白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

麦秋心象手風琴

2006-06-07 | 日常、思うこと
五月晴れなる爽快な空を幾日も見ることなく六月。
すでに風は湿気て、梅雨の近いことを知らせてくれる。
ここ数年、季節の転換が舞台の書割を並べ替えるごとく
たった一日で起こるようになって、
地球温暖化の影響をはっきりと個体レベルでも
感じられるようになった。
移ろい行く季節を感じる間もなくなって、
今日も大陸から、汚染物質が偏西風に乗って日本に舞い降りる。





ただでさえ木の芽時、木々の若葉萌え出でて
里山は鮮やかな若緑でモコモコとしてかわいらしいけれど、
人間とてこの季節、さまざまなものがモコモコと萌え出でる。
発情期の名残、身体の細胞の入れ替わり、新陳代謝も激しくなって
心身のバランスも崩れやすい。
細胞の増殖が活性化され、この季節にはガンの患者がよく死ぬし、
男女共に発情しやすくなって、各種の色恋沙汰もよく起こる。
刃物を持って暴れる人もいれば、突如奇声を上げて「あっち」へ
いってしまう人もいる。





そんな季節に、例年なら新緑薫風爽やかに、鮮烈な光の青の空。
それすら見られない今年、それは鬱屈もして、
阪急宝塚線梅田発雲雀丘花屋敷行き普通電車、淀川橋梁上にて
下着を着けず、局部を切り取ったパンストとミニスカートを穿き、
カツラをつけて女装し、
真向かいに座った専門学校生の女性数名に向けて開脚する公務員
56歳が現れても、まあおかしくはない。
自らの性を局所に集中し象徴させるしかないようにできている
みすぼらしい男の身体は、
過剰な変装によって圧殺・隠蔽されても、その局部性によって
全的に開放されてしまうのか。




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蔓薔薇とドウダンツツジの盛り過ぎて、我が家の庭に今年も
雨蛙の鳴き声が聞かれるようになった。
昨年の7月頃、突如、くわ、くわ、ぐわ、ぐわ、という音が
夜の庭に響いて、何事かと思って翌朝を待ち、
紅葉、松、樫、山茶花、南天、青樹、苔原、庭石、羊歯と
注意深く探し見て、ようやく木蓮の葉の上に土色をした蛙を
見つけたのだが、
そもそもこの蛙がどこからきたのかがさっぱりわからない。





ぼくの家は旧市街の真ん中にある。
試しに仮に外から迷い込んだと考えてみると、
前の通りを裏に行けば水堀の散歩道にはなっているのだが、
それでも数十メートルは離れている。
加えて、その庭というものも、外からは完全に遮断された
環境にあり、蛙のごとき小動物が入ることができる通路は
下水の配管くらいしかない。
そのような汚濁の環境ではそもそも雨蛙は生きられない。





進入経路がないとなれば、当然、我が家の庭で孵化し
育ったことになるのだが、
我が家の庭には池は無い。
それに、ぼくの記憶にある限り、蛙がこの庭に住んだことは
一度も無い。
祖母に聞いても、この家に嫁いでからの57年間、蛙の声が
聞こえたことなど一度も無いという。





そもそも蛙は水の中に卵を産み、おたまじゃくしとして
幼生を送るわけだから、
いったいこの蛙がどこでどうやっておたまじゃくしから
蛙になり、我が家のこの封鎖された庭にやってきたのかが
さっぱりわからないのである。
鳥に運ばれる途中落とされたか、それとも土のなかを
脱獄するかのように掘り進めてきたのか。
いずれにせよ、我が家の庭には池は無い。
湿り気ある土と、豊富な虫が、かの蛙の命を支えているようだ。





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けれど、この庭には鳥がよくやってくる。
ヒヨドリは3,4回巣を作り、巣立っていった。
その様子を収めた写真はたくさんある。
小学校一年生のとき、巣立ち間近だった幼鳥が落ちてきて、
しばらく餌付けをして巣立たせたことがあったことも覚えている。
キジバトも来れば、メジロ、ホオジロ、シジュウカラ、スズメも来る。
冬、センリョウや南天の実を啄みに来るだけではなく、春先から
夏にかけては巣作りの下見に来る。





雨蛙からすれば鳥は天敵であるはずなのだが、
庭の豊かな緑に阻まれて、蛙の姿は鳥から見えないようで
鳴く声も途切れることは無く、
それを聴いてこちらも蛙の無事を知るのである。





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何よりおどろくべきはさすが雨蛙というべきか、
鳴けば必ず数時間後に雨が降ることである。
昨今の気象庁や気象協会の天気予報よりもはるかに精度が高い。
葉の上にいれば緑色、木の幹にいれば土色、と、
擬態をして「着替え」もする。
その姿かたち振る舞いを思うに飽きることが無い。





今日は朝から鳴き通しのようだ。
入梅も近い。





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鬱々とした五月を過ぎ、
少しずつ体調も安定し(服薬は継続)、
ピアノと即興のために脳を使うことにも
やや軽やかになれるようになってきました。





ボルボの調子も良いので、
先週は峠をいくつか超えて、滋賀・多賀のなじみの蕎麦屋で
うまい蕎麦を食べた後、
湖東三山のうちのひとつである西明寺を訪れ、
国宝の金堂・三重塔に入り、天台密教寺院の内陣を見て
その汎神・汎佛のさま、三次元曼荼羅におどろき、





とりわけ高さ2,5メートル、腕12本、宝剣と宝玉を持ち
あくまで仏坐像の造形様式でありながら顔は土方巽ばりの白塗り、
虚ろな眼、半開きの紅の口、金色の装身具、極めつけには
頭頂部に取り付けられたる鳥居、その奥に据えられた老人の首・・・
江戸期製作の弁財天像のそのあまりの「デロリ」ぶりに狂喜乱舞して
帰ってきました。





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涼風吹き込む夜は、ピースとバーボンを飲み、
窓辺にゆれるしおれた薔薇を眺め、
諏訪優の随筆に目を通し、
高田渡やジョアン・ジルベルトに耳を預け、
眠りにつきます。





苦しくは無いのです。
つらくもないのです。
ただ、切ないのです。

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2 コメント

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Unknown ()
2006-06-08 22:35:30
ネット復活しました。

心の復活も、もう少ししたらできる気がしてきました。
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Unknown (lanonymat)
2006-06-08 23:06:24
目を閉じて、ゆっくりと呼吸して、

力を抜いて、あたたかなものごとをぼんやり思い浮かべて

あきらめるように微笑むと、こころをゆったり出来るよ。
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