白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

空飛ぶ猫の店

2009-02-14 | 日常、思うこと
今年も「バレンタインチェリーボーイ」を守った。
男の操である。





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ラフロイグを、ギネスの生をチェイサー代わりに飲みながら、
生牡蠣にバルサミコを落とし、或いはボウモアの滴を落として
食べる、という贅沢を許してくれる良い店を、
名古屋・千種に見つけた。
村上春樹の翻訳作品から名を拝借、「FLYING CAT」という。
カウンター、テーブル合わせて15席ほどの小さな店である。
数十年前にも同じ場所に同じ名を持つ店があったそうである。





僕はこの店よりも美味い、生のギネスを出す店を知らない。
また、モルトの品揃えも好ましい。
料理も、マスター自ら活ける花も、よく手入れの行き届いた
店の内装も、マスターの人柄も、
そのどれもが実直で、お仕着せがない。
そうした隠れ家のような店でありながら、アブサンまでが
さりげなく置かれている。
客層も、ふざけた類のひとは誰もおらず、ひとりでふらりと
やってきては、好きなように時間を送って、帰っていく。





東京・数寄屋橋には「季林」という店がある。
大坂昌彦氏や多田誠司氏など、日本のジャズ・シーンの一線で
活躍するひとびとが時折ライブをするというバーで、
カウンター・テーブル合わせて15席ほどの小さな店である。
グラスはバカラを用いている。
それにもかかわらず、一杯の値段は、こちらが思わず確認して
しまうほど、リーズナブルに設定されている。
客層も、時間の使い方、楽しみ方がよくわかっているひとが
ふらりとやってきて、帰っていく。





昨年の12月、はじめてこの店を訪れた折のこと、
紬の着物を着た女性がひとり、一杯だけグラスを傾けて
帰っていったことがあった。
その身のこなしぶり、漂う空気感の凛としたつややかさは
しこたま酔っていた僕にさえも印象を残していた。
先日、高知を訪れたときにBIFF氏にその話をしたところ、
BIFF氏は、もしかするとそのひとは、いまは数寄屋橋で
店を開いているらしい、松田優作の元マネージャーでは
ないだろうか、と話していた。





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現在老舗と呼ばれる店も、はじめから老舗だったわけではない。
多くの客が、これはこうだ、あれはこうだと主人に向けて
講釈したり褒めてみせたりしながら、よりよい店になるように
育てていった結果としての、老舗なのである。
いまではそんな御大尽もすっかりいなくなって、老舗の看板に
自らペンキを塗って真っ白にしてしまったものもあり、
メディア戦略に乗って調子づき、次々に業態を変えてみたり、
創意工夫と単なる思い付きの区別もついていない安直な料理を
厚顔無恥に客に出す店が増えてきた。
「お客様にお召し上がり頂く」ではなく、「客に食べさせてやる」
ラーメン屋や蕎麦屋が幅を利かせている始末である。





某国の宰相は帝国ホテルの会員制のバーで飲んでいるという。
確かに、高級ホテル、老舗ホテルのバーの素晴らしさは、
リッツ・カールトンのバーで、チーフバーテンダーの仕事を
差し向かいで見つめながら飲んだときによく分かった。
ただ一つの指示、しぐさ、サーブ、ステア、ナイフの扱い、
アイスピックの扱い、グラスへの注ぎ方など、
その振る舞いのいずれもが洗練されていてすがすがしい。
実直な仕事が洗練されると、その機能美さえも装飾となって
バーの空間へと薫り出し、満ちていく。





こうなると、客の側にも、客としてふさわしい振る舞いを
返礼するというのが求められるのは、むしろ儀礼としても
当然のことではないかと思う。
本当のサービスには感謝をして、信頼関係を築いていく。
サービスとは本来信頼関係なのであり、どちらかの優位や
お仕着せというものを想定することはそぐわないのである。
ひとが求めるものをいち早く察知する能力や、それに対し
的確に応じていくという一連のサービスを実現するには、
マニュアル的かつ画一的な振る舞いは無用無縁である。
ちなみに、山の上ホテルのバーなどは、連れ立った酔客の
入店を拒否することさえあるそうだが、
それは、最高のサービスを守るための、矜持であろう。
決して「飲ませてやる」という動機に発しているのではない。





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店を育てるというのは、実直な若い店を応援するだけではなく
思い上がった老舗を諌めるということでもある。
贔屓にしている店でも、味や対応が落ちれば、離れるのである。
僕はかつて贔屓にしていた奈良・柳生の蔵元を訪れなくなった。
メディアの情報もある程度は利用しつつも、自分の足で歩いて
何となく、良さそうだと思った店に入ってみることを
繰り返しているうちに、また、新しい贔屓先を見つける楽しみを
保っていきたいと思う。
先日、新たな贔屓先と見つけたのは、三重県鈴鹿市の「魚長」、
アナゴ専門料理店の天麩羅であり、絶品である。





さて、件の「FLYING CAT」で勘定を済ませ、
マスターに見送られて店を後にして、数十メートル先まで進み
何気なしに振り返ると、
マスターがこちらに向けて、お辞儀をしていた。
立ち入り方、振る舞い、会話においても客を一切不快にせず、
常に客を立てながらも出しゃばることもない。
これほどの気配りを誠実に、何の嫌味もケレンもなしに
出来る店というのは、そうあるものではない。





機会があれば、気の置けないひととともに訪れてみるのも、
ひとりふらりと訪れるのもいいだろう。
是非とも、応援していきたくなる店である。





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先日、久しぶりに料理を作った。
山形の芋煮をヒントにした煮込みうどんである。
鰹でだしを取り、醤油と味醂で味を調えたところに、
下茹でした里芋、笹がき牛蒡、人参、鶏肉、シメジ、
椎茸、油揚げを入れ、うどんを入れて煮込むという
簡単なものだったが、案外好評であった。





この時期には、味噌煮込みや韓国風のあっさり牡蠣鍋を
大学時代によく作っていた。
韓国風牡蠣鍋は至極簡単にできる。
鍋に湯を沸かし、鶏がらスープと醤油で濃い目に味を整え、
白菜、白葱、シメジ、椎茸、エノキ、豚肉、鱈などの具を
好みで入れていき、さらに日本酒を注いで味を和らげる。
そこにキムチを入れ、最後にニラを全体を覆うように盛り、
土鍋で蓋をし、5分ほど蒸すようにすれば、出来上がる。





自分の好きなものを、自分のために、自分の好きなだけ
料理するというのは極めて贅沢な時間だと思う。
ひとり暮らしをしていた頃は、ステーキ肉の下ごしらえに
ビールを使い、余りを飲み、酔っ払いながら料理をしていた。
今は、家族の世代構成からいっても、本当に自分が食べたい、
或いは作りたいという料理は作れない。
それでも、ひとに振る舞うことの楽しさは知っているから、
招かれれば、誰かのために料理でも作りたいと考えている。
ピアノ演奏と料理という、新しいコラボレーションである。
しかし、オファーはまだない。これから先も、あるだろうか。





ちなみに、料理のなかで一番難しいのは、味噌汁だと思うが、
いかがだろうか。






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