白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

travel

2006-03-28 | 公開書簡
「愛するものが死んだ時には、
 自殺しなけあなりません。

 愛するものが死んだ時には
 それより他に、方法がない。

 けれどもそれでも、業(?)が深くて、
 なほもながらふことともなったら、

 奉仕の気持に、なることなんです。
 奉仕の気持に、なることなんです。」

        (中原中也 『春日狂想』から)





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昨日まで、西日本の各地を訪ね歩いて、
京都、大阪、岡山、香川にて、かけがえのない
ひとびとと、夜通しの酒を酌み交わしてきた。





美しいものにもたくさんめぐりあえた。
大原美術館のエル・グレコと中村彝、
岡山の青空の美貌、瀬戸内の春景色、
穏やかな凪の海を渡る温い風。
音楽を通じて出会ったひとびとの、笑顔の素直さ、
涙の純真さ、信頼の源泉から湧きいづる言葉。
音楽に憑かれたものの、ひたむきな翳りと、
音それ自体。





必要としてくれたひとのために語り、
時にはそれを音にしてみたり、
悪ふざけして見せたり、
伝わらないかもしれないけれども
相手に「絶望的に信頼」して触れ合いもし、
ひとが幸せになりゆくのを手伝ったりした。





かいつまめばたったこれだけになってしまうが、
さまざまなことを思いあぐね、ことばを選び、
それによってもたらされる結果に対する責任を
すべて負うだけの覚悟を決めたうえで、
たったひとりで見知らぬひとばかりの場所へと
飛び込んで、エネルギーをそこに注ぎこむこと、
そしてそれが、ただの徒労となり、絶対的な
拒絶という結果に終わるかもしれないこと、
起こりうるあらゆる事態の可能性について考えつつ
それでもなお、覚悟を決めて行動することは、
相当、自分というものを消費しなければできない。





瀬戸内の海を渡る前夜、岡山のホテルで
僕は過呼吸の発作を起こした。
全身の痙攣と、心臓の絞り上げられているような
痛みにベッドの上で耐えながら、ほとんど眠れぬまま
朝を迎えた。
体調は最悪の状態だった。
実際、手足のしびれは今も残っている。
一瞬、予定を切り上げて帰ろうか、とも思ったけれど、
美しいものに触れつつ、誰かのために力を尽くすこと、
という目的を果たすために、旅を続けた。





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僕を覚えているだろうか?
何を話したかを覚えているだろうか?
・・・・・そんなことは、重要ではない。
僕は、ひたむきに向かい合った。
ただそれだけのことだ。





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「薄明の海辺に
乾き切った海星が打ち上げられていた
その 宇宙から墜落した死を
見つめるうちに
ぼくはそれを拾い上げて
彼女の目の前にそっと差し出した
ぼくたちは祈るようにして手をつないだ
このまま滅びてしまいたいのに
生きているということがうれしくてたまらなくて
涙が止まらなかった





やわらかな風とゆるやかな波が
絶え間なくいのちをかき混ぜている音
かぐわしい花々の色彩を眠りから呼び戻す
くぐもった淡くあたたかな光
それはぼくたちにも届いて
朝がここにあることを教えてくれた
おはようと声がして振り向くと
見知らぬひとが笑顔で歩み過ぎてゆく
静かに向かい合うなかで
ぼくたちは許されて 守られていると心から思えた





ぼくたちがもし 世界から墜落して
海辺にむなしく打ち上げられたとしても
この手の中の海星のように
愛し合うものの手に取られて
美しき死のなかに生きていられるだろうか
そんな甘美な幻想のなかに
不意に悲しみがこみあげてきて
それと同時に 彼女はぼくを抱きしめ
沖合いの漁船から 大きな汽笛が聴こえ
岸辺にまたひとつ 海星が墜落していた




オリーブの葉のさざめく道を戻ると
幸せを知らぬというひとに会った
ぼくはポケットから出した海星を示して
海のほうを指差した
おりていくそのひとの姿を見送って
彼女はやさしく微笑みながら
いつまでも岸辺を懐かしむようにして
ぼくの手をしっかりと握った
けれど 幸せを知らぬというあのひとは
海へ向かったまま 2度と戻ることはなかった」





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このような創作の話を書けたとしても 
ぼくには幸せというものがわからないから 
実感できはしない。
そのような幸せのために力を尽くして、
幸せになりゆくものを見送ること。
ただしそれが 幸せになっていくものへの
形を変えた復讐なのだとしたら?
・・・そんな、自分のなかの暗黒、魔的なものへの
恐ろしさに苦しみながら、
ぼくはただ、ひたむきに向かい合うことしかできない。





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野ざらしのぼろぼろのピアノに向かい、
1人、試みた即興のなかに、
誰が、何を感じたのかも、それほど重要ではない。





いつのまにか始まって、いつのまにか消えている音。
そしてそれは、絶えず、生まれながら消えていく、
二度とは奏でられることのない音。
その場に居合わせたひとが、それに耳を澄ませたとき、
初めて音楽になる音。
一期一会の、唯一度だけ、生きられる音。





聴きたくなければ、ひとびとはそこを去るか、
会話するか、笑いあうか、騒いでいる。
こちらを向いてもいないだろう。
知っている曲なら、ひとびとはこっちを
向きやすいけれど、
今まさに生まれ落ちて、そこで演奏されている音、
ひとびとが初めて聴く音が音楽になることほど、
難しいことはない。
ぼくは、だからこそ、そのような音楽を目指している。





あの場所に、音楽があったのかも、わからない。
それは、ひとびとがきめることだ。
ぼくはただ、しびれる手足で、ピアノに向かって、
ひたむきに、音を出そうと試みた。
ただ、それだけのこと。





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すべてが虚偽に見える傾向のある僕が
素直になれるものが音楽なのかもしれない。
人間そのものすら時には虚偽に見えるのに、
人間の営みでしかない音楽を
信じていると実感する瞬間がある。
だからこそ、音楽以外のものにも、
素直になりたいのだが・・・。





少し、疲れた。
まあ、大切なひとには会えたから、よしとしよう。





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最後に、
この旅においてめぐり会ったすべてのひと、
僕を必要としてくれたひとに感謝します。
ありがとう。





そして、大切なひとに、いっそうの心を込めて。

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