セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

総選挙前の雑感

2012-11-28 11:58:45 | 社会経済

もっと頻繁に書き込まなきゃと思っているのだが雑事が多くて時間が取れない。いやいやというより落ち着いて書き込む気分に成れなかった。次に書き込もうとするテーマは以前から思いついていたのだが期をのがした感じ。テーマを思いついてすぐ書かないで温めるのは日常生活しながら頭の中で膨らんでくるという利点もあるが書く気が失せてくるという危険もある。

実は書こうとしていたのはコンビニ本のことだった。ほらコンビニで売っている400円から800円ぐらいの本だ。ワンコインの500円が多いけど。コンビニで『エヴァンゲリオン用語・語源事典』(500円、Gakken)を買った時におもいついた。この本はアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の物語の背景にでてくる用語だけでなく登場人物の会話にでてくる言葉も聖書から神秘学、量子力学、生命科学、心理学etcを使って解説しているオタク傾向のある人間にはたまらない本だ。

オタクといえばコンビニ本には軍事オタクにも応える内容の本が頻繁にでている。僕も軍事関係のコンビニ本は20冊近く持っている。でも僕はオタクではない。いろんなことに興味が移るいわばスケベ。日本史関係もコンビニ本に多いジャンルだ。歴史教科書やテレビドラマでは省かれていたリアルな時代の素顔を描いたものが多い。コンビニ本での拾い物を幾つかあげると『最新科学捜査がわかる本』『本当は怖い昭和30年代』『鉄道車両メカニズム図鑑』『中国武術最強の必殺技FILE』などがある。あっ、ここでいうコンビニ本とは主にファミリー・マートで買えるB6版ぐらいの大きさの本のことだ。セブンイレブンで売っている裕福なファミリー向けのカラー印刷の教養パンフレットのことではない。コンビニ本には書きたいことはいっぱいあるが今日のテーマ別だ。

さて総選挙が始まるから結果がでる以前に思うことを書いて記録しておこう。結果がでてからだと以前思っていたことがわからなくなるかもしれないからね。

よくわからないのが河村たかし氏(名古屋市長)の減税日本が「第三極」のブームにのって提携政党を求めて右往左往していること。提携などというものは選挙後に政策実現のために獲得議席の彼我の勢力関係と政策の類似性で考えればよい。まあフラレたけど日本維新の会ならば票の分裂や候補者のぶつかり合いを避けるために選挙協力は意味があるけど、太陽の党という名の実質たちあがれ日本や亀井静香の反TPO党では選挙協力なんてしたら減税日本の売り物の主張やアピール点が曖昧になる弱点がでるのにそれらの党の固定票が期待できないというマイナスばかりだ。「第三極」などというブームに惑わされないで、地域政党という原点に戻って河村イズムで結集して濃尾平野には上方勢(維新)も関東勢(石原)も南朝(民主)も北朝(自民)も僧兵(公明)も平家(赤旗=共産)も奥州蝦夷(国民の生活)も入れない気概で固めればよい。提携は議員軍団ができた選挙後だ。でも河村たかし氏がおかしくなったのは政治塾ブームにのって東京や東北でも政治塾を開いちゃったからだ。それでそうした他地方の人たちの立候補を考えなければならなくなったからだろう。今となってはベターな方法は、亀井静香や小沢一郎と手を切って東京や東北の人も含めて減税日本で立候補したい人は尾張に連れてきて選挙区を割り当てることだ。しかしもともと政治塾などで候補者を探してはいい人はででこない。言っちゃあ悪いが名古屋市議会の減税日本をみればそう思う。議員としてどう政治を変えるかよりもどう自分の生活水準を上げるかに興味のある人しか集まらない。本当は在野で能力と気概を日常生活で表している人を個別にスカウトするしかない。でも今までの政党のスカウトは看板としてのキャリアとか知名度とかでスカウトしているからそうしたキャリアの待遇に不満のある人が議員になるので当然能力と気概不足で期待はずれとなる。

ここまで書いたあとニュースをみると、脱原発で諸党がまとまりそうだね。減税日本もそれに加わるみたいだ。どのような結果になるのか僕には見えてこない。国民の過半数は脱原発に賛成らしいのだが、即時廃止には躊躇してあからさまな脱原発を掲げる政党には投票しない可能性もある。また他の政策の理由で脱原発党にはいれにくい人もいるだろう。減税日本は単独で濃尾平野だけで戦えと上では書いたけど、脱原発という戦線ができたならそれに乗った方が有利なのかよくわからなくなった。というより戦線をどう作りどうマネジメントするかでショボるか化けるかが決まる。上手くマネジメントする人材はいなさそうだ。

ところで愛知2区(千種、守山、名東区)の自民党候補者に守山区選出の名古屋市議会議員の東郷哲也氏(41才)がなった。愛知2区は毎回民主党の古川元久氏が大差で当選してきたので自分がという人が他に出てこないので野心満々の東郷哲也氏に決まったのだろう。僕は守山区に住んでいるので東郷氏の活動を少しは注目していた。河村市長と市議会が激しく対決していたときは議場で激しく河村市長を罵倒して市長から「こんな失礼な言葉を始めて聞いた」と言わしめた人物だ。彼には『市長の品格』という著書があり実は僕も買っている。あまり読んでいないが、内容はまともそうだが昔の本みたいに字がずらっと並んでいる感じで読者フレンドリーな構成ではない。自費出版かベテラン編集者の手が入っていないようにみえる。

インターネットで見ることができる名古屋市選挙管理委員会の名古屋市議会議員選挙の選挙記録は平成15年以降である。平成15年の選挙では東郷氏は小沢一郎氏の当時の自由党から出馬したが守山区の定数4人にたいして6人中5位で落選した。ちなみに最下位は共産党。当選は公・民・自・無所属。ただしこの無所属はのちに民主党に入っているので実質、民2・自1・公1の構成だ。僕はその前の選挙にも東郷氏は無所属で出て落選していたような気がするがインターネットでは確認できなかった。ともかくもこの頃の僕の感想は「東郷氏は政治家になりたいらしいが、市議会議員は共産党を除いてオール与党で決して選挙争点を作らず故意に低い投票率にして後援会だけを固めれば地位は安泰だから誰か死ぬか引退しない限り新人の目は無い。東郷氏はいつまで希望のない政治活動を続けるのだろう?」と思ったものだ。

ところが何と次の平成19年の選挙で東郷氏は当選した。それにはこんな事情があった。守山区の定数が4名から6名に2人増えたのだ。そこで民主党は1人増やして3人立てる。そうすると公明党は1人だから自民党の2人当選は確実にみえるがここは3人立てればあわよくば3人当選だめでも2人当選だろうと考えたと思う。しかし手持ちの駒が足りないので前回自由党の東郷氏に声をかけたのだと僕は推測する。東郷氏も信念があって自由党を選んだわけではないので二つ返事で自民党にくらがえした(と思う)。

結果は何と自民党の3人は8人立候補の6・7・8の最下位となり、6位の東郷氏だけがかろうじて当選した。自民党が自己の力量を見誤り現職の後援会を分けたため2人は共倒れでまがりなりに自分の後援会を作っていた東郷氏だけが浮かび上がったのだ。当選は民・公・共・民・民・自。共産党も議席を取るため候補者を選んできて当選したのも自民党が東郷氏1人の当選となった原因だ。

ふと思うな、もし守山区の定数増がなければ、ひょっとしたら東郷氏はこの前の市議会リコール選挙で減税日本から立候補して河村市長の応援を受けて減税日本の市会議員になっていたのではないかと。東郷氏には失礼な言い草かもしれないが、僕は政治家になりたがる人にはシニカルになってしまう。

さて愛知2区の東郷氏の相手の古川元久氏であるが近年の選挙を大差で勝ちつづけている。経済財政政策担当大臣にもなったので大物と思われてもいいがなぜか党首にしたいという声がきこえてこない。大蔵官僚出身で留学もしている。もちろん東大法学部卒だ。「2ちゃんねる」の名古屋市職員専用スレッドをみると時々「古川元久はすごい」とかいう書き込みがある。名古屋市職員専用スレッドは民主党支持の自治労名古屋の人が多く書きこんでいるらしいのでそんな書き込みが出てくるのかもしれないが僕はアレ?と思う。というのは大臣になる前の新聞(僕の場合は主に日経)記事で2回ほど古川氏の名前がでてくるのをみた記憶がある。そのいずれもが古川氏が怒鳴られているらしいようすだった。原因は古川氏の能力不足らしかった。もちろん古川氏の能力に問題があるのではなくイジメられキャラなのか、又はたまたまその人との折り合いのせいかもしれないけど。とにかくそんなわけで「古川はすごく頭がいい」ときくとアレ?と思う。経済財政政策担当大臣になったのだから頭が悪いはずがないという声がきこえそうだが、野田内閣の大臣任命基準は不可思議なものが多いのであてにならない。実は選挙区の守山区の有権者として古川氏の経歴にクビをかしげることがある。古川氏は大蔵省官僚時代にコロンビア大学院に留学しているが帰国して税務署長の辞令を受けたとたん辞職している。税務署では出世コースから外れたと考えたのではないかと僕は思う。退職するのは個人の自由で僕も他人の事は言えないが問題は留学を終えてすぐ辞職したことだ。これでは元は税金である留学費用(とその間の給与)の食い逃げではないのか。

あ、そうそう最初の方で河村市長の減税日本に作戦を提案したので、僕が減税日本に期待しているように見えるかもしれないけどそうではないよ。僕が期待するのは安倍晋三内閣だ。こういうと「あ!やっばり反社会主義だから右翼なのだ」という声がきこえてくる。しかし僕の意図はそうではない。

ひとつは日本政府の財政破綻は理屈的には回避可能だが現実には回避不可能だ。財政破綻にはとうぜん痛みが伴うが、また様々な問題を一挙に解決するチャンスでもある。それならば早い方が良いのではないのかと思うわけである。だから安倍晋三内閣による建設国債の日銀引き受けとかインフレ目標に大いに期待するわけである。

ふたつ目は、安倍首相には櫻井よしこ氏みたいな人を外務大臣に起用して中韓両国と大いに論争して欲しい。日本の右の人は内弁慶で外には論争を仕掛けずに国内で異論や疑義をはさむ人を「反日」だとか「在日だろう」とか攻撃する。あれ?「反日」と「在日」では字義からすると反対語のような気がするがこれはどうしたことだろう。ともかく、そのせいか日本のマスコミには相手国の主張の内容がなかなか出てこない。以前に捕鯨に関して日本国内では捕鯨は「伝統的な食文化」だという主張が流れていたが、英エコノミスト誌には「そうはいっても、日本人は戦前までは大多数の人は鯨を食べたことがなかった」と書いてあって「なるほどな」と思って、日本のマスコミには日本政府に不利な国外の意見は流れてこない気がした。でも誤解のないように、僕は捕鯨反対ではないよ。欧米人が鯨は知能が高いから捕鯨は残酷だという主張に異議がある。知能の高低にかかわらす残酷なことは残酷。残酷というなら一生狭い箱に閉じ込められるブロイラーが一番残酷な目にあっている。捕鯨は追うものと逃げるものの自然の営みに動物でもある人間が参加した一形態だ。捕鯨が残酷でブロイラーはいいという人は社会主義者にちがいない。

とにかく一番恥ずべきことは相手の主張の内容も知らずにひとりよがりになることだ。根っからの右や左の旦那様たちは相手が自分の想定しない主張して虚をついても抗弁して平気でいられる(厚顔無恥)かもしれないが、曲がりなりにもリーゾナブルな知識人を目指す人間なら赤面せざるを得ない。

ところで安倍晋三氏は病気のため前の時総理大臣を辞めたように言っているけど国民が見放したのも事実だと思う。だってお友達内閣を作って趣味の政治はしたけれど国民に今必要な政策は何も進まなかったもの。憲法改正のための国民投票法が悪いというのではない。国民投票の手続きがなかったのは法の不備だからね。でもそれ以外はみんな先送りさ。それが今度はインフレ目標だって。死病にとりつかれると変な治療法に手を出すのと同じだね。それがかえって死を早めるのにね。平静なら抑制できる禁じ手も目の前の必要から強迫観念に駆られると理性が効かなくてそれがイイと本気で思い出す。財政法の赤字国債の発行の禁止も正気な時に決めた自戒規則なのだが毎年特例法で国債を発行している。医師からアルコールを禁じられた患者が毎日今日は酒を飲むが明日からは禁酒しようと言っているようなもの。いやいや今やアルコールは百薬の長で医師の意見は古いと言っている段階だな。月曜日の「TVタックル」で宮崎哲弥氏が「金融緩和しないと貧富の差が大きくなる」と言っていたが「エエ!」と思ったね。アメリカの例でいうと金融緩和により資金が株式に流れ株式などの金融資産の価格が高まった。たしかにその価格上昇もGDPにカウントされるので経済成長したことになる。しかし実経済に影響はないので失業率は改善しない。富裕層は資産が膨張してますます豊かになるが、貧困層は所得があまり増えないのに物価があがるのでますます困窮する。宮崎氏もプロパガンダ的暴論を吐くのはなにか強迫観念に取り憑かれているのだろう。

とにかく僕は安倍晋三内閣に期待する。


映画鑑賞ノート:周防正行(監督)『終の信託』

2012-11-02 23:44:32 | 文化

しばらく書き込んでいなかったので何か書かなくてはと思ってはいた。3冊の当事者の記録本を読んだ航空母艦信濃について書こうと思ってみても、自宅の庭の改修に時間と意欲をとられてなかなか書く気になれなかった。ようやく自宅の庭の改修に一区切りつけたので書くことにした。航空母艦信濃は後日にして今日見たばかりの映画『終の信託』の旬の感想を書こう。

見た映画館はミッドランドシネマ名古屋空港だ。この映画館でも中日本興業の株主優待券がつかえる。これでここは2回目だ。ミッドランドシネマ名古屋空港でも株主優待券が使えることは知っていたが最近まで来る気がしなかった。というのは名古屋空港といえば小牧市と思い自宅からかなり距離があると思い込んでいた。『アイアン・スカイ』という映画がどうしても見たかったのでカーナビをたよりに車で出かけた。そしたら春日井市で自宅から30分でつくところにあった。これなら時間的にも交通費的にも名古屋駅前よりずっと早く安くつく。そんなわけで今日は迷わずミッドランドシネマ名古屋空港を選んだわけだ。

面白いといえば『アイアン・スカイ』が断トツに面白いが、今日書くのは見てホヤホヤの『終の信託』だ。

主人公は病院につとめる40代の内科の女医だ。喘息を患う男性の患者から信頼を寄せられ幼いころに満州にいて妹の死ぬ現場をみた話を聞かされる。銃弾を腹に受けた妹に母親は子守唄を聴かせる。それは苦しみから逃れる永遠の眠りを迎えさせるものだ。これがこのドラマの伏線だ。また男性患者はチューブづけでは生きたくないと女医に話していた。

ある日男は路上で倒れ心肺停止状態で女医の病院へ救急車で搬送された。持っていたものはこの病院院の診察券のみなのでこの病院へ搬送されたのだ。男は病院での女医の緊急処置で弱いながらも呼吸は回復したが長時間の呼吸停止で脳の損傷が疑われて植物状態に近いものと女医は判断した(と検事に主張)。人工呼吸器をつけて意識のない状態は続いたあと女医は男性を安楽死させようと男性の妻に人工呼吸器を外すことを奨める。これは男性が以前に妻は親の介護から自分の介護と介護ばかりの人生でかわいそうだが自分では何も決められない人間だから女医が主導して欲しい旨のことを言っていたせいもあるだろう。女医は妻に息子と娘さんを呼んで相談してくださいといったのだが、家族の集まったその時はすでにあたかも人工呼吸器を外すことが決まっていて息子や娘はそれつまり男性の死に立ち会うために集まったかのような雰囲気だ。女医からも妻や息子娘からもこの状況になんの異議もでない。たぶんこれが問題になるポイントの一つだが、女医の方はこの方がやりやすいと考えていたかもしれない。人工呼吸器を外したとたん男は苦しみ暴れだす。これは脳死ではなかった証拠と検事はみなすことになる。女医は男性に鎮静剤を投与するがその量は看護師が驚くほど多量だった。安楽死させるための鎮静剤投与とみなされる量だ。男は人工呼吸器を外したから死んだのではなく鎮静剤の大量投与で死んだのだ。

僕が受ける印象では、女医は男が脳死状態ではないと思ったから早く楽にしてやらねばと安楽死させたのだと思う。以前男から人は死にかけて視力が無くなっても聴力はまだ残っていると話したのを聞いた女医は男が自分や家族の声を聞きながら早く楽にしてくれと考えていると思ったのではないか。

これは医療ドラマのようでも検察ドラマのようでもあるけどどちらも違うだろう。医療ドラマにしては女医の医療からの逸脱があるし女医は他の患者からも信頼されているようだが医療技術にはみていて疑問がのこる。これでは医療ドラマにならない。法廷場面がでてこないので法廷ドラマではないが検察ドラマにしては検事が嫌なキャラクターた。演技がうまいということだが、検事ドラマにはならない。つまるところ恋愛はないが男と女の人間ドラマというしかない。

原作があるらしいが僕は読んでいないけど、周防監督がどの部分を取り上げてどこを省くかで苦労したと思う。取り上げた構成でドラマ内容が変わってくると思う。他の監督あるいはテレビの連続ドラマなら取り上げて膨らませたと推測できることがある。

一つは男の死後3年以上経ってから告発されて検察庁に呼ばれたことだ。誰が告発したのかははっきりでてこなかった。僕がぼんやり聞き漏らしたかもしれないけど。だた検事との最初のやりとりで検事が「東大出で病院の医科長(だったと思うけど)ではやっかみも受けるでしょう」と言うと、女医は「それがこの件になんの関係があります」とぶっきらぼうに答えた。この検事の言葉は病院関係者の内部告発を暗示している。女医の反応は誰が告発者なのかに無関心なのかそれとも病院関係者以外のたとえば家族が告発者であることを知っていて、ただ東大出を皮肉っぽく持ち出されて不愉快になったようにみえる。僕が監督ならこの告発の経過を映像にするけど。原作は読んでないけど、僕が作ると法廷ドラマになっちゃうかも。ところで47歳の東大出の女医が医科長では出世していると言えない気がするな。以前名古屋市では病院関係者の人事異動は不定期によくあったけど常勤の医師はすぐ医科長という気がしていた。これは僕の勘違いかもしれない。でも47歳の東大医学部出でなら東大教授ならずとも医科大教授も割といる気がするからやっかみを受けるほど出世していないとおもう。

二つ目は男が毎日つけていた闘病日記だ。ドラマのはじめの方で男が闘病日記をつけているというはなしがでてきた。検事が言うには安楽死が認められるケースとして最高裁が認めたものは3つある。その3つを僕は聞き漏らした。やっぱり役人やめて良かった。その任に耐えらぬほどぼけて来たかも。えっ?もっとやめた方がいい人がいっぱいいるって。えっと話しはもどって、いずれにしても安楽死は本人の生前の意思(リビングウイル)がはっきり確認できるか、家族が本人なら希望するはずだからという承認が必要だ。僕はドラマの常としてこの闘病日記が決定的な場面にでてくるはずだと思って見ていたがとうとう場面ではでてこなくて映画の最後尾のその後のはなしの文章で、闘病日記が出てきて女医を信頼して総てを任せる旨の記述によりリビングウイルが認められて、安楽死が認められて懲役4年だが執行猶予がついたとある。無罪でないのは院長も副院長も男は回復可能と証言しているからだろう。

病院長の証言から女医の医療技術は怪しくみえるが、僕は最初の方からこの女医の技倆に疑問を持った。男の病気は喘息だ。それも中程度から重いものに移行しつつあるそうだ。でも喘息は症状であって病名ではないのではないか?喘息の原因はなんだろう?それが重要ではないのか。居住環境が喘息を重くしているらしいので転居を奨めるが拒否される。確かに工場地帯に住んでいるみたいだ。しかし女医は居住環境を主原因とみていないようだ。工場の廃棄物が主原因なら転居が最大の治療法だ。いや転居しなければ治らないともいえる。主原因を確かめてそれが居住環境なら絶対に死にたくないなら転居しなさいというべきだ。でも女医は主原因をつかんでもいないしつかもうとしていないように見える。これでは薮医者だよ。原作では違った書き方をしているかもしれないけど。

ところで僕がこの映画を見に行く気になった理由の一つは、予告編やポスターにでているシーンが名古屋市役所の本庁舎の地階に見えたからだ。ちなみに地階らしい場面は最後の方だがそれ以前の検察庁の内部には名古屋市役所本庁舎らしいところが多々見えた。そして映画終了のクレジットに目をこらしてみると撮影協力に名古屋市役所と名古屋市上下水道局の文字が見えた。