セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

読書ノート:荘魯迅「李白と杜甫 漂泊の生涯」(大修館書店)

2007-02-03 23:08:52 | 文化
日本にいる中国人のミュージシャンが日本語で書いた本。ミュージシャンでも日本の大学で中国史や漢詩を教えている人なので素人の本ではない。中国史上で最高の詩人とされている李白と杜甫の生涯をその舞台となった唐の玄宗皇帝の治世後半の政治と社会を絡ませて描いている。随所にそのときそのときに2人が作った詩が数多くのせられていて漢詩の入門本にもなっているが、それがその時の詩人の境遇の表現にもなっている。
余談だけど芝豪氏の小説「王陽明」も詩が手紙などと共に多く載せられていて王陽明の心境や境遇がよく現われていてよかった。
だからこの本は①李白と杜甫という2大詩人の伝記②唐詩の入門書③唐の玄宗皇帝治世後期の政治社会の歴史書でもあるのだが、この本の最初の方では、おやこれは武侠小説かなと思わせるシーンがあり、金庸の武侠小説ファンとしてはわくわくした。だって若き日の李白が、李白(と李白の父)を父の仇とねらう4兄弟と決闘して3人を倒すのだから。しかも李白は青蓮派武術の使い手になっている。相手は金剛派という武術でしかも「迷魂魔音」という声を使った奇妙わざがでてきて武侠小説そのものだ。でも武術の場面はこの後ずっとなくてやっと数十年後の李白の晩年に4兄弟の生き残りの1人が再び現われてまた戦うことになった。僕が思うに作者の荘魯迅氏も金庸のファンで武侠小説要素を多く入れようと思って書き始めたのだが、2人の本来の伝記や政治社会について書くことが多すぎて武術の場面を入れる余裕がなくて、最後に決闘の結末を無理やり入れたのではないのかな。
李白は武術ができたということは彼の詩に証拠がある。「結客少年場行」という詩に「少年学剣術 凌躒白猿公」という句がある。少年は剣術を学び、伝説の剣術のうまい猿を遥かにしのぐ、という意味。伊達政宗の漢詩に「少年過馬上」という句があったと思う。若い時は戦に駆け回り馬の上で暮らしていたようなものだ、の意味。だとする李白も若いころは剣術を学んでかなりうまくなったという意味に取れる。
話は変わるけど、李白は酒飲みでいつも酔っ払っていたということを知っていたから、鼻の頭の赤いおっさんかと思っていたら、意外に美青年だったのだよ。いい男で有名な文化人が李白のことをすごい美青年だと書いているから間違いないだろう。
李白は生きている時から有名な詩人だが、杜甫は生きている時は詩人としてはあまり評価されていなかったが死んだあとから評価が高まり李白と並び歴史上最高の詩人に評価された。
李白も杜甫も皇帝を補佐する高官になって世の中をよくしたいという意欲を持っていた。詩人が政治に興味に持つのはこの時代では普通のこと。高官の採用試験の科挙にもこの時代に詩をつくる問題があった。でもどんなに詩作がうまくてもこの時代には有力者の推薦がなければ合格はむつかしい。「春眠暁を覚えず」の「春暁」という詩で有名な孟浩然も科挙に落ちている。ブーニンが芸大のピアノ科に落ちるみたい。そのためか杜甫も科挙に受からない。杜甫は非常に困窮して子どもが飢えて死んでしまう。官僚になるために杜甫は有力を讃える詩を書いてもいる。しかし杜甫の人々の困窮に同情する心が権力者への怒りとなってくる。
李白は皇族に連なるもので、李白の父は殺しに来た則天武后の勅使を殺して逃亡した過去を持っている。則天武后は死んだがあとの中宗から完全に赦免されていないので大手を振って科挙を受けるのにはばかりがあった。しかし李白は政治にも自信を持っていた。李白の盛名は高まっており、玄宗皇帝からまねかれ低い位だが皇帝の側近の官職を得た。李白は皇帝に意見を具申して政治を変えられると思ったが、玄宗皇帝は楊貴妃を讃える詩を作らせるぐらいで政治とは無関係の生活が続いた。一回外国との外交文書を語学に堪能な李白が起草して平和な外交関係に寄与したが、それはそのときだけ。結局失望した李白は官を辞して野に下る。このあと安禄山の乱がおこり唐は大いにゆれる。李白は皇室内の政争にまきこまれ危うく死刑になりそうになる。
李白も杜甫も皇帝を輔弼して国家を動かす志をもっていたがそれはかなえられなかった。歴史上の最高の詩人とされた2人だが生きている時はそれほど幸福でなかったようだ。