昔は正月休みにはDVDの『ドクトル・ジバコ』をよく見たものだ。ハリウッド製のだよ。ほらエジプト人のオマー・シェリフがロシア人の医師で詩人の主人公を演じた。革命時のロシアが舞台のスペクタル映画だ。今は毎日が正月休みの境遇だから正月だからといって長編ドラマを敢えて見る必要はないのだが、ひょんなことから革命家がでてくる歴史スペクタルを見ることになった。それは韓流歴史ドラマの『ソウル1945』だ。DVDで35巻の71話だから昨年末から見始めて見終わったのは2月に入ってからだ。見ごたえのある大河ドラマといえる。
このドラマを知ったのは偶然だ。昨年末にケーブルテレビのBS日テレで見ていた『夢見るサムセン』を見逃した日があった。さっそくTSUTAYAに行ったがDVDが見当たらない。そこでGEOへ行った。そこにもなかった。ちなみに『夢見るサムセン』は今年に入って1月10日からリリースされたのだからその時点ではどこにもない。GEOに行ってみるとTSUTAYAもGEOもそれぞれ韓流ドラマのコーナーがあるけど置いてあるDVD作品は必ずしも同じではない。GEOで見かけたのがこの『ソウル1945』で日本統治時代から始まって朝鮮戦争までのドラマで、韓国ドラマには珍しく共産主義者が主人公らしい。そこで借りてみた。
このドラマは朝鮮戦争開戦直前に工作のため南朝鮮(韓国)に潜入した著名な共産主義的知識人でもある朝鮮労働党幹部を北へ逃亡するのを助けた罪で米軍関係者の妻である韓国人女性が死刑判決を受けて処刑された実話がモデルとなっている。しかし関係者の背景や関係者同士の関係はまったくドラマの創作になっていてモデルになった事件とは異なる。第一に米軍関係者はモデルになった事件ではアメリカ人だがこのドラマでは韓国人で準主役をなしている。
ドラマの初めの方を見て僕はこの共産主義者のチェ・ウニョクが主人公だと思っていた。だって咸興(朝鮮北部の工業地帯)一の秀才で平壌高普に首席合格したチェ・ウニョクが工場の事故での姉の死と労働争議と傷害事件に巻き込まれて高普への進学がダメになるが、ムン子爵の弟のムン・ドンギの助けによりイ参政の学校に入りそこから京城帝国大学を卒業して高等文官試験の司法科に受かり裁判官に任官するまでが前半で描かれているもの。おお!こんな経歴なら今の韓国なら親日分子としてその子孫も財産没収されるな。ところが労働争議を指導した共産主義者のムン・ドンギの逃走を助けることになってしまい自分もソ連に行くはめとなる。この人は共産主義者の理想には共感しているがその活動家にはなる気がないのだが状況によって二度も巻き込まれて裁判官と大学教授の地位をうしなうのだね。かわいそう。
少し話が変わるけど、日本統治時代でも朝鮮半島と日本では制度が違うのだね。学校でも平壌高普なんてでてくる。日本なら旧制中学か、それとも旧制高校も含むのかな。京城帝国大学はあるけどその下の高等学校が見当たらないから高普がそれに当たるのかな。それとも大学予科なんてものがあったのかな。とにかく教育勅語を含む日本の教育制度がそのまま施行されてはいないらしい。徴兵制度も戦争末期まで施行されていない。そうそうチェ・ウニョクが受かったのは高等文官試験の司法科で任官の辞令をもらいに京城まで行った。そうなると官僚制度も別々となる。日本では高等文官試験と司法試験及び外交官試験は官吏登用の三試験として別々だ。また高等文官試験に受かったのなら東京の本省で辞令を受けるはずだ。だからチェ・ウニョクが受かったのは朝鮮総督府独自の高等文官試験ということになる。よく日本は朝鮮を植民地にしたという人がいるけど、一次産品と労働力を奪う植民地とは違う気がする。日本の方の持ち出しが多いほど資金を投入しているから。こう言うと韓国人がそれは大陸侵略の基地にするためだと言うだろう。でもそれは筋の違う話。しかし古代ギリシャの植民市とも違う。でも本土といろんな制度が違うことはやっぱり植民地なのかなとも思う。でも内鮮一体を目指していた政治家もいたことは事実。太平洋戦争がなければ昭和20年代には徴兵制度も教育制度も選挙制度も同一になっていた可能性がある。その上で自治権の拡大の上昭和40年ごろに朝鮮は独立していたかもしれない。たぶん朝鮮半島の人々にはそれが一番良い結果のような気がする。しかし逆に太平洋戦争の敗戦がなければ日本の民主主義は遅れていただろう。日本としてはこれでいいのだ。
話を戻すと、チェ・ウニョクは主人公ではなかった。やはり共産主義者は主人公ではない。後半ではチェ・ウニョクは現実とのギャップに苦しみ活動が精彩を欠いてくる。逆に前半は存在感が薄かったイ・ドンウが韓国軍に加わり活躍し始める。結局ウニョクの恋人でドンウの婚約者であるキム・ヘギョンが主人公だったことがわかる。モデルになった人物は処刑されるが、このドラマでは貨物船で日本に逃げて生き延びる。
余分なことを先走って書き過ぎたが、このドラマでは4つの家族が中心に話が進む。それ以外にもう1人悪役で出てくる。4つの家族とは、一つはチェ・ウニョクの家族。父親は鉱山労働者で母と姉と二人の妹がいた。 姉のグミは工場で働いてウニョクが進学するのを楽しみにして制服代を貯金していたが工場の事故で死ぬ。二つ目はキム・ゲヒ(ヘギョン)の家族。父親はムン(文)子爵の咸興にある別邸の管理人。母親も別邸の使用人として働いていた。ゲヒ自身もムン子爵の一人娘ムン・ソッキョンの付き人になる。妹が二人いたが妹の1人は父親と一緒にムン・ドンキを助ける時に警官に打たれて死ぬ。三つ目はムン(文or文山)子爵の家族だ。ムン子爵は鉱山労働者の出身なのにこのドラマの時点では朝鮮経済界の大物で爵位まで持っている。妻の寺内雨香は朝鮮人ながら寺内総督の養女だ。咸興や総督府の役人もムン子爵を閣下と立てまつっている。ムン子爵の一人娘はムン・ソッキョンだ。若くして日本のピアノコンクールに優勝して東洋一のピアニストと言われている。ムン子爵の弟ムン・ドンギは東京帝国大学在学中に高麗共産党事件で逮捕された経歴を持つ共産主義者だ。4つの家族の最後はイ参政の家族だ。イ参政の家は名家でムン子爵が経営する鉱山は元はといえばイ参政の家のものだった。参政というのは総督府でのある種の地位を表す称号らしい。そのイ参政の息子がイ・ドンウだ。ムン・ドンギが教師をしていた学校でチェ・ウニョクと親友となった。ただイ・ドンウは共産主義者にはならなかった。しかしムン・ドンキの逃亡には手を貸したため警察の追求を避けるためにアメリカへ留学する。なおイ参政は鉱山を取り戻すため策謀するが、息子ドンウとムン・ソッキョンを婚約させることでムン子爵と和解する。そして悪役はパク・チャンジュだ。彼はムン子爵の所有する工場の労働者だったが労働争議の首謀者を密告することでムン子爵から補助憲兵学校に推薦してもらい警察官になって太平洋戦争中には警視まで出世する。日本の敗戦後ソ連が進出した北朝鮮では人民政府から死刑判決を受けるが逃亡して南朝鮮では防諜隊の中佐にまで出世する。パク・チャンジュは労働者時代からムン・ソッキョンを恋慕しいているがその恋が叶うことはなかった。
さて登場人物の背景は書いたが、ここでは全編のストーリーを書くつもりはない。僕がここでは興味を引いたのは日本統治時代を現代の韓国人がどう感じているのかということだ。つまりドラマの製作者としてもあるいは視聴者としても自分達の持つ観念とかけ離れた設定のドラマは流れないはずだと思う。だからドラマの描写で日本統治時代にたいする韓国人の観念が解る。そう言うと、きっと残酷な圧政で不当に弾圧されている場面が出てくると思うかもしれない。でも違うなあ。確かに警察の拷問なども出てくる。でもこの『ソウル1945』で共産主義者を拷問するのは朝鮮人であるパク・チェンジュ(当時は木村警部補)だ。そういえばこのパク・チャンジュ役のパク・サンミョンが主役をしていた『将軍の息子』という実録ドラマでも、警察署の日本人の警部は人格者で主人公と親友になるが、ただ1人執拗に主人公をねらう国本刑事は創氏改名をした朝鮮人という設定であった。『将軍の息子』では悪役と言えるのはこの国本刑事だけ。主人公と対立する日本人ヤクザの親分も朝鮮人の子分とその家族の面倒を見るので朝鮮人の子分も多いという設定で悪役ではなくイケメンの役者が演じている。総じて『将軍の息子』では日本人は公平という価値観を持ち、朝鮮人は民族主義という価値観を持ちそれぞれが自分の価値観の優位性を信じている。それから『将軍の息子』ででてくる戦前の京城の街は清潔で文化的に見える。これは『ソウル1945』でも同じ。鉄道もこぎれいだ。
おっと話がそれたので『ソウル1945』に戻そう。このドラマを見始めて最初に驚いたのはムン(文山)子爵という人物が出てくる。子爵だって!子爵は公候伯子男の下から二つ目だからそれほど高いとは思われないかもしれないが旧大名が受け取る爵位だ。華族制度ができた時、大大名が侯爵、中大名が伯爵、小大名は子爵になったはずだ。領地の実税収額で見るから幕府での公式石高とは違いがあるので幕府下の序列とは逆転もあった。朝鮮人でも爵位を持つ者はあった。大概は日韓併合に功績のあった李朝末期の政治家や国王の縁戚者である。しかしムン子爵は鉱山労働者の出身だ。もちろん経済人でも国家に功績があれば爵位がもらえる。血盟団事件で殺された三井合名の団琢磨が男爵をもらっていた。ムン子爵はその上の位だ。一体どんな功績があったのだろう。ドラマにはその理由がでてこない。ただ寺内総督の養女の雨香(あめかおり)と結婚した時に寺内総督から京城の屋敷を贈られたという話が出てきた。もちろんムン子爵という人物は創作だ。僕にはモデルとなった人物もいたとは思えないし、あり得ないだろうという感じ。ただ僕がここで言いたいのは、この設定が韓国人にとって「全くあり得ない。荒唐無稽だ」とは思われていないみたいなことだ。
ムン子爵は鉱山や工場のある咸興では絶大な権力をもち日本人官吏も「閣下」とよんで服従する。「朝鮮は天皇が支配するが、咸興はムン子爵が支配する」と言われたらしい。ムン子爵は時々大礼服をきて総督府の会議に出る。多分経済人の会合だろう。朝鮮人の綬爵者などは表向き奉られだけで実質は無視されるだろうと思われるが、どうしてどうしてムン子爵は総督府で重きをなしている。「植民地」ということで現地の生産手段は宗主国の人間に奪われると思いがちになる。たしかに咸興の鉱山は元の持ち主のイ参政から奪われたらしい。でもこれは軍事的に重要な施設だから総督府が取得したものと解釈できる。それは日本人でなくムン子爵に運営を託された。イ参政もかなりの資産家だからその時かなりの補償を受けたのだろう。時は流れ鉱山の運営の委託の更新時期が来た。イ参政はこの機会に鉱山を取り戻そうと策略する。また真崎男爵など日本人も運営権を得ようと画策する。しかし結局は引き続きムン子爵の手に委ねられた。その時宇垣総督は真崎男爵に「朝鮮人の誇りを持たせるため、朝鮮人に渡すことが必要なのだ」という。
ムン子爵の妻は雨香だ。これは寺内初代朝鮮総督の養女ということになっている。雨香は創作上の人物だが、寺内総督に朝鮮人の養女がいたかどうかはWikipediaを見てもわからない。朝鮮人の懐柔のため朝鮮人の侍女を養女にしたことは考えられる。そうするとポーズだから朝鮮総督をやめたとか死んだ後で他の親族とかとは疎遠になると思われる。ところが雨香は寺内総督の息子の南方軍司令官の寺内大将を電話で「お兄様」と呼び出し助けを求めたりする。終戦後ムン子爵は自決したので雨香は寺内総督の親族を頼り日本に逃れる。朝鮮戦争時に雨香は娘のムン・ソッキョンを迎えに韓国に来るが裕福そうであった。寺内総督の親戚が軍需工場を経営していて朝鮮戦争特需で儲かっているとのことだ。日本人は血のつながらない異国人の義理の親戚をも優遇するらしい。
昭和19年の末ごろと思われるが、総督府の会議でフィリッピンの日本軍がアメリカ軍を打ち破ったという誤った情報(大本営発表か)で、「もうすぐアメリカはお手上げで降伏する。そうなると弾丸を多く作って戦争に協力したムン子爵は功労者だ。戦争終了後陛下に宮中に呼ばれるだろう。陞爵(しょうしゃく、爵位が上がること)もあるだろう 」などと総督府の要人がムン子爵をおだてた。どんな状況認識だろうね。そういえば同じ昭和19年だが東條首相の辞任のあとに首相になった朝鮮総督の小磯國昭は首相になって「日本がこんなに負けているとは知らなかった」と言った記録がある。ただ総督府の日本人を含む要人がムン子爵を褒めるのは口先だけの社交辞令ではない。日本が敗戦後に共産主義者が咸興を支配したときムン子爵が逮捕されそうになったが共産主義者の弟ムン・ドンギの制止を振り切って割腹自殺をした。するとそれを知った京城の総督府の要人は「ソ連に捕まって辱めを受けるより死を選んだのだ。さすが文山(ムン)子爵」と褒め称える。つまりムン子爵は位階にふさわしく扱われ尊敬もされていた。
つまり現代の韓国人でも、日本統治下では日本人は朝鮮人を平等に扱おうとしたという暗黙の了解があるのだ。そういえばパク・チャンジュは最初の登場から何年かたった時は咸興の警察で警部補になっていて共産主義者摘発の功績で勲章も授与されていた。驚くのはそのあと太平洋戦争中に出て来た時は警視になっていた。そしてパク・チャンジュはムン子爵に会いに行って娘のムン・ソッキョンを妻に下さいと言って断られる。その時パク・ジュンチェはもっと出世して総督府の警務部長になってムン・ソッキョンを妻にすると心にちかう。これを見て驚いた。はたして補助憲兵上がりの朝鮮人が警務部長という高官になれるのか。日本統治下の朝鮮では日本軍の憲兵組織が警察機構を受け持つ武断政治であった。日本陸軍の高級将校でなければ警務部長になれないと思うのである。でもドラマの製作者も現代韓国の視聴者もあり得ることとして違和感を持っていないのだ。しかし現代日本人の感覚でもノンキャリアが官僚組織のトップに行くようなあり得ない感じがする。朝鮮総督府では日本国内ではあり得ないような能力本位で出世すると思われるのかな。それから朝鮮人が日本統治時代をどう見ているのかの問題だ。この『ソウル1945』では8月15日の後の朝鮮人民の狂喜乱舞姿を描いている。たしかに民族主義的性向の強い朝鮮人民は独立が嬉しかったであろう。だがその後得たものはなんだろう。朝鮮戦争のさなか雨香はムン・ソッキョンを迎えに韓国へ来た。その時韓国人に言った言葉が「独立して7年も経つのにこの様はなんです」だ。韓国人の返事は「戦争なので仕方がない」だ。でも共産党の強い国やソ連軍が進駐しても共産党を含めた連立政権を立てて国家の統一を維持した国はいくつもある。フィンランドやオーストリアのように中立国として国を維持できたかもしれない。イタリアやフランスのように一旦は連立政権を作ってもよかった。でも非妥協的党争は李朝時代から現代に続く朝鮮民族の宿痾の病だ。突然の権力の空白は争乱の元だ。
「時代が悪い」この言葉は、1945年以後のこのドラマにたびたび出てくる言葉だ。でもこの登場人物たちは他のどの時代を知っているのだろうか。年配者は幼い頃の記憶で李朝時代を知っているかもしれないがほとんどの記憶は日本統治時代だ。比べられるとしたら日本統治時代しかない。
そうそう韓国軍がソウルにもどってきたとき、反共青年団が共産主義者の親を捕えて死刑にする。共産主義者を育てた罪は重いとのことだ。韓国政府も米軍も合法的なことだと容認する。まるで朝鮮王朝の反逆罪みたいだ。日本統治時代には考えられない暴挙だ。「時代が悪い」とはこういうことだ。
キム・ヘギョンはチェ・ウニョクの逃亡を助けた罪で死刑判決をうけた。ところが朝鮮人民軍がソウルを占領すると一躍英雄となった。しかし戻ってきた韓国軍によってチェ・ウニョクとともに山岳にこもった部隊で看護兵となる。その時チェ・ウニョクと話しあったのは平和になったらチェ・ウニョクは子供の学校の教師になって二人で暮らそうというもの。でもこの夢は日本統治時代の匂いがする。チェ・ウニョクのこの夢は恩師ムン・ドンギが粛清されるのを始め多くの共産主義政権の暗黒面を見過ぎたウニョクにはそれを全て忘れて共産主義政権下で学校の教師になることは難しい。ウニョクはあやまって味方に撃たれて死ぬがどのみち共産党政権では粛清されずにはおれない誠実な人間だ。だからウニョクの夢にふさわしい状況は日本統治下だと思う。キム・ヘギョンとチェ・ウニョクが婚約直前だったのは解放後だ。その時はチェ・ウニョクは京城帝国大学(大日本帝国は亡くなってもまだ帝国大学だった)法学部教授だった。その時に戻ることを望まないのはその時でも政治の渦が取り巻いていたからだろう。
そうそう『将軍の息子』では一番の人格者は警察の柔道師範の日本人警部だったが、この『ソウル1945』でもなかなか好感の持てる日本人がいる。それは半島ホテルのイケメンの支配人だ。彼は職を求めるヘギョンを洗濯係りとして採用して客室係りへと昇進させて英語も勉強させる。ヘギョンに好意を持っているがセクハラ・パワハラなどは一切しない。そして日本が敗戦して日本に帰ることとなった時「私のここでの最後の仕事はあなたをマネージャーに昇進させることです」と言って帰っていった。マネージャーは支配人の下で3人しかいないホテルの幹部だ
結論として韓国人は日本統治時代とはそれなりに良い時代だったと思っているのではないか。下層階級でも進学や出世のチャンスがあった。また日本人はおおむね公平であった。しかし民族主義の立場からそれを認めたくない。だから韓国人の中の親日分子狩りという歪んだ形となる。チェ・ウニョクは総督府のもとで判事になったから今なら親日分子だね。このドラマを見た韓国人はこのことをどう評価するのかな。