オヤジのひとり言

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我阪神タイガースの大和が、人生初サヨナラ打!

2013年06月30日 | オヤジのひとり言

我阪神タイガースの・大和が、

人生初サヨナラ打!     



鹿児島から応援団…両親の前で決めた   

阪神4-3広島」(29日、甲子園)

 
やってくれました。

我阪神タイガースの大和が、

人生初のサヨナラ打でチームを3連勝に。      



 

故郷の鹿児島県鹿屋市から応援ツアーで駆けつけた両親らが見守る中、

    

同点の九回2死一、二塁で、殊勲の左越え二塁打。   

今季7度目、6月4度目のサヨナラ勝ちで、

首位・読売新聞野球部にも1・5ゲーム差に再接近。  

最高の結末はあらかじめ決められていた。

故郷を愛する男が、

地元応援団の前で放った人生初のサヨナラ打‐。

そんな心温まるストーリーが、一振りで現実へと変わった。


見えない“何か”に押された大和の打球は、

痛烈に左翼・ルイスの頭上を越えていった。
 

芝生に弾む白球が目に飛び込むと、

寡黙な男がド派手なガッツポーズ。

二塁手前で始まった歓喜のウオーターシャワー、

そして応援団がいる一塁アルプス最上段へ全員で指さしポーズ。

まるでドラマを見ているようなエンディング、

とにかくつなぐことだけと大和。 

プロ初どころか、人生初のサヨナラヒット。

お立ち台では

はにかみながら「やっちゃいましたね」と喜びを。

1点を追う五回1死一、

三塁の場面では一塁へセーフティースクイズ(内野安打)を成功し、

七回にも左前打。

1日以来の猛打賞、

1人で試合を決める奮闘に「変な感じですね」と首をかしげる。
 
その理由は

一塁側アルプス最上段に陣取った両親を含む約70人の応援団。

この日、地元・鹿児島県鹿屋市から

フェリーで甲子園に駆けつけた。

練習中からバックネット裏で声援を送り、

感謝の言葉を口にしていた大和。

故郷を大切にする思いは、


 


自身がゲームで使うバットに隠されていた。


 4月下旬、グリップエンドにあるシールを貼った。

それはおよそ野球に似つかないバラのシールだった。

「鹿屋はバラの町なんですよ。地元への思いを込めて」。

そう照れくさそうに明かした愚直な男。

交流戦中は不振にあえぎ、涙を流したこともあった。

 
地元の期待、

その期待に応えなければならない責任感。

故郷を愛する男だからこそ、

悔しさが胸をついた。


そしてこの日はチカラに変えてみせた。


「良い姿を見せられて良かったです」と



聖地甲子園でスポットライトを浴びた大和。


ここんとこ、良いシーンがなかった

寡黙で地味なパッとしない大和が・・


それは野球の神様がくれたご褒美だったのかも、・・・・

 

 

 
 
 
 
 
 



 


シャッター通り商店街

2013年06月30日 | オヤジのひとり言

『商店街はなぜ滅びたのか?』


 日本の高度成長期を彩った

「商店街」が今当に風前のともしび。

買い物客は大型ショッピングセンターのある郊外へと流れ、

地方都市の市街地アーケードは「シャッター通り」という見慣れた風景に。

「売店舗通り商店街」なる言葉まで・・

そんな商店街衰退の“本当の理由”を、

社会学的なアプローチから詳細に解き明かす。と言う記事には・・・

 

 歴史的にその背景は 

20世紀に入り、離農した人々が大量に都市部になだれ込み、

そこで第2次産業に従事しきれない者たちが、

自営業として生業を立てざるを得なくなったこと。

第3次産業人口が急速に増加するなか、

家族経営の零細商店は資力や生産性が極めて低かったこと。

そしてそれを放っておけば、商売をやっていけなくなり、

国の目指していた「完全雇用」

働く意思と能力をもつ者がすべて雇用されている状態に支障を来すので、

彼らを集中化、組織化したこと。

結果、現在の商店街のひな形が出来上がったこと……。

 
つまり、商店街とは決して日本の伝統的存在ではなく、

20世紀以降、小さな店も集まれば大きな力そんな考えの元、

人為的に創られたものだったのだ。

ところが、その後保守化、圧力団体化した商店街は、

自らの利益を追求するあまり、

次第に消費者からそっぽを向かれはじめる。

並行するように過剰店舗と80年代後半からの物余り、

そして、最終的には国からも見放され

百貨店法、大店法という保護政策も打ち切られて万事休す……。 

意地悪くいえば「自業自得」だが、

「商店街に期待される社会的役割は今も変わりはない」

「そのことは、被災地、岩手県大槌町や釜石市などで調査をして明白に。

仮設住宅だけでは、高齢者などの個人のケアがしにくいのです。

しかし、そこに商店街が絡めば、

買い物を通して自然なコミュニケーションが成立し、

集会、イベント、情報交流など、

その地域の“拠点”としてさまざまな機能も期待できる。

これは郊外型ショッピングセンターでは不可能なことなのです」

 では、商店街を再生させるための具体的処方箋はどこにあるのか。??

 
「まずは、所有と管理を分離し、

いまあるストックを外部の意欲ある人たちにどんどん活用してもらうこと。

地域の協同組合や社会的企業に営業権を与えその上で、

地域の拠点となるような“場”の設計を行う。

健康・長寿や介護などをテーマにバリアフリー施設をつくるなど、

意欲ある商店主が集まればアイデアはいくらでも出てくると思う」

 
われわれは、商店街を諦めるのではなく、

その役割についてもう一度考え直す必要があるのかもしれない。????