NHKのBS2「チェオクの剣」が終わった。最後は主人公のチェオクを始めとしてチョンサガン(従事官)のファンボ・ユンも革命家のチャン・ソンベクの主要人物の3人とも死んでしまう。
でもこの結末、ドラマの筋からは必然ではないどころか無理やり付け加えられたみたいな不自然さがある。反乱が鎮圧されて首謀者の高官が誅せられたのだからドラマは一応の完結のはず。それならソンベクはどこかに逃亡して隠棲すればよいし、チェオクはチョンサガンからソンベクが兄だと知らされて兄を追ってもよい。チョンサガンの妻にはならないだろう。長官のお嬢様がいるからだけでなくチェオック自身の抑制もあるから。チョンサガンは王の側近になったはずだ。
でもドラマでは、反乱の首謀者のひとりが復讐のためチェオクを誘拐してチョンサガンを呼び出した。チョンサガンは部下も連れずに呼び出されたところにいき、自分の命と引き換えにチェオクを解放しろという。でもこの話だいぶおかしい。剣の達人のチェオクが誘拐されるのもおかしいし、第一そんな難しいことを考える事自体悪党もおかしい。チョンサガンも自分の命と引き換えにチェオクを放せと交渉するが、悪党がチェオクを放したら、すぐさまチェオクに殺されるはずだからそんな交渉は成り立つはずがない。
そこにソンベクが仲間の逃亡資金の砂金を取り返すためあらわれた。悪党は倒されたが、砂金が海に散乱したので動転したソンベクがチョンサガンを殺してしまう。兄弟だと知ったチェオクとソンベクは殺し合う形で死んでしまう。他の人のブログではギリシア悲劇的と感激している人もいるが、こんなの不条理だよ。でもシェークスピアの「ロミオとジュリエット」の結末も不条理といえば不条理だから、悲劇とはもともと不条理なものなのか。
結末をこんなふうに無理やりもっていったのはドラマ製作者の意図と考えられるが、このドラマの途中でもやりきれない悲劇が頻繁にでてくる。無実の高官が謀略により主人公側に訴追され自死した。敵の謀略にかかった部隊が全滅して多くの役人や兵が死んだ。チェオクをしたって捜査に協力している元こそ泥のチョクサは愛妻を殺された。しかも実はその場にチェオクもソンベクも居合わせていた。
この結末が韓国的な情念に合うのだろうか?ハッピーエンドがいいのに。でもアメリカ映画みたいに敵だけでなく味方も大量に死んでも、敵が全滅してヒーローとヒロインが生きのこって結ばれればハッピーエンドというのもアメリカ人の感性を疑う。
常に悲劇的な結末に共感するのが韓国的な感性かな。それが幸福な隣人への怨嗟と結びついているならば、それは「幸せになれない考え方」を国民的情念としているなら問題だ。
でもこの結末、ドラマの筋からは必然ではないどころか無理やり付け加えられたみたいな不自然さがある。反乱が鎮圧されて首謀者の高官が誅せられたのだからドラマは一応の完結のはず。それならソンベクはどこかに逃亡して隠棲すればよいし、チェオクはチョンサガンからソンベクが兄だと知らされて兄を追ってもよい。チョンサガンの妻にはならないだろう。長官のお嬢様がいるからだけでなくチェオック自身の抑制もあるから。チョンサガンは王の側近になったはずだ。
でもドラマでは、反乱の首謀者のひとりが復讐のためチェオクを誘拐してチョンサガンを呼び出した。チョンサガンは部下も連れずに呼び出されたところにいき、自分の命と引き換えにチェオクを解放しろという。でもこの話だいぶおかしい。剣の達人のチェオクが誘拐されるのもおかしいし、第一そんな難しいことを考える事自体悪党もおかしい。チョンサガンも自分の命と引き換えにチェオクを放せと交渉するが、悪党がチェオクを放したら、すぐさまチェオクに殺されるはずだからそんな交渉は成り立つはずがない。
そこにソンベクが仲間の逃亡資金の砂金を取り返すためあらわれた。悪党は倒されたが、砂金が海に散乱したので動転したソンベクがチョンサガンを殺してしまう。兄弟だと知ったチェオクとソンベクは殺し合う形で死んでしまう。他の人のブログではギリシア悲劇的と感激している人もいるが、こんなの不条理だよ。でもシェークスピアの「ロミオとジュリエット」の結末も不条理といえば不条理だから、悲劇とはもともと不条理なものなのか。
結末をこんなふうに無理やりもっていったのはドラマ製作者の意図と考えられるが、このドラマの途中でもやりきれない悲劇が頻繁にでてくる。無実の高官が謀略により主人公側に訴追され自死した。敵の謀略にかかった部隊が全滅して多くの役人や兵が死んだ。チェオクをしたって捜査に協力している元こそ泥のチョクサは愛妻を殺された。しかも実はその場にチェオクもソンベクも居合わせていた。
この結末が韓国的な情念に合うのだろうか?ハッピーエンドがいいのに。でもアメリカ映画みたいに敵だけでなく味方も大量に死んでも、敵が全滅してヒーローとヒロインが生きのこって結ばれればハッピーエンドというのもアメリカ人の感性を疑う。
常に悲劇的な結末に共感するのが韓国的な感性かな。それが幸福な隣人への怨嗟と結びついているならば、それは「幸せになれない考え方」を国民的情念としているなら問題だ。