ひとには、「母国語」でも、「日本語でもない」、
「母語」というべき言葉がある。
誰にも、「母国語」の語彙を用いて、自身の生活のなかで育み
ふくらませてきた、独自の言語の体系がある。
母語とよんでいるものはそれである。
そのひとだけに備わった言葉、の意味である。
ひとは母語に拠って生き、考え、感じている。
そのひとが話している言葉というのは極めてパーソナルで、
「日本語」、といった大まかな分類では到底くくりきれない。
だから、「母国語」や「日本語」は、時として、そのひとが
用いている言葉、母語とは、異なるものになる。
ひとはそれぞれの語彙と文法で、書き、話している。
話し言葉は、声色や抑揚、速度によって独自性を加えられ、
書き言葉は、文字の選択や句読点の位置、修辞法によって
その美観が大いに異なっていく。
数十万に及ぶ語彙の恣意的な組み換えに、使い手の生体の
リズムが作用すれば、言葉はそれこそ限りなく散逸しながら、
無数に立ち現われてくるよりほかがない。
だから、自分が話している母語に拠って相手の話を聞こうとして、
相手の話が、同じ日本語のはずなのに、まるで外国語に
聞こえてしまうことがある。
これを、「同じ日本語で話し合っているのにわけがわからない、
まったく、このひとはわからない、住む世界が違うのだ」と、
よく多くのひとが口にする。
そうして、そのまま納得してしまうものだから、始末が悪い。
分かり合えないのは語り方についてであって、人格ではない。
だから、事の実情を見誤らないようにするためにも、まずは
じぶんの言葉に習熟しておくことが大切だ。
小説や書籍に多く触れ、多くのひとと直に話をして、
自分が使っているものとは違なる多くの母語に触れていけば、
それらを自分の使っている母語に、容易く翻訳できるように
なるだろう。
そして、じぶんが使ってきた母語以外の言葉を、話し、書き、
発することもできるようになり、より多くのひとに自分の真意を
伝え得るチャンスを、より多く獲得することができるようになる。
もっとも、ひとびとがこれまで独自に育んできた母語が、
そうかんたんにほかのひとの「母語」と相容れるはずはない。
ひとが普段用いる言葉には、それまでの来歴の反照があまりにも
鮮やかである。
育ち方も育った場所も学んできたことも違うものどうしが
あいさつを交わしただけでは、肝胆相照らしたことにならない。
互いの「母語」のずれ、そこに厳然と横たわる断層を超えて
しっかりと手を携えて心象を分かち合うためには、
さまざまの「母語」と出会い、自らの母語を反省し、豊かにし、
それを組み替える技術とパターンを増やしていく事が大切なのだ。
こうしてやっと、ひとびとは互いの「母語」を結ぶことができる。
そのひとの言葉に浸み出している来歴や過去を見出して、
こうあってほしい、という未来への願いへとつなぐ。
会話とは、じぶんがこうありたいと常日頃から考えてきたことを
成すために、そこに他人を引きずりこんで利用するための端緒だ、
と、言ってしまえば身も蓋もないけれども、
互いがそう思い合っていて、触れてはいけない部分に触れずに
妥協なり同意なりを出来るのだというのなら、それを制するべき
理由も特別にはない。
通じたい、という動機だけが同じだったのだ。そこからの展開の
しかたによって、個別性がうまれてきた。
だから、いのちの根源にかかわることを語ろうとするときに、
それまで色彩に富む流麗な修辞で言葉を弄していたひとが突然に
訥弁になるのには理由がある。
根源に対して言葉を使うには、あまりにも言葉の動機に近すぎて
語彙の選び方がとても貧弱にしかできなくなる。
****************************
10年前に書いていた日記のなかに、こんな一節を見つけた。
たいへん衝撃的な出来事が起きた、秋の頃のものである。
Since I happened to see that scene at November 8, I’ve been confusing.
Foolishly, I had never been aware of the situation of the world outside me changing.
But since then, I’ve been feeling, ‘Maybe I’ve been involved in nightmare’.
I don’t know how to manage to deal with, or overcome my pain.
An anonymous will replaces the position of victims and that of assailants very cleverly.
日本語ではなく、稚拙な英語で書きつけている。
文法が正しいのか否かはもう既に判断できない。
大意としては、次のようなものだろう。
「この11月8日にあの光景に出くわしてしまってからずっと、僕は混乱している。愚かなことに、僕は、僕の外側の状況が変わってしまっているということに、全く気付く事がなかった。でも、その時からずっと、もしかすると悪夢に巻き込まれてしまったのかもしれない、と、ずっと感じている。僕はじぶんの傷を、どうやって、なんとかして、扱っていけば、克服していけばいいのかがわからない。無名の意志は、とても巧妙に、加害者と被害者の位置を転倒させる」
10年前、僕はその事態を受け入れることや、考えることに、
大変に苦労した。
ひとりの友人もいなくなって、大学受験に失敗して、浪人して、
自律神経の不調に悩みながら予備校に通っていた頃のことである。
今でも十分に納得させることは出来ていないが、それは別の話だ。
当時の僕には、まず、母語でそれを考えようとするのが
とてもつらかった。
じぶんが理解し、納得し、許容できる能力を超えるような
ものごとについて、それを母語で考えると、
ふつう、物事とじぶんとのあいだの距離がうしなわれてしまう。
認識、というはたらきが、まず事態のありように仮構を設けて、
対象という位置に入れ、自分とは別のものというふうに
突き放してからでないと始まらないからだ。
だから、起きたことが近しく、大変なことであればあるほど、
それを考えた途端に、仮構を設けるというような働きが出来ずに
事態がこちらの心身にどんどん入ってきて、あっという間に
自身をひたし切ってしまう。
どのようにして、この事変に対処したらよいのだろうか。
じぶんに起きていることなのに、じぶんに起きていないことと
自分をあざむいてから考える、いわゆる「客観視」の態度の
嘘っぱちをまずは納得しなければならない。
また、ふつう、複数の言語を解しない限りは、母語でしか
考えることはできないから、ほかの別の言語を習得しておき、
それを用いてものごとを考え、あるいは考えた端からそれを
すぐさま別の言語に翻訳できれば、すんでのところで、
事態が自分へと肉化されてしまう事を防げる。
仮にも記号化して突き放し、それを客観的に見ることができる。
また、小説や詩といった、じぶんの用いている言葉とはちがう
言葉に触れることで、じぶんの状況を別の言葉に翻訳できる。
さまざまの方向から、立ち位置と今後を見渡すことができる。
当時の僕はそれを実践した。
同じ頃の日記にはこんな言葉も書き付けていた。
「傷のうえに、被せるように何枚もの服を着る。
いつのまにか服を脱げなくなる。
傷口を見るから、人間はそれを傷だと思うからだ。
見なければ、ただの痛みで済む、それが致命的なものでも。
やっかいなのは、こころを開いて話そうとするとき、
傷に被せていた服が、いとも簡単に解れてしまうことだ。」
これは、日本語で書いている。
その後、この10年間、出会ったひとと打ち解けようとして
やがて傷つけあいになり、多くのひとが去っていった。
******************************
10年前は、大学への進学が叶ったことで環境が激変して、
それまでの苦しみから逃れることができた。
そして、その後の10年は、音楽と、出会いから始まって、
全てを賭していたことに敗れて、終わった。
こちらが思うほど、そちらは何とも思っていなかった。
そちらとは、全てである。
それぞれに生活がある。それは等価であり、どうしようもない。
また、こちらの発する音や言葉は、拙劣だった。
僕の音が必要とされていない以上、音楽を試みる理由もない。
自分の才能の無さも知った。才能があれば、少なくとも誰かとは
音を試みていられているはずである。
今は、10年前とは違っている。
逃れる場所がどこにもないということだけが違っている。
Foolishly, I had never been aware of the situation of the world outside me changing.
An anonymous will replace the position of victims and that of assailants very cleverly.
このように、10年前に記述した時の状況と、
いまが同じようになってきて、
その言葉がよみがえって、いっそう切実である。
こちらは愚かにもそれぞれの生活が変わっていることにも気付かず
関係の遷移にも無邪気なまま、あたりまえのように話しかけた。
問いかけに対して、答えはたったのひとつもかえってこなかった。
無関心によって報いられるのは、こちらに喪失のみをもたらす。
このように書くという行為が、こちらの自身の思いの吐露で
あるにとどまるのに対し、
これを受け取った側のほうが、被害者と加害者の二項対立を
規定する。
書き手をA、読み手をBとして、BがAの文章を読んだとき、
Bははじめ、Aが書いたA自身の傷のありようを読む。
それは痛ましいし、おそらくはひどくて読むに堪えない。
不快であるとともに、まれに罪ということに思いを至らせる。
この、まれに生まれる罪の意識がBに根を下ろしたとき、
Bは、自身がAへの加害者ではないかという疑いを持つ。
しかし、BはAに対する何の言葉も持ち合わせていない。
BはAの文章を一方的に受け止めさせられるにとどまる。
そのとき、BはAに対して、何を言っても無駄だろうという
思いとともに、なぜこのような文章を受け止めさせられねば
ならなかったのかという疑いを持つ。
このとき、BはAを憐むべき存在とするとともに、そのような
疑いや不快を与えたAに対して、決してBのせいではないと
思うことだろう。
それは真実である。Aの傷はAによって生じたから、Bの責に
帰するものではない。
AとBには加害者・被害者の関係も何もない。
BはAに対して、謝罪するような理由はない。
ならば、Bのせいではないのに、なぜこのように不快な思いを
しなければならないのか、と思い至って、
Bは自分の不快の理由、罪の意識の理由をAに帰する。
BがAに答えないのは、返すべき言葉が見つからずに逡巡を
しているからというよりも、
なぜBがAの文章によってこのような思いにならなければ
いけないのか、という、不快な思いに至ったからである。
だから、BはAについて、もういい、どうぞもうご勝手に、
という、Aに対する無関心によって報いる。
それは、A自身の傷によるので、Aに責任の一端がある。
このような経過でAに責を押し付ければ、Aはもう押し黙って
しまうほかにない。
Aは一切を否定してしまうほかにない。苦悩が罪であるならば
宗教さえも成立しなくなってしまう。
****************************
答えはひとつも返ってこず、
やむなく大阪を捨てることにした。
もろもろについて、実際に捨てはじめた。
大阪には、負った傷があちこちにある。
写真や手紙や音源は焼いたり消したり出来るからいいが、
このあたまのなかの記憶や思いをどうしようかと思う。
出来れば音楽も思いもひっくるめて身体ごと消したい。
そうでもしなければ持たない。
しかし、そうしてみても、持つのかどうかはわからない。
一生のうちの一日を苦悩に費やして、いつかは何とか、と
願ったとしても、すでに一万日を生きてきたのだから、
ある程度は、もう先が見えている。
そのことはもう10年前に、自分自身が書いていた。
この10年間の結果が、いまであり、ただ、こうして、いる。
それだけである。
10年前の日記には、こうも書かれてあった。
「罪と罰」を読み終えて、すぐに書かれたもののようだ。
自身を、スヴィドリガイロフととらえたものらしい。
「拝啓 ラスコーリニコフ様
屈すべき純潔は 僕には遣わされぬようです」
実際に死にかけたことのある人間でさえ、自身の内なる均衡を
失っているときには、死について甘美な幻想を抱くらしい。
崖に追い詰められた人間が、本当に空を飛べると思って
助かろうとして空中へ飛び出し、そのまま墜落死するのと
おそらく同じ心理によるものだろう。
あれほどに腐乱してみえていたはずの世界や人間でさえもが、
死について考え詰めているうちに、突然、純粋無垢に澄みきって
見えてくるときがあるのだ。
ここにいてはいけない、と思い、突然ここから身を投げる心理は
現世からの脱獄の心理からも、現世から受けた恥辱の心理からも
生まれ出る。
そこで、危ない、と引き返したときに向けられるまなざしを、
向けられた事がないので、知らない。
事態ははじめから僕とはかかわりのないところにある。
かかわろうとして拒まれたことに気付かずに10年を過ごして、
毫も憚ることがなかった。
屈すべき純潔などはじめからどこにもなかったことがわかって
それが今まで生きてきた理由や動機だったとするのならば
もう一切を捨て去るよりほかがない。
****************************
いったいどういうつもりで何を書いているのだ?
この10年間、閉じられた円環の淵をただ歩いてきて、
もとのところに戻ってきただけだということがわかったなら
それでいいではないか。
さあ、歩け。もう一度歩きだせ。
全部捨てたのなら身軽になったことだろう。
10年後、また同じところに戻ってこれるのだ。
どうだ、幸せだろ。
おまえには戻ってくる場所があるのだぞ。
そんな幸せなことはないじゃないか。
おまえは常々幸せを求めていたが、
現におまえは幸せなのだよ。
10年を全部捨てて、もう一度歩けるチャンスが
あるじゃないか。
10年たって戻ってきたらまた全部捨てればいいんだ。
おまえはなんて幸せなんだろう。うらやましい限りだ。
さあ、歩けよ。
早く捨てろよ。
Foolishly, I had never been aware of the situation of the world outside me changing.
There is no place to escape from here.
そういえば、お前、死にたいと言っていたな。
何で死なないんだ。
どうして生きているんだ。
早く死んだらどうだ。
知行合一、言行一致という言葉を知らないのか。
おまえにはどうも一貫した意志がないな。
恥ずかしいと思わないのか。
そんなことだからこれまで何一つ成し得なかったのだ。
死ねば初めて何かを為せるじゃないか。
さあ、早く死ね。
自分の言葉に嘘をつくなよ。
There is no place to escape from here.
No one embraces me closely.
「母語」というべき言葉がある。
誰にも、「母国語」の語彙を用いて、自身の生活のなかで育み
ふくらませてきた、独自の言語の体系がある。
母語とよんでいるものはそれである。
そのひとだけに備わった言葉、の意味である。
ひとは母語に拠って生き、考え、感じている。
そのひとが話している言葉というのは極めてパーソナルで、
「日本語」、といった大まかな分類では到底くくりきれない。
だから、「母国語」や「日本語」は、時として、そのひとが
用いている言葉、母語とは、異なるものになる。
ひとはそれぞれの語彙と文法で、書き、話している。
話し言葉は、声色や抑揚、速度によって独自性を加えられ、
書き言葉は、文字の選択や句読点の位置、修辞法によって
その美観が大いに異なっていく。
数十万に及ぶ語彙の恣意的な組み換えに、使い手の生体の
リズムが作用すれば、言葉はそれこそ限りなく散逸しながら、
無数に立ち現われてくるよりほかがない。
だから、自分が話している母語に拠って相手の話を聞こうとして、
相手の話が、同じ日本語のはずなのに、まるで外国語に
聞こえてしまうことがある。
これを、「同じ日本語で話し合っているのにわけがわからない、
まったく、このひとはわからない、住む世界が違うのだ」と、
よく多くのひとが口にする。
そうして、そのまま納得してしまうものだから、始末が悪い。
分かり合えないのは語り方についてであって、人格ではない。
だから、事の実情を見誤らないようにするためにも、まずは
じぶんの言葉に習熟しておくことが大切だ。
小説や書籍に多く触れ、多くのひとと直に話をして、
自分が使っているものとは違なる多くの母語に触れていけば、
それらを自分の使っている母語に、容易く翻訳できるように
なるだろう。
そして、じぶんが使ってきた母語以外の言葉を、話し、書き、
発することもできるようになり、より多くのひとに自分の真意を
伝え得るチャンスを、より多く獲得することができるようになる。
もっとも、ひとびとがこれまで独自に育んできた母語が、
そうかんたんにほかのひとの「母語」と相容れるはずはない。
ひとが普段用いる言葉には、それまでの来歴の反照があまりにも
鮮やかである。
育ち方も育った場所も学んできたことも違うものどうしが
あいさつを交わしただけでは、肝胆相照らしたことにならない。
互いの「母語」のずれ、そこに厳然と横たわる断層を超えて
しっかりと手を携えて心象を分かち合うためには、
さまざまの「母語」と出会い、自らの母語を反省し、豊かにし、
それを組み替える技術とパターンを増やしていく事が大切なのだ。
こうしてやっと、ひとびとは互いの「母語」を結ぶことができる。
そのひとの言葉に浸み出している来歴や過去を見出して、
こうあってほしい、という未来への願いへとつなぐ。
会話とは、じぶんがこうありたいと常日頃から考えてきたことを
成すために、そこに他人を引きずりこんで利用するための端緒だ、
と、言ってしまえば身も蓋もないけれども、
互いがそう思い合っていて、触れてはいけない部分に触れずに
妥協なり同意なりを出来るのだというのなら、それを制するべき
理由も特別にはない。
通じたい、という動機だけが同じだったのだ。そこからの展開の
しかたによって、個別性がうまれてきた。
だから、いのちの根源にかかわることを語ろうとするときに、
それまで色彩に富む流麗な修辞で言葉を弄していたひとが突然に
訥弁になるのには理由がある。
根源に対して言葉を使うには、あまりにも言葉の動機に近すぎて
語彙の選び方がとても貧弱にしかできなくなる。
****************************
10年前に書いていた日記のなかに、こんな一節を見つけた。
たいへん衝撃的な出来事が起きた、秋の頃のものである。
Since I happened to see that scene at November 8, I’ve been confusing.
Foolishly, I had never been aware of the situation of the world outside me changing.
But since then, I’ve been feeling, ‘Maybe I’ve been involved in nightmare’.
I don’t know how to manage to deal with, or overcome my pain.
An anonymous will replaces the position of victims and that of assailants very cleverly.
日本語ではなく、稚拙な英語で書きつけている。
文法が正しいのか否かはもう既に判断できない。
大意としては、次のようなものだろう。
「この11月8日にあの光景に出くわしてしまってからずっと、僕は混乱している。愚かなことに、僕は、僕の外側の状況が変わってしまっているということに、全く気付く事がなかった。でも、その時からずっと、もしかすると悪夢に巻き込まれてしまったのかもしれない、と、ずっと感じている。僕はじぶんの傷を、どうやって、なんとかして、扱っていけば、克服していけばいいのかがわからない。無名の意志は、とても巧妙に、加害者と被害者の位置を転倒させる」
10年前、僕はその事態を受け入れることや、考えることに、
大変に苦労した。
ひとりの友人もいなくなって、大学受験に失敗して、浪人して、
自律神経の不調に悩みながら予備校に通っていた頃のことである。
今でも十分に納得させることは出来ていないが、それは別の話だ。
当時の僕には、まず、母語でそれを考えようとするのが
とてもつらかった。
じぶんが理解し、納得し、許容できる能力を超えるような
ものごとについて、それを母語で考えると、
ふつう、物事とじぶんとのあいだの距離がうしなわれてしまう。
認識、というはたらきが、まず事態のありように仮構を設けて、
対象という位置に入れ、自分とは別のものというふうに
突き放してからでないと始まらないからだ。
だから、起きたことが近しく、大変なことであればあるほど、
それを考えた途端に、仮構を設けるというような働きが出来ずに
事態がこちらの心身にどんどん入ってきて、あっという間に
自身をひたし切ってしまう。
どのようにして、この事変に対処したらよいのだろうか。
じぶんに起きていることなのに、じぶんに起きていないことと
自分をあざむいてから考える、いわゆる「客観視」の態度の
嘘っぱちをまずは納得しなければならない。
また、ふつう、複数の言語を解しない限りは、母語でしか
考えることはできないから、ほかの別の言語を習得しておき、
それを用いてものごとを考え、あるいは考えた端からそれを
すぐさま別の言語に翻訳できれば、すんでのところで、
事態が自分へと肉化されてしまう事を防げる。
仮にも記号化して突き放し、それを客観的に見ることができる。
また、小説や詩といった、じぶんの用いている言葉とはちがう
言葉に触れることで、じぶんの状況を別の言葉に翻訳できる。
さまざまの方向から、立ち位置と今後を見渡すことができる。
当時の僕はそれを実践した。
同じ頃の日記にはこんな言葉も書き付けていた。
「傷のうえに、被せるように何枚もの服を着る。
いつのまにか服を脱げなくなる。
傷口を見るから、人間はそれを傷だと思うからだ。
見なければ、ただの痛みで済む、それが致命的なものでも。
やっかいなのは、こころを開いて話そうとするとき、
傷に被せていた服が、いとも簡単に解れてしまうことだ。」
これは、日本語で書いている。
その後、この10年間、出会ったひとと打ち解けようとして
やがて傷つけあいになり、多くのひとが去っていった。
******************************
10年前は、大学への進学が叶ったことで環境が激変して、
それまでの苦しみから逃れることができた。
そして、その後の10年は、音楽と、出会いから始まって、
全てを賭していたことに敗れて、終わった。
こちらが思うほど、そちらは何とも思っていなかった。
そちらとは、全てである。
それぞれに生活がある。それは等価であり、どうしようもない。
また、こちらの発する音や言葉は、拙劣だった。
僕の音が必要とされていない以上、音楽を試みる理由もない。
自分の才能の無さも知った。才能があれば、少なくとも誰かとは
音を試みていられているはずである。
今は、10年前とは違っている。
逃れる場所がどこにもないということだけが違っている。
Foolishly, I had never been aware of the situation of the world outside me changing.
An anonymous will replace the position of victims and that of assailants very cleverly.
このように、10年前に記述した時の状況と、
いまが同じようになってきて、
その言葉がよみがえって、いっそう切実である。
こちらは愚かにもそれぞれの生活が変わっていることにも気付かず
関係の遷移にも無邪気なまま、あたりまえのように話しかけた。
問いかけに対して、答えはたったのひとつもかえってこなかった。
無関心によって報いられるのは、こちらに喪失のみをもたらす。
このように書くという行為が、こちらの自身の思いの吐露で
あるにとどまるのに対し、
これを受け取った側のほうが、被害者と加害者の二項対立を
規定する。
書き手をA、読み手をBとして、BがAの文章を読んだとき、
Bははじめ、Aが書いたA自身の傷のありようを読む。
それは痛ましいし、おそらくはひどくて読むに堪えない。
不快であるとともに、まれに罪ということに思いを至らせる。
この、まれに生まれる罪の意識がBに根を下ろしたとき、
Bは、自身がAへの加害者ではないかという疑いを持つ。
しかし、BはAに対する何の言葉も持ち合わせていない。
BはAの文章を一方的に受け止めさせられるにとどまる。
そのとき、BはAに対して、何を言っても無駄だろうという
思いとともに、なぜこのような文章を受け止めさせられねば
ならなかったのかという疑いを持つ。
このとき、BはAを憐むべき存在とするとともに、そのような
疑いや不快を与えたAに対して、決してBのせいではないと
思うことだろう。
それは真実である。Aの傷はAによって生じたから、Bの責に
帰するものではない。
AとBには加害者・被害者の関係も何もない。
BはAに対して、謝罪するような理由はない。
ならば、Bのせいではないのに、なぜこのように不快な思いを
しなければならないのか、と思い至って、
Bは自分の不快の理由、罪の意識の理由をAに帰する。
BがAに答えないのは、返すべき言葉が見つからずに逡巡を
しているからというよりも、
なぜBがAの文章によってこのような思いにならなければ
いけないのか、という、不快な思いに至ったからである。
だから、BはAについて、もういい、どうぞもうご勝手に、
という、Aに対する無関心によって報いる。
それは、A自身の傷によるので、Aに責任の一端がある。
このような経過でAに責を押し付ければ、Aはもう押し黙って
しまうほかにない。
Aは一切を否定してしまうほかにない。苦悩が罪であるならば
宗教さえも成立しなくなってしまう。
****************************
答えはひとつも返ってこず、
やむなく大阪を捨てることにした。
もろもろについて、実際に捨てはじめた。
大阪には、負った傷があちこちにある。
写真や手紙や音源は焼いたり消したり出来るからいいが、
このあたまのなかの記憶や思いをどうしようかと思う。
出来れば音楽も思いもひっくるめて身体ごと消したい。
そうでもしなければ持たない。
しかし、そうしてみても、持つのかどうかはわからない。
一生のうちの一日を苦悩に費やして、いつかは何とか、と
願ったとしても、すでに一万日を生きてきたのだから、
ある程度は、もう先が見えている。
そのことはもう10年前に、自分自身が書いていた。
この10年間の結果が、いまであり、ただ、こうして、いる。
それだけである。
10年前の日記には、こうも書かれてあった。
「罪と罰」を読み終えて、すぐに書かれたもののようだ。
自身を、スヴィドリガイロフととらえたものらしい。
「拝啓 ラスコーリニコフ様
屈すべき純潔は 僕には遣わされぬようです」
実際に死にかけたことのある人間でさえ、自身の内なる均衡を
失っているときには、死について甘美な幻想を抱くらしい。
崖に追い詰められた人間が、本当に空を飛べると思って
助かろうとして空中へ飛び出し、そのまま墜落死するのと
おそらく同じ心理によるものだろう。
あれほどに腐乱してみえていたはずの世界や人間でさえもが、
死について考え詰めているうちに、突然、純粋無垢に澄みきって
見えてくるときがあるのだ。
ここにいてはいけない、と思い、突然ここから身を投げる心理は
現世からの脱獄の心理からも、現世から受けた恥辱の心理からも
生まれ出る。
そこで、危ない、と引き返したときに向けられるまなざしを、
向けられた事がないので、知らない。
事態ははじめから僕とはかかわりのないところにある。
かかわろうとして拒まれたことに気付かずに10年を過ごして、
毫も憚ることがなかった。
屈すべき純潔などはじめからどこにもなかったことがわかって
それが今まで生きてきた理由や動機だったとするのならば
もう一切を捨て去るよりほかがない。
****************************
いったいどういうつもりで何を書いているのだ?
この10年間、閉じられた円環の淵をただ歩いてきて、
もとのところに戻ってきただけだということがわかったなら
それでいいではないか。
さあ、歩け。もう一度歩きだせ。
全部捨てたのなら身軽になったことだろう。
10年後、また同じところに戻ってこれるのだ。
どうだ、幸せだろ。
おまえには戻ってくる場所があるのだぞ。
そんな幸せなことはないじゃないか。
おまえは常々幸せを求めていたが、
現におまえは幸せなのだよ。
10年を全部捨てて、もう一度歩けるチャンスが
あるじゃないか。
10年たって戻ってきたらまた全部捨てればいいんだ。
おまえはなんて幸せなんだろう。うらやましい限りだ。
さあ、歩けよ。
早く捨てろよ。
Foolishly, I had never been aware of the situation of the world outside me changing.
There is no place to escape from here.
そういえば、お前、死にたいと言っていたな。
何で死なないんだ。
どうして生きているんだ。
早く死んだらどうだ。
知行合一、言行一致という言葉を知らないのか。
おまえにはどうも一貫した意志がないな。
恥ずかしいと思わないのか。
そんなことだからこれまで何一つ成し得なかったのだ。
死ねば初めて何かを為せるじゃないか。
さあ、早く死ね。
自分の言葉に嘘をつくなよ。
There is no place to escape from here.
No one embraces me closely.
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