愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

恩師

2023-10-21 23:40:00 | 日記
小学校4年生のころ、田舎の小学校で、友達も作れず、一人、放課後に、スクールバスを待っている時、図書館に入って、ふと、手にした本がある

分厚い本で、200から、300ページは、あったかと思う

大人が読むような小説の本だった。

題名は、「魔女の森」

大人なら、4時間で、読める本だが、小学生の自分には、教科書のもじなんかより、小さい文字だし、なかなか、膨大なページなのだ

毎日1時間か2時間かけて、読み終えたのが、一週間後であった

根気よく、頑張って一冊の本を読みおえることができたんだ!😆

という、人生初めての達成感をこの時味わった

それからは、本の虫になり、毎日のように、図書館に通い、本を読んでいた

勉強はまるっきり、できない私であったが、小学5年、6年、の、担任になってくれた太田先生は、俳句を得意としていて、週に何度も、俳句を作らされた

 私たち生徒が作った俳句を、親達が人気投票したとき、一番人気は私の一句であった

  朝顔に 
   雨の雫が 流れ落ち

言語の量が同級生よりは、私が本を読んでいることで、俳句を作る時、言葉が頭に浮かびやすかったから、人よりもたくさん俳句を作ることができた
太田先生が生徒の作った俳句を集めて、特選、だの、佳作だのと、発表するのだが、入選しない日が、一度あったきりで、ほとんど入選していた

勉強できないかわりに、俳句が得意になったので、なんだか、少しは自分に自信が持てたから、太田先生には感謝している
生徒を平等に扱ってくれた事もよかった
さらに、私が助けられたことがあった

ある時、太田先生が、15人の私ら生徒に、これからは、男子が、女子の名前を言う時は、苗字に、さんを、つけなさい
女子は、男子の名前に、君付けをしなさい

あだ名は一切だめです。

と、通達された私たちは、普段信頼している担任の先生に、言われたとおり、わたしは男子には、なになに君

男子は、私を橋本さん、

そう呼びようになった

そうしたら、私をいじめていた男子が、なぜか、私をいじめなくなったのだ

それまでは、わたしは、あのつく名前だったので、アンパン、と、男子に呼ばれていた

男子のリーダーが、そう呼ぶから、他の男子も真似をして、わたしをアンパン、とよんでいたが、さらには、クソパン、とまで言われ始めていて、嫌がらせもされるのだが、私は感情がだせない?出さない子供だったので、いつまでも、嫌がらせを、されていたわけである

嫌なことはいやだ!と、表現できないし、変な子供だったので、感情的にならない、子供らしからぬ生徒だった
冷静な私はいじめてくる男子を、責める事もできずに我慢するほかなかったわけだ

意地悪な男子が、私の困る姿を嘲笑うようなことが日常にあったのだが、太田先生が、あだ名は禁止🈲女子には、名字にさんをつけなさい、
そう言ったその日から、わたしはクソパンから、橋本さん、になった

やっと、男子から、わたしと言う一人の人間を認められたような瞬間であった

小学6年生にして、やっと橋本さんと、よぼれはじめたら、男子の私への嫌がらせが、無くなったのだ

わたしは、つい先日まで、これを、偶然の産物だとばかり思っていたのだ
ほんと、情けないはなしである

友人にふと、この、昔話を話をしたら、

なぜか、いじめがなくなった、のではなく、

太田先生が意図的にそうしたから、なくなったのだよ、と、教えられたのだ

えーーー!!!

そうだったの??

太田先生、50才過ぎても、わからなかったよ、先生ごめんなさい🙇‍♀️

俳句を教えてくれたお陰で、劣等感から、抜け出させてくれた
さらには、男子からのイジメまで、解決してくれた

私、という個人を、私の人格を、傷つけないように守ってくれた

私のことで心痛め、解決のため、考えてくれての、さん、君、つけだったのね

私、という、人格、個性、つちかい始めたきっかけをくれたきがしてる

やっといじめられなくなったら、おとなしかったはずの私が、一気に、個性が、爆発して、中学のころは、まあまあ目立ち始めて、友達もできて、楽しい学校生活を送ることができた

男子とも、対等に付き合う事もできて、結果、誰よりも、男子らと仲良くつきあえていたから、ときどき、女子にヤキモチをやかれてしまったりもあった

中学の担任はこれまた、私の恩師、小山田先生だ
最高にお人好しの先生で、みんながみんな、お兄さんのように大好きだった
 これは、余談だが、と、国語の時間、脱線した小山田先生の話しが、大好きだった
先生を通して人生観、社会人、人間性、学んだ
今の血となり肉となっている

高校にはいると、なぜか、また、クラスをまとめることになって、あれこれ、頼られていたが、執行部に選ばれてしまったから、学校全体の事も、背負っての3年間だったな

卒業式の答辞は、担任から、ご指名で、橋本、お前がやれ、
あ、はい。

と、返事をしてきまった

結構頑張って執行部も、クラスの事もやりまひたので、私への花向けかな
そうおもった

担任は青少年の船にも、私を指名して、橋本、行ってこい、
あ、はい。

であった

ありがとう、山田先生。

そうか、わたしは、3人も恩師がいた
すごい私の人生における財産だ

マイナス的な先生も中にはいたが、はるかに上回る恩師の私への影響力
まじ、半端ない

いまは、中学時代の恩師小山田先生しか存命ではないから、ぜひぜひ、あの世でお会いしたら、お礼を言いたい

当時のこと色々とありがとうごぞいます、と


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする