7日(水)から昨日10日(土)まで3泊4日で沖縄旅行へ行ってきた。本当は自分自身の生活雑記みたいなことは、他人が読んでも興味がわかないだろうから書かないのだが、僕が撮った写真を送ろうかと同行の二人に言ったところブログに載せればいいということなので、写真のために沖縄旅行のブログを書くこととした。でもこれって「どうせ下手くそな写真だろうからわざわざ送らなくてよい」に聞こえるなあ。風景の写真のみ選んで載せよう。同行者の写っているのはものは、ブライバシーだからメールか郵送で本人宛に送ろう。
沖縄旅行は大学時代のサークルの友人2人と行った。そのうち1人が「みんなもそろそろ定年だから時間に余裕があるだろうから自分が仕事で20回以上行っているので沖縄を案内しよう」といって企画したもの。でも僕の学年の者は本来は来年3月(公務員ならだけど)が定年。1年下の者は当然現役。まあ僕と同じ大学卒業年次の者でも1歳ぐらい歳上はかなりいるし、発案者自身が定年になっていたからこの企画なったわけだ。しかし定年になっている者も多くは嘱託等でまだ働いているので、集ったのは定年になったが嘱託で時間 が取り易い発案者と、数月前に65歳で会社を定年退職した先輩と、そして定年前に公務員をやめて純粋無職でいる僕の3人だ。ちなみに元公務員は僕だけ。
沖縄の感想をささっと書こう。沖縄の県都である那覇市では近代的な建築物が目に付いた。どの県でも県庁所在地だけは立派だよという見方もできるかもしれないが、ほとんど他都市は行っていないが、少なくとも岐阜市より現代的に感じるな。県庁舎も立派だった。たぶん基地に関わる国からの交付金が注がれているのだろう。沖縄は県民所得が一番低く失業率も高いそうだから交付金なるものが県民生活をストレートに押し上げていることはなさそうだ。箱物を作れば建築業界が活発化して雇用も増えるとの考え方もあるが、行政からの発注というものは、その資金の多くは特定のマフィア(利権共同体)に流れ建設現場の労働者をはじめとする庶民には流れないものだ。社会主義国の役人の横流しと日本国の公共事業の丸投げは本質的に同じものだ。
でも所得が低くて失業率が高くても、沖縄には暮らしていける民衆の共同体があるような気がする。数日いただけで学問的実証的に調査したのではないので、いつもの直感なのだから、あくまでも「個人の感想」だよ。でもイドラ(正しい認識を妨げる先入観)がない分、オーストリア学派や陽明学者の認識はよく当たるよ。陽明学ではこれを良知という。ほとんど外れていないのは名古屋の乱についての僕の過去の書込みをみてもらえばわかる。「今年2011年と来年2012年は後世の歴史に激動の期間として記録されると思います」今年2011年の元旦の予測は半分当たっているな。そうそうオーストリア学派自体、つねにその時代の有力な考えに論争を挑み一度も負けていない。すべて勝ったと言いたいが、相手は言い逃れが商売の経済学者だもの決して負けを認めない。社会主義計算論争でもソ連の崩壊でオーストリア学派の勝利が確定したはずなのに、計量経済学の故森嶋通夫氏は「オスカー・ランゲか市場によらない資源分配の可能性を証明した」という。それならなぜ中国はこないだまで世界一だったスーパーコンピューターをつかって社会主義経済建設に乗り出さないのだ。それはみんな言い逃れのための為にする空論だと知っているからだ。
話が変に脱線してしまったが、沖縄には暮らしていける民衆の共同体があると思ったのは以下の次第である。7日(水)に夕方に那覇のホテルに着いた僕たちは部屋に荷物を置いて一休みしたのち夕食と観光を兼ねて国際通へむかった。言っておくけどお色けは無しなのだからね。街には(ホテルもだけど)修学旅行の高校性がいっぱいいたな。通りを歩くと食事処のメニューみたいな物を持って客引きする若い人がたくさんいた。名古屋でもいないわけではないけど、たいていは新規開店の店でティシュを配る低度。まあ通りを歩いているのは大概は県外からの旅行者だから新規という点から見れば本質は同じだなと思った。さて友人の案内である店に入った。沖縄には沖縄民謡のライブ施設がついたものが多い。行った店が友人の趣味かもしれないが、他の店も外から内部が見える店(食堂・居酒屋・バー)にはすべて三線(さんしん・蛇皮線)とステージらしきものがあった。カラオケは見たことなかった。話が戻ると、その入った店のウエイトレスの女の子は数日前に神奈川県から沖縄へ戻ってきたそうだ。その理由は神奈川県が不況で仕事がないから。僕は神奈川より失業率が高い沖縄の方が仕事が見つかるとはどういうことなのかと考えた。その結論は沖縄県民はみんなでワークシェアリングしているのではないかということ。沖縄では駐車場でもやたら整理の人が多い。沖縄では人を最小限にして人件費を抑えるより、とりあえず働きたい人を雇うのではないか。そのため一人当たりの賃金や労働時間が少なくなる。また労働時間が短かすぎると就労者にはカウントされずに統計上は失業者になり、一人当たりの所得も少なくなり失業率も高くなる。また飲食店で三線を弾き民謡を歌う人も、プロもいるけど歌自慢の一般の人もいるだろう。そうした人も店からいくらかの手当をもらっているだろうが、他には仕事がなければ失業者になるだろう。
ア悪い。画像の貼り付けができない。有料にしなきゃいけないのかな。だから画像は後日。
沖縄旅行は大学時代のサークルの友人2人と行った。そのうち1人が「みんなもそろそろ定年だから時間に余裕があるだろうから自分が仕事で20回以上行っているので沖縄を案内しよう」といって企画したもの。でも僕の学年の者は本来は来年3月(公務員ならだけど)が定年。1年下の者は当然現役。まあ僕と同じ大学卒業年次の者でも1歳ぐらい歳上はかなりいるし、発案者自身が定年になっていたからこの企画なったわけだ。しかし定年になっている者も多くは嘱託等でまだ働いているので、集ったのは定年になったが嘱託で時間 が取り易い発案者と、数月前に65歳で会社を定年退職した先輩と、そして定年前に公務員をやめて純粋無職でいる僕の3人だ。ちなみに元公務員は僕だけ。
沖縄の感想をささっと書こう。沖縄の県都である那覇市では近代的な建築物が目に付いた。どの県でも県庁所在地だけは立派だよという見方もできるかもしれないが、ほとんど他都市は行っていないが、少なくとも岐阜市より現代的に感じるな。県庁舎も立派だった。たぶん基地に関わる国からの交付金が注がれているのだろう。沖縄は県民所得が一番低く失業率も高いそうだから交付金なるものが県民生活をストレートに押し上げていることはなさそうだ。箱物を作れば建築業界が活発化して雇用も増えるとの考え方もあるが、行政からの発注というものは、その資金の多くは特定のマフィア(利権共同体)に流れ建設現場の労働者をはじめとする庶民には流れないものだ。社会主義国の役人の横流しと日本国の公共事業の丸投げは本質的に同じものだ。
でも所得が低くて失業率が高くても、沖縄には暮らしていける民衆の共同体があるような気がする。数日いただけで学問的実証的に調査したのではないので、いつもの直感なのだから、あくまでも「個人の感想」だよ。でもイドラ(正しい認識を妨げる先入観)がない分、オーストリア学派や陽明学者の認識はよく当たるよ。陽明学ではこれを良知という。ほとんど外れていないのは名古屋の乱についての僕の過去の書込みをみてもらえばわかる。「今年2011年と来年2012年は後世の歴史に激動の期間として記録されると思います」今年2011年の元旦の予測は半分当たっているな。そうそうオーストリア学派自体、つねにその時代の有力な考えに論争を挑み一度も負けていない。すべて勝ったと言いたいが、相手は言い逃れが商売の経済学者だもの決して負けを認めない。社会主義計算論争でもソ連の崩壊でオーストリア学派の勝利が確定したはずなのに、計量経済学の故森嶋通夫氏は「オスカー・ランゲか市場によらない資源分配の可能性を証明した」という。それならなぜ中国はこないだまで世界一だったスーパーコンピューターをつかって社会主義経済建設に乗り出さないのだ。それはみんな言い逃れのための為にする空論だと知っているからだ。
話が変に脱線してしまったが、沖縄には暮らしていける民衆の共同体があると思ったのは以下の次第である。7日(水)に夕方に那覇のホテルに着いた僕たちは部屋に荷物を置いて一休みしたのち夕食と観光を兼ねて国際通へむかった。言っておくけどお色けは無しなのだからね。街には(ホテルもだけど)修学旅行の高校性がいっぱいいたな。通りを歩くと食事処のメニューみたいな物を持って客引きする若い人がたくさんいた。名古屋でもいないわけではないけど、たいていは新規開店の店でティシュを配る低度。まあ通りを歩いているのは大概は県外からの旅行者だから新規という点から見れば本質は同じだなと思った。さて友人の案内である店に入った。沖縄には沖縄民謡のライブ施設がついたものが多い。行った店が友人の趣味かもしれないが、他の店も外から内部が見える店(食堂・居酒屋・バー)にはすべて三線(さんしん・蛇皮線)とステージらしきものがあった。カラオケは見たことなかった。話が戻ると、その入った店のウエイトレスの女の子は数日前に神奈川県から沖縄へ戻ってきたそうだ。その理由は神奈川県が不況で仕事がないから。僕は神奈川より失業率が高い沖縄の方が仕事が見つかるとはどういうことなのかと考えた。その結論は沖縄県民はみんなでワークシェアリングしているのではないかということ。沖縄では駐車場でもやたら整理の人が多い。沖縄では人を最小限にして人件費を抑えるより、とりあえず働きたい人を雇うのではないか。そのため一人当たりの賃金や労働時間が少なくなる。また労働時間が短かすぎると就労者にはカウントされずに統計上は失業者になり、一人当たりの所得も少なくなり失業率も高くなる。また飲食店で三線を弾き民謡を歌う人も、プロもいるけど歌自慢の一般の人もいるだろう。そうした人も店からいくらかの手当をもらっているだろうが、他には仕事がなければ失業者になるだろう。
ア悪い。画像の貼り付けができない。有料にしなきゃいけないのかな。だから画像は後日。