白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

おぼろ月に輪舞する子供達

2009-02-15 | こころについて、思うこと
学生時代のことだから、もう7年も前のことになる。
京都・東山の国立博物館では、レンブラントの展覧会が
大々的に開催されていた。
卒業論文の提出を控えた時期ではあったものの、
折角の機会を逸するのも口惜しくて、観にいこうと思い立って
ある日、阪急石橋駅から十三駅まで出た。
しかし、京阪電車に乗るためにわざわざ淀屋橋まで出るのが
何とも億劫で、そのまま阪急京都線に乗り換えてしまった。
普段なら、予め決めておいた行程を崩してその日を行動するのは
僕にはあまりないことだから、異例のことだったといえる。





四条河原町へ着いたところで、折角だから祇園・八坂を経由して
散歩がてらに七条まで下ろうと思って、
とりあえず四条通を東に歩くことにした。
鴨川を渡ってしばらく行ったところに、「何必館」という美術館がある。
その存在は知ってはいたが、普段は通り過ぎてしまっていた。
折角だからと、これも異例のこと、ふらりと入った。
そこで、僕は山口薫の絵画に出会った。





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初期作品の基調の色は、澄明な淡い青と赤褐色の土であって、
特に土の色は、ドランのそれに非常に近しいという印象だった。
素人の直感も当たることがあるもので、
実際に山口はドランからの影響を口にしたことがあるという。
山口の故郷である群馬の地層は関東ロームで、赤褐色であり、
やや乾いた熱っぽさを帯びていて、
ドランの土の色とは偶然とはいえ、近似性を有している。





それよりも僕が惹かれたのは澄明な淡い青、
あるいは鮮烈な青であって、
マチスのような鮮烈な色調の対比に拠らず、
あるいは灰や黒にくすんでいても、穏やかで深く、
遠い彼方が小さな戸口から覗いているのだった。





山口の画題は、日常の道具や身近な風景から採られているが、
その詩的天分が宮沢賢治のような鉱物性に因っていないせいか、
フォービズムやシュールレアリスムへとやわらかく寄り道して
黒色の虚無と隣り合わせの危うい白さや陶酔に着地したり、
緋色の燃えるような狂気のなかに抱きとめられたりと、
決して透明性への幻想のなかに凍ってしまうことがない。
幻想や夢を、一定の温度を保たせた上で語ることは容易ではない。
山口の作品は、晩年になるにつれ、画風に抽象性が増し、
配色と構図、筆致に狂想の作用が鮮明になっていくのだが、
複数の画題の二重協奏や、熱的な背景への母子愛の投影など、
人間の思念の本来の在り様ともいうべき錯綜性や背反性について
切実かつ誠実に告白し切っている。
そこに、僕は大変に惹きつけられた。





愛と傷が同義で在り得ること、ひとの顔からどれほど見通しても
そのひとの底が知れないこと、
眼に見えた色彩と、心に映えた色彩はおのずと異なることを
これほど誠実に教え導いてくれる作品に出会ったことがなかった。
夢想と幻想に血を通わせることのできる画家の気迫というべきか、
その構えに背筋が凍り、思わず息を飲んだ。
晩年の画家は、自らの画風に苦悩していたというが、
その時期の作品は、画題が輪郭どころか影も失ったものがある。





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冒頭に掲げたのは、「おぼろ月に輪舞する子供達」と題された
山口の絶筆である。
「何必館」館長である梶川芳友氏は、この絵を観て
「画家が絶対に描いてはいけない絵」と評し、
思わず凍りついたと書いている。
この絵については、来迎図としての解釈が一般的なものだそうだ。





僕自身、この絵を初めて観たときには、思わず呼吸を止めた。
観てはいけないものを観てしまったような心地がした。
大変な衝撃だった。思わず身震いがした。
しかしそれは、画家が自らに迫りくる死を描きとめたという
感触を受けたからではなかった。
むしろそんな感触は僕には皆無だった。
結晶化・鉱物化されて「生き血を抜かれた」ロマンティシズムに
慣れ親しんできた僕にとって、
「死のなかへと入って、死を生き切る」という圧倒的な絵の力と
無上の美の色彩と、凄絶というほかにない平安の実現は、
埴谷雄高の「闇の中の黒い馬」の世界を反転して批判するように
僕に向かってきたのである。





滂沱の涙、とは言わずとも、絵画を前に涙したのは初めてだった。
あまりの美しさと、そこから受けた衝撃のために、
その日は結局、レンブラントを観ずに帰ったのである。
村山槐多の「血や汗が染みた土壁にびいどろ色の精液で描いた絵」や
桃色紙に書かれた恋文を、思春期に初めて観たときの混乱から
数年を経ての、絵画を観ての二度目の混乱だった。
レンブラントを観るまでには、それからしばらくの期間が必要だった。





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先日、偶然、山口薫の回顧展が開催されていることを知り、
今日、三重県立美術館まで、車を駆って行って来た。
久しぶりに再会した山口の作品は、変わらずに、狂想のなかに
不思議な穏やかさと詩情を湛えて、響いてきた。





車路、梅花満開、黄砂と思しきくすみの青空を背に揺れていた。






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