白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

新宿駅東口XYZ

2009-09-06 | 日常、思うこと
仕事を終え、赤坂のイタリア料理店で食事をとったあと、
居合わせた「業界人」と呼ばれる種族のひとに連れられ
タクシーで向かった先は、新宿2丁目仲通り、
パブには屈強な白人、黒人、アジア人があふれていた。
スキンヘッド・刺青入りのアスリートから、
新橋あたりで見かけるような没個性的なサラリーマン、
線の細い中性的で整った顔かたちの少年や、
不精髭面のやや脂質に富んだ者、
ドラッグクイーンと思しき女装者まで、
暗がりのやや紫がかった露地の奥や店の軒先、
更地に面した建物の壁によりかかりながら話をしている。
ぼくたちのグループには女性もいたからか、
あるいはやや異質なものとしてこちらを把握したからか、
それとも値踏みをされたのか、
あちこちからの視線を感じながら、通りを歩いた。





彼らが仲間同士で話をしているときの眼は澄みきって、
とても純粋なもののように見えてくる。
僕自身は異性愛者だけれど、音楽を共にしたひとのなかに
バイセクシャルのひともいたし、
中学校時代に、放課後の音楽室でピアノを弾いていた時に
友達から突然背後から抱き締められた経験もある。
古代ギリシアでは至高のものとされた理知的同性愛にも
親しい感覚がないわけではない。
同性愛のひとの、驚くほどの気配りの丁寧さを知っている。
フーコーの私生活を知った時は、多少衝撃を受けた記憶が
あるものの、あたまのなかではゲイ・カルチャーに対する
みかたはポジティブでありつづけた。





エドマンド・ホワイトの「欲望の状況」のなかで、
ゲイはつねに最先端の思想を送り出すが、自分では決して
身につけない、などという一文があって、
ああ、それでゲイの美的感覚は刹那的で、瞬間的な滅びを
内に初期条件として含むのだろうか、と感じていた。
世阿弥もランボーもヴェルレーヌも、音楽のように語り、
瞬刻のうちに消えていく雲のように読んだ。
視覚的に言うなら、それは音のない花火のように思われた。





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学生時代にゲイバーで働いていたというひとの紹介で
入った店には、美輪明宏を女装の手本としたようなママと
ノンケの少年、常連と思しきひとが先客で居た。
そのうち、僕のグループの女性(仮にT女史とする)と、
ママとがセックスの話をはじめた。
婉曲表現を用いれば、T女史が「大海の中のメダカ」などと、
つまりまあ、感じやすさがないのだという悩みを告白し、
それに技術論だけで返すママがいる、という状況かしらん。
いや、そんなにセックスは局所的なものじゃないよ、と
僕がそこに割って入ったりしていたのだが、
そのうち、話を聞いているうちに、ママも常連も、
間違いなく「おかま」であるはずなのに、
終始ずうっと「男」の視点からアドバイスをしていることに
気がついた。





「女」には「男」として話をしたほうがよいと思ったのか、
それとも、「おかま」はやはり男なのか、
あるいはそのひとたちが特別で、実はずっと「男」として
生きてきたのかは、判然としない。
むしろ、女史には僕のことばのほうが馴染んだようだった。
女子はやはり妄想のほうが近しいものなのだろうか。
僕だって、三島のそれよりは稲垣足穂の少年愛のほうが
ずっと、実感がなくて、それゆえに思わず息を呑むほどに
美しいと感じる。


「女性は時間とともに円熟する。しかし少年の命は
 ただ夏の一日である。それは花前半日であって、
 次回すでに葉桜である。」

                (稲垣足穂)



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店を出たのは午前2時、グループ内の酔いつぶれたひとを
タクシーに押し込むと、T女史は僕に「面倒見てください」と
頼んできた。
さっき会ったばかりだが、気がつけば二人になっている。
女史は新宿三丁目の交差点でヒールをスニーカーに履き替え、
ミニの真白なワンピースに肩からヴィトンを下げていた。
あまり出くわさない人種であるので興味深く眺めていると、
女史はおもむろに鞄から携帯を出して、誰かに電話し始めた。





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女史は歌舞伎町に友達を呼んだらしい。
途中、スピード早いです、といわれ、あ、すいません、と
歩幅を狭くしながら、歌舞伎町へ向かった。
途中、花園神社に参詣した。
男女で並んで神社に参拝する時は、女は向かって右のほうが
よいのだと言って、女史は並び位置をわざわざ修正した。





神社から、ゴールデン街へと入って、しばし街を彷徨した。
あの狭い路地に低い軒と多くのネオンサインが明滅する中に、
懐かしさと安らぎを感じたのは、何故かしら。
人間の息吹の濃密さ、あるいは実感という点では、
この街で感じる一種の「強度」は、おそらくはもう浅草や
千住にも残っていないのかもしれない。
埴谷雄高が行きつけとしていた店をみつけて感じ入り、など
しているうちに、区役所通りへと着いた。
頃合いよく、女史の呼んだ友達がタクシーから降りてきた。
とにかく美しくて、どこかで見覚えある女性だな、と
思っていたのだが、紹介されて、得心した。
よくテレビで見かける「芸能人」という種族のひとだった。





歌舞伎町へ入り、芸能人プロデュースというジャンルの店で
朝まで痛飲し、へべれけになってしまったため、
まだまだ元気な女史と芸能人に見送られてタクシーに乗った。
おそらくふたりとも2、3歳は年上のはずなのに、
やはり「業界人」「芸能人」は夜に強い。
アミノバイタルだったか何だったか、サプリメントを飲んで
うわばみのように飲み続ける。
新宿二丁目のゲイのなかには正午近くまで飲んでいるひとも
いるらしい。





人前では酒による醜態を見せない、という矜持があるので
眠りも吐きもせずに飯田橋から水道橋、さらに本郷までは
戻ってきたのだが、
下車直後から、飲酒に伴う様々の症状と戦う羽目になった。
通院日だったこともあり、這々の体で午前中に心療内科には
赴いたものの、結局症状が治まった午後まで眠らずにいたため
身体のリズムがおかしくなり、
日の傾くころに眠り、先ほど起きたのである。





まったく、何だか夢幻のなかにいるような夜だった。
女史からメールが届いていたから、夢幻ではないのだろう。
ますます、東京という街がわからなくなってきた。






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