セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

鑑賞ノート「天国の本屋 恋火」

2006-08-27 20:05:44 | 文化
レンタルビデオ店の会員カード更新のついでに、見たかったけど見損なった映画のDVDを2本借りたうちの1本(他はスピルバーグ監督の「ミュンヘン」)。
青年ピアニストの主人公は気がついたら天国の本屋のアルバイトとなっていた。死んではいなくてやがて現世に戻れるのだから「アルバイト」。普通いわゆる世間の常識(?)ではこういう場合は病気か事故での臨死状態なのだが、彼はそうではない。ああ、もう一人若い女性のアルバイトもピンピンのままで現世に戻った。そんな人が何人もいるのならあの世とこの世はかなりコミュニケーションがよいことになるのだが?
住人は、主人公ともう一人のアルバイトの女性を除いてみんな死んだ人みたいだからこの世ではないことは確か。地獄ではなさそうなので、天国と言えば天国なのだろう。ただここには神様や仏様や天使らしいものは見えない。ただ本屋の主人があの世とこの世を自由に往復しているようだから天使とか死神とかの部類に属する人(?)みたいだ。
本屋の主人の話では人間の寿命は100歳で、100歳前に亡くなった人は、100歳までの残りの期間をこの「天国」で過ごして100歳になったときに再びこの世に生まれ変わるとのこと。100歳以上で死んだ人については一応説明があるが主人公も理解不能。悪人はいなさそうなので、悪人には別の世界たとえば「地獄」というようなものがあるかもしれないが触れられていない。100年ごとに生まれかわりを繰り返すとすると永遠に輪廻の循環を繰り返すことになるから、ひょっとしたらより修行(?)が進んだ人は死んだ時に別の段階の「天国」にいくのかな?まあこれは僕の余分な想像。

さてこのドラマで感じたのは、天国での本屋とは、読書とはということ。
本屋といっているが見た感じでは図書館みたい。でもお金はない世界みたいだから、本屋も図書館の違いは意味がないかもしれない。本屋の仕事にお客の依頼で本を朗読することがある。そうした場面でお客の持っている本の表紙が画面に映ったのをみると福沢諭吉の「学問のすすめ」であった。それをみてふと疑問に思った。「なぜ天国で学問が必要なのか?」。天国ではお金はいらないとのこと。喫茶店でそう言っていた気がする。コーヒーだけ無料という意味ではないだろう。天国では100歳で生まれ変わるまではさらにその上には死なないと思う。病気もなさそう。でも竹内結子演ずる方耳の不自由なピアノストは天国でも耳が悪いうえに発作みたいなものを起こしていたから自信はないが。僕の解釈では現世から引きずっているトラウマみたいなものだと思う。
話はもどって、お金の制度がなく病気もなく死ぬ心配もない場合は、理科系も社会系も学問の必要がないということ。医学を勉強してこの世界(天国)の病気の人を救おうとか、法律を勉強して弱い立場の人の役に立とうとか、工業を発達させてすべての人に廉価でよいものを供給しようとか、のパッションがでてこない。だから学問への意欲が出てこないと思う。天文学とか純粋の自然科学はといわれても、あの世界(天国)の空の星は本当に存在するのか?天国はスピリチュアルな世界なのでそれは自然科学の対象にならない。では「学問のすすめ」は場違いとしても、学問でない小説などはどうか。でも障害や危険のない世界でのロマンスや冒険話は成り立つのか。まあ、生きていた時の記憶からそうしたものに興奮する可能性はあるけど。
自分を取り巻く世界に解決するも問題があるから学問もあり進歩もありロマンスも冒険もある。とすると、本当のパラダイスはこの世で、あの「天国」はただの控え室なのか。
All life is problem solving. (Karl Popper)

読書ノート:加藤廣「秀吉の枷」(日本経済新聞社)

2006-08-12 22:10:21 | 文化
「信長の棺」につづく著者の2作目。本能寺の変と秀吉の関与は前作を踏襲している。以下に気付いた点をノートする。

(1) 秀吉は信長を醒めた眼で見ていた。
歴史的事件を並べただけではわからない秀吉の心の襞をこの小説は描いている。その一つ、秀吉は信長を醒めた眼で見ていたということ。もちろんこの小説の中の世界でのことだが、でもそれが僕には大いにリアルティーを感じさせる。だって比叡山の僧俗男女を皆殺しにする信長(このとき秀吉は独自の判断で人々を逃がしている)、自分の甥で妹の市と浅井長政の間の息子を探し出して殺す信長、浅井長政と朝倉義景の髑髏を杯にする信長、何十年前のことを持ち出して家臣を追放して飢え死にさせる信長。その信長への表面上の追従とはべつに秀吉の中に醒めた感情があるのは当然だ。だって少なくとも天下人になる以前の秀吉は人はあまり殺したくないと言っていたのだから。

(2)秀吉は諜報組織を持っていた。
信長が忍者を嫌っていたので織田家は諜報組織を持っていないと思われている。もっとも滝川一益は忍者出身という説もあるが。しかし桶狭間の第一の殊勲は今川義元の陣の位置を探った簗田とかいう武士になっているので情報を軽視したはずはないのだが。なおこの小説では桶狭間では秀吉とその出身母体の山の民が活躍している。
秀吉は竹中半兵衛の遺言で敵だけでなく信長や織田家中も対象に諜報組織をつくる。これも秀吉が信長を一定の距離を置いて見ていた現われである。もちろんこの小説の世界の話だが。謀略組織は2系統あって、蜂須賀小六が率いるものと前野将右衛門が率いるものがある。あとの前野将右衛門の諜報網が主としてこの小説の筋に絡んでくる。前野将右衛門についてはあまり名前を聞かないかもしれないが歴史上の人物で10万石の大名にもなっているのだが、息子が関白秀次に連座して取り潰しにあったため関が原にも江戸の大名にも前野家はでてこないため忘れ去られた名前となっていた。伊勢湾台風のときにその子孫の蔵から「武功夜話」として知られる前野家文書が発見され、当時の様子が細かく知られるようになった。でも江戸以降の地名などが文書にあるため偽書の疑いがある。

(3) 秀吉が家康に関東を与えたわけ。
いままでよくわからなかったのが秀吉は何故家康に関東を与えたのかということ。だって旧領の三河、遠江、駿河、甲斐を取り上げられても結果として家康の石高は大幅に増大して他の毛利や前田などの有力大名からぬきん出てしまったもの。それに秀吉がわざわざ江戸に城を築くように言っている。秀吉はわかっていたかどうか知らないが風水的に見て江戸は王府の相があるとのことだ。まるで家康の天下取りのお膳立てをしているみたいだと思った。それなのに家康をけん制するため会津に最初は蒲生氏郷、氏郷の死後は上杉景勝という戦に強くて家康とは親密でない大名を大幅に加増してまで置いている。
その理由はこの小説で腑に落ちた。要するに秀吉の関東の広さを分かっていなかったための勘違い。当然太閤検地も未実施の土地で石高も掴んでいなかった。秀吉は開墾とか開発に多額の費用と労力のいる荒地に家康を追放して疲弊させようとしたのだ。だがそのあとで関東地方を視察してその広さを初めて実感して驚いた。そこで松坂12万石の蒲生氏郷を最初は42万石、翌年に120万石の大大名にして会津にすえたわけだ。

(4) 立花宗茂の夫婦仲と柳川移封
天下人になってからの秀吉の最大の関心事は子どもを作ること。自然その前提となる行為にも大いに関心がある。九州平定直後に立花宗茂(当時は統虎)と会ったときに、そのころは琴瑟相和していた宗茂夫婦の妻の「閨の睦言」を秀吉に教えるか、近畿地方に大禄で移封するかと迫った。宗茂は水と魚のまずい近畿はいやだが、九州男児が勝手にそんなことを話せないから妻と相談するとのことであった。結果は妻も近畿へは行きたくないので、秀吉から他へは漏らさないとの誓約をとって教えてもよいとのこと。そんなわけで、宗茂は近畿へは行かないのだが、秀吉の九州処分の知行割りの関係で、同じ北九州だが立花城から柳川に移封することになった。近畿の大禄よりはかなり落ちるが大友家の一武将から13万石の大名だからそれでも大出世。でもこれで夫婦仲は悪くなり別居となる。妻は石高が不満なのではない。立花城から移ることに大不満なのだ。だって立花城は妻の実父の立花道雪から妻が譲られたものであり、実は城主は妻だったのだ。で、宗茂と言えば、柳川は水が美味いと上機嫌。ひょっとしたらこれで自分自身の城と領地が持てるためうれしかったかもしれない。そのためもあってか宗茂は柳川の領民を大切にしたので、関が原の敗戦後、城を明け渡すことになったとき、領民が自分たちも戦うから去らないでくれと懇願したのだ。

(5) 秀吉は秀頼が自分の子でないと知っていた。
この小説によると、秀吉は秀頼が自分の子ではないと知っていたとのことだ。それは秀頼の出生からさかのぼって推定される懐妊の時期が秀吉と茶々(淀どの)は離れた場所にいたからだ。それが史実として確認できるなら、当時の人々もわかっていたと思うのだが?なおこの本では江戸時代初めの徳川家で常識だったとのこと。
茶々は秀頼の前にも夭折した鶴松という子を生んではいる。その時の懐妊時期はぎりぎりだがありうるし、以前の長浜時代にも側室が秀吉の子を生んだことがあるので、自分が種無しとは思わなかったので自分の子と信じた。しかし秀頼の場合は自分の子ではありえなかった。しかし豊臣家の体面のため自分の子と信じたふりをすることにした。そして甥の関白秀次の娘と結婚させれば豊臣の血が続くことになる。だが、秀次の乱行が多くなると、秀吉は秀次の梅毒を疑った。それでは残すべき豊臣の血が汚れてしまう。じつはそれは梅毒のせいでなく、淀どのの手のものが秀次に鉛を盛り続けたのが原因だった。それを側近(前野将右衛門の息子)から知った秀次は、明日会って秀吉におもしろい話を聞かせると秀吉の使者に言ってしまった。秀吉は秀頼の出生の秘密のことと思い急きょ秀次を幽閉したあと殺してしまう。秀次の側室を皆殺しにしたのは梅毒の懸念のせいだ。
茶々が秀吉の閨に入ったのは実は茶々からのはたらきかけだ。秀吉はお市の方には恋慕の情をもっていたが、娘の茶々にはそれほど執着していたわけではない。むしろ側室では京極家の姫の竜子がお気に入りだった。作者は茶々が秀吉をさそい鶴松を産もうとした動機を、京極竜子との地位をめぐる確執と考えているらしい。
でも僕の私見では、気がつけば浅井3姉妹のうち妹2人は先に嫁いでいたそのあせりではないかと思う。信長の姪である茶々はそこいらの大名に嫁ぐ気がしなかった。妹の一人は徳川家の跡継ぎに嫁いだ。徳川家は秀吉を除けば最大の大名だ。もう一人の妹は京極家という大名に嫁いだ。石高は大きくないが、実は京極家は浅井家の主筋にあたる名家だ。だから浅井長政の娘としてはふさわしいところに嫁いだといえる。では気位の高い茶々にそれ以上の嫁ぎ先はあるのか?公家なら位の高いところはいくつかあるだろうが、収入は少ない。そこで天下人である秀吉の側室になり、並みの側室にならないために子種をどこかで仕入れてきたのだと思う。

金庸原作「連城訣」のDVD

2006-08-07 21:51:06 | 文化
もう1週間ぐらい経つけどアマゾンドットコムで予約していた金庸原作の「連城訣」のDVDが届いたので連日見ていた。金庸とは香港の小説家で武侠小説といわれる江湖つまり民間渡世の武術の達人が主人公の中国の時代小説の大家。存命だがもう20年以上前に書くことをやめている。僕はそのファンで、日本で翻訳出版されているものはすべて読んだ。40冊以上になるはず。DVDも原作に忠実なテレビシリーズをDVD化した「笑傲江湖」「射英雄伝」「天龍八部」も持っているし、その他金庸小説を原作としたDVDやビデオもいくつか手に入れて見た。
しかし、この「連城訣」の主人公の狄雲はひどい目にあわされたものだ。金庸の小説には同じく罠にかかってひどい試練にさらされる主人公が何人もいる。「笑傲江湖」の令狐冲は師父から破門され愛する妹弟子は他の男を愛しはじめた。「天龍八部」の喬峯は江湖の武術会の最高の名士の地位から敵国人の子で武術の師と養親を殺したという濡れ衣で江湖中から命をねらわれた。でも令狐冲は少林寺や武当派という名流の長老からは評価されている上に五山派の中の恒山派という尼さんの武術集団のトップに迎えられ、地位としては師父と同格になり、愛する人もできた。喬峯は遼国で王と友人になり高官になった。ようするに捨てる神あれば拾う神あり。しかし狄雲は無実の罪での牢にいれられて肩の骨に穴をあけられてからだの自由を奪われる。牢を抜け出したあとも、邪悪なチベット僧と間違えられ足の骨を折られてしまう。もちろん最後は悪人を倒すのだが。