未来って何なの。
聞かれたから、
こうあって欲しかったっていう過去のことや、って
いい切ったら、
記憶って何なの。
って、たずねられたから、
ずっとてめえが正しかったって言い張るのに使うための
嘘のかたまり、って答えた。
そしたら、じゃあ
意識って何なの。
って、聞かれたので、
てめえと関係ねえことに出しゃばるくせに、
都合が悪ぅなったら引っ込むカタツムリの眼みたいなもんや、
と返した。
そしたら、じゃあ
存在って何なの。
って、聞かれたから、
ドーナツの穴や、
と、他人の言葉をぱくって答えた。
************************
じゃあ、
空間って何なの。
おまえに体重があるってことや。
じゃあ、
時間って何なの。
なんべんやっても同じにならんていうこっちゃ。
じゃあ、
空間と時間の違いって何なの。
おまえが心底惚れた相手とおるのと、
おまえが心底嫌いな相手とおるのと、
どう考えても違うやろ、そのそれぞれの思いのことや。
じゃあ、
世界の始まりって何なの。
インドでは闇、パレスチナでは光。
日本では海かきまぜて淡路島。
じゃあ、
闇って何なの。光って何なの。
両方見えへんから同じや。
あのさ、
その理屈って何なの。
A=A っていうんなら別に A=Bでもええやろ、
っちゅうひねくれ。
あなた倫理学やってたんでしょ。
倫理って何よ。
ほんとうはどこで何をやってもええんや、っていうことを
真逆のことを言うて証してみせてるうちに、
そのいかさまに自分から進んでだまされるっちゅうことやろ。
じゃあ、
美、って何なの。
未来も過去も記憶も嘘も意識も感覚も存在も空間も時間も
光も闇も理屈も倫理も、役に立たん相手の前で、ただただ
口あけてずーっとボケーっとしとらなあかんくなること。
じゃあ、
ボケ、って何なの。
武者小路実篤がな、
「僕は人間に生まれ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世に生きたことは、ひとによって実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間にはいろいろの人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。しかし人間は立派に生きた人もいるが、なかなか生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい」
っていう文章を書いて発表したり、丹羽文雄が、原稿用紙に
「丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄
丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄
丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄
丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄
丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄」
って書いてるような状態。
ふうん。じゃあ、
芸術って何なの。
さっき言ったみたいな武者小路や丹羽文雄の書いたものを、
人間の生の究極点にしてまさに精神活動の到達点として
われわれはその真実に敬意を表し頭を垂れねばなるまい、
みたいに扱いかねない、脳みその暴走のことじゃ。
じゃあ、
脳って何なの。
俺らを動かしとるもんやろなあ。
じゃあ、
私たちって何なの。
私たちって何なの。
聞かれたから、
こうあって欲しかったっていう過去のことや、って
いい切ったら、
記憶って何なの。
って、たずねられたから、
ずっとてめえが正しかったって言い張るのに使うための
嘘のかたまり、って答えた。
そしたら、じゃあ
意識って何なの。
って、聞かれたので、
てめえと関係ねえことに出しゃばるくせに、
都合が悪ぅなったら引っ込むカタツムリの眼みたいなもんや、
と返した。
そしたら、じゃあ
存在って何なの。
って、聞かれたから、
ドーナツの穴や、
と、他人の言葉をぱくって答えた。
************************
じゃあ、
空間って何なの。
おまえに体重があるってことや。
じゃあ、
時間って何なの。
なんべんやっても同じにならんていうこっちゃ。
じゃあ、
空間と時間の違いって何なの。
おまえが心底惚れた相手とおるのと、
おまえが心底嫌いな相手とおるのと、
どう考えても違うやろ、そのそれぞれの思いのことや。
じゃあ、
世界の始まりって何なの。
インドでは闇、パレスチナでは光。
日本では海かきまぜて淡路島。
じゃあ、
闇って何なの。光って何なの。
両方見えへんから同じや。
あのさ、
その理屈って何なの。
A=A っていうんなら別に A=Bでもええやろ、
っちゅうひねくれ。
あなた倫理学やってたんでしょ。
倫理って何よ。
ほんとうはどこで何をやってもええんや、っていうことを
真逆のことを言うて証してみせてるうちに、
そのいかさまに自分から進んでだまされるっちゅうことやろ。
じゃあ、
美、って何なの。
未来も過去も記憶も嘘も意識も感覚も存在も空間も時間も
光も闇も理屈も倫理も、役に立たん相手の前で、ただただ
口あけてずーっとボケーっとしとらなあかんくなること。
じゃあ、
ボケ、って何なの。
武者小路実篤がな、
「僕は人間に生まれ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世に生きたことは、ひとによって実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間にはいろいろの人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。しかし人間は立派に生きた人もいるが、なかなか生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい」
っていう文章を書いて発表したり、丹羽文雄が、原稿用紙に
「丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄
丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄
丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄
丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄
丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄丹羽文雄」
って書いてるような状態。
ふうん。じゃあ、
芸術って何なの。
さっき言ったみたいな武者小路や丹羽文雄の書いたものを、
人間の生の究極点にしてまさに精神活動の到達点として
われわれはその真実に敬意を表し頭を垂れねばなるまい、
みたいに扱いかねない、脳みその暴走のことじゃ。
じゃあ、
脳って何なの。
俺らを動かしとるもんやろなあ。
じゃあ、
私たちって何なの。
私たちって何なの。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます