。
でもそれは、悲しみとは違う。郷愁
にも似たせつなさなのだ。
カワセミが見られる場所は、
深い緑に囲まれ、せせらぎは
黄昏(たそがれ)とともに色合い
や輝きが微妙に変化し、それは
神秘できれいだ。
「カワセミって翡翠(ひすい)
と書く。
翡翠色って、カワセミの
羽の色からきている。
尾がきれいな青で、
全体は深い緑。
宝石の翡翠も
その色に似ているから
なんだ」
あのせせらぎのまぶしい
水辺を思いだす。
「よかった、
君と見ることができて、君が
一緒にいたから、見れたん
だ」と彼女を抱きしめた。
「あの鳥が天使なら、
君が誘いだした女神だ」
そう言いながら、
彼女のくちびるをふさいだ。
さあ、
今夜、夢の続きをみよう~。
年を重ねるごとに
純粋になっていけたら
いいな。
深い緑に囲まれ、せせらぎは
黄昏(たそがれ)とともに色合い
や輝きが微妙に変化し、それは
神秘できれいだ。
「カワセミって翡翠(ひすい)
と書く。
翡翠色って、カワセミの
羽の色からきている。
尾がきれいな青で、
全体は深い緑。
宝石の翡翠も
その色に似ているから
なんだ」
あのせせらぎのまぶしい
水辺を思いだす。
「よかった、
君と見ることができて、君が
一緒にいたから、見れたん
だ」と彼女を抱きしめた。
「あの鳥が天使なら、
君が誘いだした女神だ」
そう言いながら、
彼女のくちびるをふさいだ。
さあ、
今夜、夢の続きをみよう~。
年を重ねるごとに
純粋になっていけたら
いいな。
“心の水”はとかく楽なほうへと
流れたがるが・・・
たとえば、雪山で吹雪に遭ったと
します。ものすごい風速で粉雪が
飛んできて、息ができなくなる
ほど苦しい。
雪の中に穴を掘って首を突っ込
む。呼吸が確保できるようにな
って、「ああ、助かった。これで
生きられる」と、ほっとする。
穴を大きくして、その穴の中に
収まると、居心地のよい極楽
のような場所になる。
三十分もすると、氷がゴツゴツ
して寝心地が悪いとか、風が
吹いてテントが騒がしいとか、
いろいろな不満が出てきて最
低の場所になる。
そこで、次の日、ベースキャ
ンプまで下がってくると、そ
こでは電気がつき、エアーマ
ットがあり、ゲームや雑誌も
あり、雪洞やテントに比べ
たら快適そのものだ。
でも、すぐに「もう麓(ふもと)
へ帰りたい」と思い始める。
人間は、限りなく少しでも楽な
ほうへと流れていく。でも、
それでは人間は変れない。
流れたがるが・・・
たとえば、雪山で吹雪に遭ったと
します。ものすごい風速で粉雪が
飛んできて、息ができなくなる
ほど苦しい。
雪の中に穴を掘って首を突っ込
む。呼吸が確保できるようにな
って、「ああ、助かった。これで
生きられる」と、ほっとする。
穴を大きくして、その穴の中に
収まると、居心地のよい極楽
のような場所になる。
三十分もすると、氷がゴツゴツ
して寝心地が悪いとか、風が
吹いてテントが騒がしいとか、
いろいろな不満が出てきて最
低の場所になる。
そこで、次の日、ベースキャ
ンプまで下がってくると、そ
こでは電気がつき、エアーマ
ットがあり、ゲームや雑誌も
あり、雪洞やテントに比べ
たら快適そのものだ。
でも、すぐに「もう麓(ふもと)
へ帰りたい」と思い始める。
人間は、限りなく少しでも楽な
ほうへと流れていく。でも、
それでは人間は変れない。