二代目モニカの日々・・・ときどき俳句

【日々のいろいろ、十七文字の世界】二代目モニカです✨日々の出来事やときどき俳句も🐰

季語のある風景・11月

2017年11月22日 | 俳句
立冬が過ぎ

今年は体感的にもすっかり冬ですね

今朝なんて寒い寒い

風邪など召されませんように手洗いうがいしっかりと・・・




響焔の刊行物「季語のある風景」より11月をご紹介します



「鵙」

鵙が鳴きいつもおとうと白くいる  和知喜八


もうこれは、僭越過ぎて私がとやかく云うものではありませんが・・・

「おとうと」という存在の切なさが晩秋に響く鵙の声に象徴されていて

胸に迫るものがあります。

「白くいる」なんてなかなか云えません。


高校生だった私は、和知先生の父宛ての電話を「和知のおじいちゃんから」と取り次ぎ

「私はおじいちゃんでしょうか」とひどく傷つけてしまったようです・・・

高校生ですからね、そんなもんです。すみません。



「酉の市」

手を締めて人間はみ出す酉の市  手塚酔月


酉の市の人だかり。あちらこちらで聞こえる手締めの音。

不景気だって手締めは大きく景気よく。

そんな情景が「人間はみ出す」で見事に云い得ていると思います。



「凩」

こがらしのあと鳥籠を持ち歩く  河村四響


「こがらしのあと」と「鳥籠を持ち歩く」は全く関係ないこと。

この鳥籠には鳥は入っていないような気がします。

目の前のもののその奥の姿、というような

「形而上的俳句」とでも名付けたい不思議な景の句です。



「烏瓜」

どの唇も微笑を消すなからす瓜  和知喜八


またまた僭越ながら・・・

これは不思議な句で。烏瓜の赤と唇の赤からの発想としても

「微笑を消すな」この言葉がなかなか出ない。ここが素敵。

そしてここまで考えるのが俳句なのかもしれません。



「鳰」

かいつぶり恋の絵巻を見に潜る
  庄中健吉


なんてロマンティック!

鳰が潜るのは恋の絵巻を見るためだったとは!

伊勢物語か源氏物語か、そのあたりでしょうか。

この発見と独断がいい俳句を作るためには必要なのですね。



「小春」

鶴にしてしまう小春の薬包紙  川嶋隆史


これは一読「大好き!」と思いました。

「小春」という季語がこれ以上ないほど効いています。

「薬包紙」これもいい!すごくいい!

少し熱っぽいのかもしれませんね。

赤い薬包紙、なんとなく鶴にしてしまうのです。火照った身体で。




男性の句ばかりでしたが、

女性に負けない程のロマンティックな句もありましたね。

あなたの隣の男性も

心の中はロマンで溢れているのかもしれませんよ



アールヌーボ風



句集紹介〜残像

2017年11月19日 | 俳句


少し前のブログでもご紹介しました

響焔60周年記念の刊行物「ポケット版響焔句集」

私の他に3名の方が名乗りを上げて

同時に出来上がりました

送って頂きました句集から順番に

少しだけご紹介いたします

(私の句集と同デザイン色違いなのがわかりますか?)



「残像」あざみ精


嗚呼という声したようで落椿

白鳥のゆきつくところ君がいる

ふるさとの同心円の蕎麦の花

とめどなくピーナツ喰らい大晦日

古里がふとしゃしゃりでてかげろえる

春二番奥歯に挟まっている何か

ころもがえして木挽町浅葱色

溽暑なりアンモナイトの悲鳴なり

少年が鳳蝶と出会う海の底

老鶯の楚々と楽しい壺中かな



山崎主宰は序文で

「思い切りがよく、だからなんの迷いもなく作者の云いたいことがこちらに直に伝わってきて、読後は気分爽快この上ない。

動詞を極力抑えて名詞の効果を最大限に利用しているところなども私の好みに合っている。」

と云っています。

私が好きな句の


ころもがえして木挽町浅葱色


なども
 
「ころもがえ」「木挽町」「浅葱色」

この三つの言葉だけで

一読作者の感じた初夏を共感できます

東京の(江戸の)初夏は
 
色で云えばまさに浅葱色

ちょいと粋なんです

小股が切れ上がっているんです




色々説明しなくても
 
ストーンと伝わってきます

心地よい句があざみ精さんの真骨頂といえるでしょう




句集にご興味を持たれた方は

響焔のホームページよりご連絡下さいね
 

季語のある風景

2017年11月17日 | 俳句
響焔の刊行物のひとつに

「季語のある風景」があります

これは、響焔誌に連載されていた

山崎主宰による「季語のある風景」というコーナーを

響焔40周年を記念してまとめられたものです

響焔は来年で60周年ですので

もう20年も前になるんですね

月毎にその季節に相応しい季語をチョイス

エッセイと例句が拾い出されて掲載されています




久しぶりに手に取ってみて

昔の響焔俳人の句のすばらしさに興奮しております

勿論、今の響焔俳人の方々の句だって

いつも

「響焔の句は何か違う!レベルが違う!かっこいい!」

と自慢に誇らしく思っています

20年前の句は何が違うんだろう・・・

今より硬派

そして格調高い

一言でいうとそんな感じでしょうか




これからしばらく月ごとにその中のいくつかを

ご紹介していきたいと思います

もう故人の方、俳句から離れられた方の句もあります

お懐かしいお名前もあります

今日は少し季節が遡りますが「10月」から・・・




「鰯雲」

耳遠くなり美しきいわし雲  庄中健吉



正面から「美しき」と言っていますが、「耳遠くなり」だからいいな、と。

聴覚が薄くなり、一層視覚が冴えるという理屈だけではなく

誰よりも美しいいわし雲を感じている姿が切なく迫ってきます。



「葡萄」

ひとつぶずつ葡萄を減らすものがたり  川嶋隆史



ひとつぶずつ葡萄を食べていく、ただそれだけの事なのかもしれませんが

「ものがたり」としめたところに詩心が。

少しだけ言い方を工夫するだけで

日常の些事も俳句になるのですね。



「コスモス」

コスモスに風の生まるる午前五時  酒井雪子


コスモスと風はつきもの。

風が生まれるという感覚は俳人ならば納得できると思いますが

それが「午前五時」・・・朝方ですね。

野生の動物と早起きの人間だけが知っているコスモスの秘密。



「霧」

斑鳩鳴くとき山霧の公爵家  駒志津子


なんて格調高い!一読、痺れました。

「斑鳩」「山霧」「公爵家」どの言葉も過不足なく素敵(過ぎる)。

こういう句、作れたらいいな~と

もう鑑賞するとかどうでもいい気持ちにさせる句です。



「濁酒」

濁り酒傷舐め合うてゐるごとく  北登猛


これは男性ならではの句でしょうか。

一読「男!」を感じました。

「濁り酒」だから「傷舐め合う」が納得できるのだと思いました。

こういう句は私にはできない。でも好き。惹かれます。



「柿」

どの柿も柿の重さになっている  北迫正男


こういう言い回しは何にでも出来そうですが

やはりここは「柿」だからいいのだと思いました。

柿が木になっている様子はまさにこんな感じ。

程よい重さのある果実。民家の軒先でよく目にする気取らない果実。

少しの発見が俳句になっているのですね。




以上、10月より挙げてみました。

お亡くなりになった方も

あちらの世界から苦笑いされているかもしれませんね



「季語のある風景」は現在も「新・季語のある風景」として連載中です。

(アメリカのドラマ風にいうと「シーズン2」というところでしょうか)

来年の響焔60周年を記念して

再び一冊の本として発行される予定だそう。

楽しみです



バックの色を変えるだけで印象が違う~

だから塗り絵がやめれらない~