レンタルビデオ店の会員カード更新のついでに、見たかったけど見損なった映画のDVDを2本借りたうちの1本(他はスピルバーグ監督の「ミュンヘン」)。
青年ピアニストの主人公は気がついたら天国の本屋のアルバイトとなっていた。死んではいなくてやがて現世に戻れるのだから「アルバイト」。普通いわゆる世間の常識(?)ではこういう場合は病気か事故での臨死状態なのだが、彼はそうではない。ああ、もう一人若い女性のアルバイトもピンピンのままで現世に戻った。そんな人が何人もいるのならあの世とこの世はかなりコミュニケーションがよいことになるのだが?
住人は、主人公ともう一人のアルバイトの女性を除いてみんな死んだ人みたいだからこの世ではないことは確か。地獄ではなさそうなので、天国と言えば天国なのだろう。ただここには神様や仏様や天使らしいものは見えない。ただ本屋の主人があの世とこの世を自由に往復しているようだから天使とか死神とかの部類に属する人(?)みたいだ。
本屋の主人の話では人間の寿命は100歳で、100歳前に亡くなった人は、100歳までの残りの期間をこの「天国」で過ごして100歳になったときに再びこの世に生まれ変わるとのこと。100歳以上で死んだ人については一応説明があるが主人公も理解不能。悪人はいなさそうなので、悪人には別の世界たとえば「地獄」というようなものがあるかもしれないが触れられていない。100年ごとに生まれかわりを繰り返すとすると永遠に輪廻の循環を繰り返すことになるから、ひょっとしたらより修行(?)が進んだ人は死んだ時に別の段階の「天国」にいくのかな?まあこれは僕の余分な想像。
さてこのドラマで感じたのは、天国での本屋とは、読書とはということ。
本屋といっているが見た感じでは図書館みたい。でもお金はない世界みたいだから、本屋も図書館の違いは意味がないかもしれない。本屋の仕事にお客の依頼で本を朗読することがある。そうした場面でお客の持っている本の表紙が画面に映ったのをみると福沢諭吉の「学問のすすめ」であった。それをみてふと疑問に思った。「なぜ天国で学問が必要なのか?」。天国ではお金はいらないとのこと。喫茶店でそう言っていた気がする。コーヒーだけ無料という意味ではないだろう。天国では100歳で生まれ変わるまではさらにその上には死なないと思う。病気もなさそう。でも竹内結子演ずる方耳の不自由なピアノストは天国でも耳が悪いうえに発作みたいなものを起こしていたから自信はないが。僕の解釈では現世から引きずっているトラウマみたいなものだと思う。
話はもどって、お金の制度がなく病気もなく死ぬ心配もない場合は、理科系も社会系も学問の必要がないということ。医学を勉強してこの世界(天国)の病気の人を救おうとか、法律を勉強して弱い立場の人の役に立とうとか、工業を発達させてすべての人に廉価でよいものを供給しようとか、のパッションがでてこない。だから学問への意欲が出てこないと思う。天文学とか純粋の自然科学はといわれても、あの世界(天国)の空の星は本当に存在するのか?天国はスピリチュアルな世界なのでそれは自然科学の対象にならない。では「学問のすすめ」は場違いとしても、学問でない小説などはどうか。でも障害や危険のない世界でのロマンスや冒険話は成り立つのか。まあ、生きていた時の記憶からそうしたものに興奮する可能性はあるけど。
自分を取り巻く世界に解決するも問題があるから学問もあり進歩もありロマンスも冒険もある。とすると、本当のパラダイスはこの世で、あの「天国」はただの控え室なのか。
All life is problem solving. (Karl Popper)
青年ピアニストの主人公は気がついたら天国の本屋のアルバイトとなっていた。死んではいなくてやがて現世に戻れるのだから「アルバイト」。普通いわゆる世間の常識(?)ではこういう場合は病気か事故での臨死状態なのだが、彼はそうではない。ああ、もう一人若い女性のアルバイトもピンピンのままで現世に戻った。そんな人が何人もいるのならあの世とこの世はかなりコミュニケーションがよいことになるのだが?
住人は、主人公ともう一人のアルバイトの女性を除いてみんな死んだ人みたいだからこの世ではないことは確か。地獄ではなさそうなので、天国と言えば天国なのだろう。ただここには神様や仏様や天使らしいものは見えない。ただ本屋の主人があの世とこの世を自由に往復しているようだから天使とか死神とかの部類に属する人(?)みたいだ。
本屋の主人の話では人間の寿命は100歳で、100歳前に亡くなった人は、100歳までの残りの期間をこの「天国」で過ごして100歳になったときに再びこの世に生まれ変わるとのこと。100歳以上で死んだ人については一応説明があるが主人公も理解不能。悪人はいなさそうなので、悪人には別の世界たとえば「地獄」というようなものがあるかもしれないが触れられていない。100年ごとに生まれかわりを繰り返すとすると永遠に輪廻の循環を繰り返すことになるから、ひょっとしたらより修行(?)が進んだ人は死んだ時に別の段階の「天国」にいくのかな?まあこれは僕の余分な想像。
さてこのドラマで感じたのは、天国での本屋とは、読書とはということ。
本屋といっているが見た感じでは図書館みたい。でもお金はない世界みたいだから、本屋も図書館の違いは意味がないかもしれない。本屋の仕事にお客の依頼で本を朗読することがある。そうした場面でお客の持っている本の表紙が画面に映ったのをみると福沢諭吉の「学問のすすめ」であった。それをみてふと疑問に思った。「なぜ天国で学問が必要なのか?」。天国ではお金はいらないとのこと。喫茶店でそう言っていた気がする。コーヒーだけ無料という意味ではないだろう。天国では100歳で生まれ変わるまではさらにその上には死なないと思う。病気もなさそう。でも竹内結子演ずる方耳の不自由なピアノストは天国でも耳が悪いうえに発作みたいなものを起こしていたから自信はないが。僕の解釈では現世から引きずっているトラウマみたいなものだと思う。
話はもどって、お金の制度がなく病気もなく死ぬ心配もない場合は、理科系も社会系も学問の必要がないということ。医学を勉強してこの世界(天国)の病気の人を救おうとか、法律を勉強して弱い立場の人の役に立とうとか、工業を発達させてすべての人に廉価でよいものを供給しようとか、のパッションがでてこない。だから学問への意欲が出てこないと思う。天文学とか純粋の自然科学はといわれても、あの世界(天国)の空の星は本当に存在するのか?天国はスピリチュアルな世界なのでそれは自然科学の対象にならない。では「学問のすすめ」は場違いとしても、学問でない小説などはどうか。でも障害や危険のない世界でのロマンスや冒険話は成り立つのか。まあ、生きていた時の記憶からそうしたものに興奮する可能性はあるけど。
自分を取り巻く世界に解決するも問題があるから学問もあり進歩もありロマンスも冒険もある。とすると、本当のパラダイスはこの世で、あの「天国」はただの控え室なのか。
All life is problem solving. (Karl Popper)