愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

中年の恋愛事情

2015-09-02 02:31:27 | 日記
専門学校生の長女が、学校の授業で、先生が、「最近面白いことを教えてください」 の質問に、こう答えたらしい。

「うちのお母さんに最近彼氏ができました」

会場はどっと感動の渦。なわけないけれども。

先生は「年のいったひとでも魅力的な人もいますからね。とってもよいことですね」とフォローしてくれて、先生やらクラスの子にだいぶうけたらいしい。

ったく、私のネタをネタにしてからに。

シングルマザー歴は、12年かしら。で、そう、愛しの彼氏、てか、旦那様は(籍はまだですが)3年前くらいに知り合い、今年の冬からおつきあいが始まったばかり。付き合って数か月ですが、とってもラブラブであります。
私は子供4人もいるし、下手に男性とおつきあいしても、子供がストレスを感じてしまうかもしれない。そう思うと、絶対に異性とつきあえなかったのです。ま、そんな出会いもあまりなかったし、飛び込んでもいないしね。
不倫もしたくなかったし。

なのになぜかおつきあいしたくなる人が現れてしまいました。年上の人で同じくバツイチですが、やさしい、というのもそうですが、実に男らしい。ふところがでかい。私も私の子供も全部受け止めてくれるくらいのでっかい器だのです。びっくりです。こんな人が世の中にいて、こんな人が私のそばにいて、こんな人と付き合い始めるとは。

私の初めての結婚もありえないと思いましたが、今回のことも、自分でびっくりだよ。本当に。

でも、この人なら私の子供に合わせても、お互い受け入れてくれそう。そう思えたのです。私は生意気で気が強くて、なんでも口出しして、お喋りで。そして偉そうな自分。尊敬できる人でないと、愛情もわかない人なのです。この年になって尊敬できる人ってのは、本当に限られます。目がこえていますからね。なのに私が尊敬できる相手だったのです。奇跡です。奇跡です。本当に。
思ってもみませんでした。自分の考えていることと、まったく違う現実に遭遇することってあるのですね。
この出会いにこのめぐりあわせに感謝しています。

3年前、確かに地球はアセンションしたはずです。2012年の12月暮れ。わすれもしない。家族全員が、AIの、ハピネスを合唱。毎日ハピネスを歌って、テンション高い高い。12月はいきなり気分が明るくなったのです。家族全員、あの頃に次元上昇したわ。

今までの世界は、苦労して幸せをつかむものでした。ですが今、これからは、幸せが幸せを呼ぶ。だからね、子供にはね、苦はいらない。幸せに生きる子供は将来も幸せを掴むし、周囲を幸せにするはず。笑顔って大事。長女がなぜか、難関を突破して内定をいただいたのは、パソコンのスキルもそうですが、決め手は、愛想だったと思います。女は愛嬌だよって、いつも言っていました。本人もそう思って、笑顔、笑顔で面接して、「君、元気だね」って言われたらしい。一人の笑顔は目の前の人も笑顔にするもの。一つのカップルが幸せなら、その幸せも波及すると信じてます。だから私は幸せだしもっと幸せになろう。だって世界中が幸せになってほしいからね。
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不登校中の3女について

2015-09-02 01:55:56 | 不登校
よく親が口にしているのを聞いたりします。

「子供は学校にいくのが義務」

ほうほう。義務ですか。義務ってなんだろうね。

それって大人の解釈にしかすぎないよね。

私は子供が小学生のころまでは、動物だと思っていました。それも野生動物。衝動的な行動をしてしまう動物だと思って、育ててきました。でもそのなかでも人間が人間らしく生きる本能もありますね。
人間は集団で生きる動物です。集団で、同級生たちが、こぞって小学校に入学する。だから自分もそうするのが普通。みんなが小学校に行って勉強する。だから自分もそれがあたりまえだと思ってそうする。集団生活を営む人間の本能は、みんなとおんなじ行動をすることで安心したり、それが常識になります。

ですが、それに背いて、みんなが通う学校に、自分ひとり足が向かない。やすみが続く。どんどん孤独になる。本能と違う方向にいくのは、実はとってもどえらいこと。すんごく異常な事態がすでにその子に起こっているということです。
そして、不登校にならない子供は、本能の赴くまま、常識に沿って生きているということ。そこに「義務」などない。義務を感じて学校に行くというのはすでに、苦痛だから義務感を感じさせて鼓舞して学校に行こうとしているだけ。

形にとらわれてばかりだと、心が養えなくなるから、私はもう形は放棄です。心に栄養を与えることが私の務め。決して義務でないわ。義務で子供を育てられないもの。義務なんてくそくらえ。義務うんぬん語るくらいの愛情のない親なんてくそくらえ。子供を、あの乳飲み子から大人になるまで、育てるのって、実は大変だよ。実はお金もすんごくかかる。実はめんどう。実は飽きたりもする。放棄したくもなる。でも、それでも育てているのは、子供がかわいいから。子供が大好きだから。それだけ。子供が生まれた瞬間てのは不思議な瞬間。自分の命より大事な存在が、いきなり現れちゃうんだからね。おなかにいるころからもそう。妊娠してるときも、至福のひと時を感じて生活していた。

わたしは義務で育てられない。愛情で育ててるだけ。私の母性本能がそうしているだけ。本能がそうさせているだけ。この本能は、きっと私の親から貰ったもの。
3女の本能が良い方向に向くようにできるだけのサポートをしようと思う。
3女の行きつくところは、大人になって家庭をもって、子供を産んで、その子供を本能のまま愛し育てること。自分の子供をかわいがって大事に育てられる、そんな女性になるよう、今、今、ハートを大事に育てているところ。
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