著者は、長年にわたり北朝鮮の平壌師範大学(金亨稷師範大学)のロシア語学科の教授であったが、1992年に派遣先のモスクワから韓国に亡命し、現在はアメリカの大学に研究室をもっていてアメリカで暮らしている。
日本版の題名は、著作権関係の英文記載のタイトル「I AM THE IDEOLOGICAL NOMAD IN 21ST CENTURY」とは意味内容が異なる。デザインとして表紙に書きこまれているハングル文字のなかに21というアラビア数字があるので、韓国での原書も英文と同じ意味のものであると思われる。なおアマゾンで見る限り現在まで英語版はでていない様子。翻訳は韓国版の原書から訳された模様だ。日本版のタイトルは、新潮社が販売戦略から独自につけたのだろう。著者は金日成の指示で他のロシア語教授と3人共同で、高級中学3年生の金正日に口頭試験を行いその結果から、金正日が在学していた南山学校のロシア語教育指導方法の改善を指示したことがある。新潮社ではそこから拡張して「わが教え子」という言葉を使ったのだろう。
この本のサブタイトルは「脱北エリート教授が暴く北朝鮮」というものだ。大学教授や大学生などの中間エリートの政治に翻弄される生態を通じて北朝鮮社会の特徴をよく現している。他の本の飢えに苦しむ庶民、政治犯の強制収容所又は最高権力者の周辺の話とはまたちがう側面である。だが著者は、最高権力者とも接触があり、また自身が突然そこに落とされかねない危険性という点で下層の人々ともつながるという、北朝鮮の社会構造をよく見渡せる位置にあったともいえる。
僕の仮説なのだが、北朝鮮だけでなく中国や旧ソ連の社会主義国及び各国の共産党などを見るにつけて、社会主義とは、封建制への回帰を希求する社会の近代化への反動現象だと思う。社会心理学的には「自由からの逃走」(フロム)といったところか。社会主義国では、旧ソ連、中国、北朝鮮とも農民を土地に縛りつけ、都市に流入するのを硬く禁じた。開放された農奴が社会主義者により再び農奴とされたのだ。そして身分制度が復活する。中国でも特に文化大革命のときに迫害の手段として使われた紅類・黒類の人民の種類の分類があったが、北朝鮮では成分という身分差別がある。親や兄弟などの親族のありかたで、本人の生涯が決まってくるものだ。連座制もある。脱北した著者の家族は政治犯の収容所に入れられ、多分もう生きてはいない。権力者及び体制への忠誠心が無定形に要求されるのも同じだ。そうしたいろんな点で日本の江戸時代と似ている。だが江戸時代の方がずっとおおらかなような気がする。
むかし北朝鮮での身分制度を知った時、僕はモンゴル帝国の身分制度を思い出した。モンゴル帝国の元(げん)では、早くモンゴルに降伏した順に身分制度が定められていた。中国人が最下層だがそれも早くモンゴル領になった北中国の民が最後に征服された南宋の民(南人)よりも上とされた。そんなことから昔からの大陸の遊牧民族の伝統かなと思ったものだ。しかし今思うと北朝鮮あるいは社会主義国家のそれははるかに過酷で不条理だ。封建性という地域歴史性のほかにテロルを統治手段としたマルクス・レーニン主義的要素も含んでいるからだ。
大学教授になってからの著者は何度も転落の危機に遭遇する。あるときは、臨時に行われた人民の親族関係の動向調査で、著者の姉が朝鮮戦争時にアメリカの船で南へ行ったという情報が当局に流れた。そのときは必死に抗弁してうわさがあったに過ぎないと認めさせて難を逃れた。ちなみに親族などの関係から出身成分が悪いと判断されると大学教授でも一般の工場労働者にされる。その後、兄の一人が朝鮮戦争で戦死していたことがわかりそれまでの行方不明者家族というあまりよくない分類から戦死者家族という分類の証明書がもらえた。なお妻の親族が韓国軍の将校だったわかったときは、著者は離婚をしなかった。しかし大学進学前の次女は成績がきわめて優秀なのだが進学を阻まれた。
金正日が教え子というのは正しくないが、じつは著者は金王朝のロイヤルファミリーの家庭教師を10年ほどしていた。金日成の後妻の金聖愛の弟の子供の家庭教師だ。学生時代のアルバイトというようなものではなく、大学教授が権力者の子弟の家庭教師するのである。著者は生徒の祖母にあたる金聖愛の母に気に入られた。しかし著者はその家庭から何ももらっていない。じつは金正日が権力を持つことを予想した友人から、決して何ももらうなという忠告を受けたのだ。金正日の権力掌握を万全とするため、「脇枝」という他の金王朝ファミリーのメンバーの勢力を削ぐ運動が起こった。金正日の手先が大学に来て著者を尋問した。金聖愛の弟から何かをもらっただろうと尋問した。ちなみに北朝鮮では贈り物とは人民が金日成・金正日にするもので、それ以外は禁じられている。何ももらわなかったので、逮捕されないですんだ。しかし金聖愛につながるものなので、地方の中学教師へと転勤命令がきた。ところが引越し直前に出発を待てという指示が来た。しかし職場から離れ配給は止められたままなので困窮したが、金聖愛の母から食料の差し入れがあった。3ヶ月ほどして転勤命令は撤回されもとの大学教授に戻った。金正日が権力を握っても金日成がまだ存命なので、何らかの働きかけがあったのかもしれない。
著者は派遣先のモスクワから韓国へ亡命したが、もともと亡命の意向を持っていたのではない。モスクワで韓国の情報部員か近づいてきて亡命をすすめたが断っていた。あるとき朝鮮戦争時に不明となっていた姉が、アメリカで生きていて韓国の情報部員の手引きでモスクワに来て著者と会った。うわさは本当だったのだ。姉も亡命を進めるがそれでも断った。しかしすぐに北朝鮮に召還されるという情報が入った。韓国の情報部員や姉と接触したことがばれたのだ。北朝鮮へもどればそのまま収容所行きである。そこでやむなく韓国へ亡命することとなったのだ。しかしそれは人質となっている家族や保証人となっている教え子に過酷な運命がおとづれることになるのだが。
著者は師範大学を卒業してほどなく師範大学の教授となった。著者が韓国やアメリカの大学に来て驚くことは、講師、准教授などがあり大学教授になるのに時間がかかることと,毎回の講義内容の準備計画をたてていない大学教師がいることだ。これは北朝鮮では、大学で教える内容や教科書は国で決めている。大学の講師は講義計画を学科長にあらかじめ提出して許可を受けて講義するのだ。つまり講義内容が統制されているのだ。ただよい点をあえていえば、教授たちは講義の仕方を互いに批判しあい研鑽しているということだ。つまり北朝鮮の大学とは高校の延長みたいな講義方法をとっている。したがって大学教師は即大学教授でもよいわけだ。
大学教授とは逆に北朝鮮で少なく、韓国やアメリカで多いのは博士だ。北朝鮮では大学ではなく、国の2つの機関が博士号を授与できる。つまり国家への貢献によるものか、学術上から最高の学者と認められた場合だ。だから博士は非常に少ない。僕はこれって「はくし」ではなく日本の平安時代にもあった「はかせ」なのじゃないのかと思った。お茶の水博士は「はかせ」だけど、彼は科学省の長官でもあったから「はかせ」なのかな。
日本版の題名は、著作権関係の英文記載のタイトル「I AM THE IDEOLOGICAL NOMAD IN 21ST CENTURY」とは意味内容が異なる。デザインとして表紙に書きこまれているハングル文字のなかに21というアラビア数字があるので、韓国での原書も英文と同じ意味のものであると思われる。なおアマゾンで見る限り現在まで英語版はでていない様子。翻訳は韓国版の原書から訳された模様だ。日本版のタイトルは、新潮社が販売戦略から独自につけたのだろう。著者は金日成の指示で他のロシア語教授と3人共同で、高級中学3年生の金正日に口頭試験を行いその結果から、金正日が在学していた南山学校のロシア語教育指導方法の改善を指示したことがある。新潮社ではそこから拡張して「わが教え子」という言葉を使ったのだろう。
この本のサブタイトルは「脱北エリート教授が暴く北朝鮮」というものだ。大学教授や大学生などの中間エリートの政治に翻弄される生態を通じて北朝鮮社会の特徴をよく現している。他の本の飢えに苦しむ庶民、政治犯の強制収容所又は最高権力者の周辺の話とはまたちがう側面である。だが著者は、最高権力者とも接触があり、また自身が突然そこに落とされかねない危険性という点で下層の人々ともつながるという、北朝鮮の社会構造をよく見渡せる位置にあったともいえる。
僕の仮説なのだが、北朝鮮だけでなく中国や旧ソ連の社会主義国及び各国の共産党などを見るにつけて、社会主義とは、封建制への回帰を希求する社会の近代化への反動現象だと思う。社会心理学的には「自由からの逃走」(フロム)といったところか。社会主義国では、旧ソ連、中国、北朝鮮とも農民を土地に縛りつけ、都市に流入するのを硬く禁じた。開放された農奴が社会主義者により再び農奴とされたのだ。そして身分制度が復活する。中国でも特に文化大革命のときに迫害の手段として使われた紅類・黒類の人民の種類の分類があったが、北朝鮮では成分という身分差別がある。親や兄弟などの親族のありかたで、本人の生涯が決まってくるものだ。連座制もある。脱北した著者の家族は政治犯の収容所に入れられ、多分もう生きてはいない。権力者及び体制への忠誠心が無定形に要求されるのも同じだ。そうしたいろんな点で日本の江戸時代と似ている。だが江戸時代の方がずっとおおらかなような気がする。
むかし北朝鮮での身分制度を知った時、僕はモンゴル帝国の身分制度を思い出した。モンゴル帝国の元(げん)では、早くモンゴルに降伏した順に身分制度が定められていた。中国人が最下層だがそれも早くモンゴル領になった北中国の民が最後に征服された南宋の民(南人)よりも上とされた。そんなことから昔からの大陸の遊牧民族の伝統かなと思ったものだ。しかし今思うと北朝鮮あるいは社会主義国家のそれははるかに過酷で不条理だ。封建性という地域歴史性のほかにテロルを統治手段としたマルクス・レーニン主義的要素も含んでいるからだ。
大学教授になってからの著者は何度も転落の危機に遭遇する。あるときは、臨時に行われた人民の親族関係の動向調査で、著者の姉が朝鮮戦争時にアメリカの船で南へ行ったという情報が当局に流れた。そのときは必死に抗弁してうわさがあったに過ぎないと認めさせて難を逃れた。ちなみに親族などの関係から出身成分が悪いと判断されると大学教授でも一般の工場労働者にされる。その後、兄の一人が朝鮮戦争で戦死していたことがわかりそれまでの行方不明者家族というあまりよくない分類から戦死者家族という分類の証明書がもらえた。なお妻の親族が韓国軍の将校だったわかったときは、著者は離婚をしなかった。しかし大学進学前の次女は成績がきわめて優秀なのだが進学を阻まれた。
金正日が教え子というのは正しくないが、じつは著者は金王朝のロイヤルファミリーの家庭教師を10年ほどしていた。金日成の後妻の金聖愛の弟の子供の家庭教師だ。学生時代のアルバイトというようなものではなく、大学教授が権力者の子弟の家庭教師するのである。著者は生徒の祖母にあたる金聖愛の母に気に入られた。しかし著者はその家庭から何ももらっていない。じつは金正日が権力を持つことを予想した友人から、決して何ももらうなという忠告を受けたのだ。金正日の権力掌握を万全とするため、「脇枝」という他の金王朝ファミリーのメンバーの勢力を削ぐ運動が起こった。金正日の手先が大学に来て著者を尋問した。金聖愛の弟から何かをもらっただろうと尋問した。ちなみに北朝鮮では贈り物とは人民が金日成・金正日にするもので、それ以外は禁じられている。何ももらわなかったので、逮捕されないですんだ。しかし金聖愛につながるものなので、地方の中学教師へと転勤命令がきた。ところが引越し直前に出発を待てという指示が来た。しかし職場から離れ配給は止められたままなので困窮したが、金聖愛の母から食料の差し入れがあった。3ヶ月ほどして転勤命令は撤回されもとの大学教授に戻った。金正日が権力を握っても金日成がまだ存命なので、何らかの働きかけがあったのかもしれない。
著者は派遣先のモスクワから韓国へ亡命したが、もともと亡命の意向を持っていたのではない。モスクワで韓国の情報部員か近づいてきて亡命をすすめたが断っていた。あるとき朝鮮戦争時に不明となっていた姉が、アメリカで生きていて韓国の情報部員の手引きでモスクワに来て著者と会った。うわさは本当だったのだ。姉も亡命を進めるがそれでも断った。しかしすぐに北朝鮮に召還されるという情報が入った。韓国の情報部員や姉と接触したことがばれたのだ。北朝鮮へもどればそのまま収容所行きである。そこでやむなく韓国へ亡命することとなったのだ。しかしそれは人質となっている家族や保証人となっている教え子に過酷な運命がおとづれることになるのだが。
著者は師範大学を卒業してほどなく師範大学の教授となった。著者が韓国やアメリカの大学に来て驚くことは、講師、准教授などがあり大学教授になるのに時間がかかることと,毎回の講義内容の準備計画をたてていない大学教師がいることだ。これは北朝鮮では、大学で教える内容や教科書は国で決めている。大学の講師は講義計画を学科長にあらかじめ提出して許可を受けて講義するのだ。つまり講義内容が統制されているのだ。ただよい点をあえていえば、教授たちは講義の仕方を互いに批判しあい研鑽しているということだ。つまり北朝鮮の大学とは高校の延長みたいな講義方法をとっている。したがって大学教師は即大学教授でもよいわけだ。
大学教授とは逆に北朝鮮で少なく、韓国やアメリカで多いのは博士だ。北朝鮮では大学ではなく、国の2つの機関が博士号を授与できる。つまり国家への貢献によるものか、学術上から最高の学者と認められた場合だ。だから博士は非常に少ない。僕はこれって「はくし」ではなく日本の平安時代にもあった「はかせ」なのじゃないのかと思った。お茶の水博士は「はかせ」だけど、彼は科学省の長官でもあったから「はかせ」なのかな。