彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

集団的自衛権

2014年07月02日 | Weblog
 集団的自衛権の行使、ついに容認閣議決定した安部政権。

 憲法第99条
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負う。」

 99条で充分に集団的自衛権行使容認は、憲法から免脱している。

普通に解釈すればそうなる。

そもそも憲法は、99条の条文に出てくる立場の人々の暴走を、国民が監視するための法律だといわれている。

 交通法規を一般の国民が、自分たちに都合良く40K制限のところを「惰性も考えられるので60Kまでは容認できるものと解釈を変更する。」
と勝手に変更できるわけがない。
理屈は変わらないが、権力者がやると法律変更に携わる立場なのでまかり通る。
 だから、監視のために憲法が存在する。

 今回は、憲法の意義が根本的に無意味となった。

<容認反対派>と<容認賛成派>で明らかな違いが見られる。

<反対派> ・憲法9条に反する ・そのときの内閣によって解釈を変更するのはおかしい
      ・憲法9条を変えるという手続きからやるべきで議論が不足
        
<賛成派> ・他国から国民を守ってもらいたい ・尖閣諸島などに武力で対抗すべき


 反対派は憲法上の手続きの問題を言っているのに対して、賛成派は他国の攻撃から国民を守るべきであるという主張。

憲法解釈の問題と他国から国民をどのように守るかという問題。
見ている視点が違う。

憲法解釈はさておき、国民を武力でもって守るのは当然。という解釈。
今までは戦争放棄で守ってきた。
リングに上がらなければ戦う必要がない。
今度は、誰かがリングに上がって「私たち」を守ってください。ということになる。
憲法解釈など理念とか基本は崩していい。今よければいい?のか。

解釈云々よりも、攻撃できる抑止力によって戦争の可能性が高まるというリスクの容認となる。
「戦争を容認する」ということにもなりかねない。

 子どもたちにはなんと説明するのか?
やられっぱなしではなく、やられたらやり返す。ということを教えるのか?
やり返せばお互いに禍根が残る。

非常にむずかしい選択ということはわかるが、

日本国憲法第9条は、第1項で「戦争の放棄」、第2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めている。

 理想であるにしろ、こんなすばらしい憲法を掲げている国に誇りを持てないのか。
<9条>
・「戦争の放棄」にかげりが出た。
・「戦力の不保持」も怪しいが、今回集団的自衛権の行使で必要になるのが「武器」である。
アメリカの軍需産業は数字は忘れたが、何兆円産業と聞く。だから国民の銃規制が通らない。
経済発展のために戦争を引き起こす国であるともいわれている。
これで日本はいいお客さんとなる。
・「交戦権の否認」は今回「交戦権の容認」に変わってしまった。

 原発の問題も、今日本では再稼動が怪しくもなってきている。
そのうらでは海外に原発技術をセールスしている。
矛盾しないためには、何がが何でも再稼動させる必要がある。
阿部さんおかしい。なにかが変だ。

 
 新聞によると、今度の集団的自衛権行使容認閣議決定に反対の意思を示した議会もある。
さすがいい行動するもんだと思う。
自分自身気づけなかったというか、うかつだった。
住民からの声か、議会内部だけの行動なのかはわからないが少なからず要望はあったと推察する。それだけ国民的問題だった。



        



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