白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

ヒュルリラ

2007-04-01 | こころについて、思うこと
夜半、勤めを終えて路外に出ると、稲光が闇を脅かして
冷風猛る中、満開の桜が水銀灯を抱き込んで暴れていた。
外套の内ポケットからピースを取り出し、火を点して
深く呼吸すると、紫煙は王義之の一線で眼の前の空間を
切り裂く様に、数多の人間の血を吸った真剣のような
鈍い銀色でもって、散り掛かる花弁を巻き取るように
中空へと消え去った。





歩を進めるうち、雷鳴は次第に大きくなり、頬を冷たい
水滴がぽつぽつと打ち始めた。
日毎の業務の繁忙によって蓄積した疲労のせいか
早足で家路を急ぐ気にもなれず、驚くほどのわが身への
無関心さと、ちりちりと燻る醜い自己憐憫の炎の心持で
まるで世界を諦めるように歩いた。
風雨のなかを異様な荘重さで歩く僕の姿は傍から見れば
独り礼服を装わずに焼香壇へと向かう葬列の参集者の
それのような、気まずさと引け目に満ちて何とも珍妙で
滑稽で、浮ついて不謹慎なものであったことだろう。





しかし、誰に理解されずとも、僕には理由があった。
雷電によって宵闇を破壊され、瞬刻蒼白く暴露された桜の姿を
見上げたとき、その異形に瞬刻覚えたのは審美の心ではなく
たじろいで後ずさりしそうになる己の小心と臆病だったのだ。
土黒い樹皮と、ごつごつとした瘤と節々で覆われたその姿は、
まるで亡者が苦しみ慄きうめきながら天空へと救済を求めて
差し伸べた無数の手と、その指先に滴る失色した血のようで、
祈りが拒まれ、絶望のうちに地空を這いずり、蠢き、
血みどろになって絶叫し、恋々として中空を掻き毟って
息絶えた者の、抜け殻の死の写し絵にしか見えなかった。





美とされるものを見つめても、その朦朧とした心象の表皮を
剥ぎ取って現れる爛れた生命性を認めねばならぬとして、
梶井基次郎が「俺には惨劇が必要である」と言って
美の真実の根底に置いた理由を、
僕は消え入る紫煙と花びらの向こうにぼんやりと眺めた。
遠く、大河に架かる鉄橋を渡る終列車の音が響いた。
知恩院の大鐘の余韻のような雷鳴の残響が、大河に弾かれたか
低空にいつまでもくぐもっていた。





「夢は短い狂気。狂気は長い夢。」(ショーペンハウアー)

「狂人とは眼が醒めていて眠る者である」(カント)





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人間という、この腐乱した澄明な肉塊の物理を、
たとえばそれを愛のように、あるいは神秘のように抱きしめるとき、
そこには世界と生を誓う証のような匂いが存在している。
それは女が褥に残した白粉化粧の匂いのそれではなく、
生まれたばかりの幼子の肌から仄かに立ち昇る生成の匂いである。
水木しげるが戦場で右腕を失ったときに嗅いだという、
自らの傷口から立ち昇る微温的で乳的な甘さを持った匂いは、
滅失の危機を脱した自らの生との、再婚の誓いとして感じられたのでは
なかったろうか。





それは死生を併せ呑む縮小された海のようなわれわれの存在の、
皮膚あるいはこころの辺縁のような場所で、たえず漣をたてて寄せ返し、
揺り戻されては生成と消滅を繰り返す匂いであり、
死生が昇華されて現れる、芸術の反極である。





水たまりの盤面へ散り掛かった淡雪色の花弁は、風波に小舟のように
滑り、小さな岸辺へと次々に座礁して堆く積もり、朽ちかかっていた。
傍らを通り過ぎようとした僕の鼻先にふ、と、あの生命の婚姻の
匂いが届いた。
立ち止まり、稲光を撥ね付ける水盤の底を見つめて沈潜していくと、
座礁し損ねた花々の化石が、漆黒の死の闇のなかを遊星のように
漂っているのが見えた。
僕は腰をかがめ、水盤の均衡を破ってその中へ指を差し入れ、
沈んでいたひとひらの石灰色の花の骸を指先に纏わせて引き揚げた。
花弁は地の気に触れ、乾き、上気するように仄かな紅を差した瞬刻、
風に剥ぎ取られて、蒼白く逆巻く宵闇の渦に吸いこまれていった。
ほんの瞬刻のことに、花弁を思い見つめることも叶わずに、
途方にくれるように、一切を諦めるようにして、僕はその場を去った。
美に拒まれるのは、人間の業である。





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仏教の教えのなかに慈悲という言葉があって、
そこでは、愛し、慈しむことと、悲しむことは一結びのものとして
語られている。
飛鳥・奈良の時代、飢え、病んだ民への施しの場所、
現代で言うところの福祉施設が「悲田院」と呼ばれていたことも
その一例ということが出来ようか。
人を慈しむ思いの中には、人の宿命を悲しむ思いが抱き込まれている。
それは悲しみとともにわが身へと苦しみを引き受けながら、
苦しみを抱えた人を抱きしめて、共にあろうとすること。
諦めから生じる存在の希求。





次代の生殖を終えて死にいく花々から立ち昇る再生の匂いが
花々の死の中に諦められるとき、
雷光に蒼白く浮かび上がる桜の老樹の、恋々と生きているはずの
ごつごつとして奇怪で醜悪な姿は、決して美の中に薫らない。
腐敗した抜け殻の死のような生から切り離されているもののなかの
わずかな死と生の残照、その化石のように動かぬ姿を抱くこころに
美との婚姻の契機がある。





しかしガダルカナルの岸辺、特攻して蜂の巣となって、
血みどろになって絶叫しつつ息絶えた兵士の骸に寄せ返す海は、
どこまでも澄明で、蒼く眩くきらきらとして、ただ寄せ返す漣だけが
基調音として響く、静寂で穏やかな微笑のようだったことだろう。
骸は何も語らずただそこに朽ち果てる。
許されぬ行為と悲劇が時として残されたものや後代に至上の美を
生み出させたとしても、
兵卒の追いやられた甘美な陶酔に桜が投影されても、
殺戮と狂気のなかにあって人間が取り戻されなかったことを決して
忘れてはならない。





美は数知れぬ犠牲への挽歌として、最も光輝を発し、その眩さは
人間の正常な判断の眼を失明させる。
それは秘儀のような、時空の交差する地点でのことだ。
底のない慈悲の営みのなかにも、こころの眼を閉じてはならない。
人間は美を生きることは出来ない。
惨劇を引き受けて、美を呼びつけていくより他はない。





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大河の堤を上がり、漆黒の水面をみつめた。
遠雷の稲妻が、空を照射して、響き渡る風を引き裂いた。
僕は眠っていたのだろうか、それとも醒めていたのだろうか。
一面の葦原は沈思する大河をさざらと揺らせてみせた。
いっさいが過ぎていくなかで、ただ、立ち尽くしていた。
それは死を願って雨後の激流の前に立ち尽くした3年前の
心持ではなく、どこにも居る場所がない、という位置から
敷衍して世界を見渡すことの出来る視座を受け容れている自分が
諦めるように微笑している姿の、はっきりとした自覚だった。
ようやく僕は慈悲に裏打ちされた美に遭遇した。




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いま、どこにいますか?
ここで、待っていますから、安心してください。
誰に愛されずともよいのです。
愛するということを、知っているのですから。
始まってもいないのに諦めても、何もしていないのに終わっても、
虫けらと評されても、それは間違いなく人間の生なのです。

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