白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

扇と鶴

2009-02-07 | 日常、思うこと
こんな夢を見た。





坐して、何事かを待っている。
座敷には塵ひとつ舞っていないが、
何だか乳緑の薄い靄が立ち込めているようだ。
光はぼんやり温く、眠い。
畳の余白に、庭の南天の樹翳があやされるように
揺れている。
白障子の丸い嵌め硝子の底には碧空が映じている。





香を焚いてある。
仄かに、藺草の匂いが忍び込んでいる。
やがて、三尺四方の紫紺の大布が畳の上へ広げられると、
わたしは持参した幅二尺ほどの扇を開いた。
黒漆の骨を数えて、次いで金泥の縁と白砂の面が現れた。
一折れごとに、流麗な草書が綴られてある。
歌とも経とも判じ得ぬまま、わたしはそれを詠じ始めた。





しばらくあって、紫紺の大布が膨らみ始めて、
程なく、すっくとたちあがったので、
大布を捲ると、現れたのは鶴であった。
身丈およそ二尺、尾の先まではおよそ三尺、
黄金には輝かずとも、白色が体に清冽に流れている。
黒や緑が、織部文様さながらに表れている羽を揺すれど
はばたかず、時折に眼を瞬くばかり、
じいっと首をのばして、嵌め硝子の底を見据えている。





屋敷の外へ出ると、あたりは陽の注ぐ木立であって、
いちばん奥には、半町四方の小寺があった。
禅様とも阿弥陀堂ともつかぬ、板葺の小さな堂には
厨子が置かれて、秘仏であった。
風もなく、水の音もない静穏の寺に参って、
眼を右側に映じると、覆堂のなかに、十四、十五ほど
石塔が並んであって、おそらくは累代の墓である。
鈴の音も、なにものの声も響かぬ、
虚の頭を据えた体をそちらへと運んで、頭を垂れた。
こころもなにも、失ったのではなく、
はじめからなにもなかったような、わたしであった。





*************************





ほんとうは、この夢には続きがあるのだが、
これ以上は、筆を継がずにおこうと思う。
夢で訪れた先は、おそらく仮想の金沢であって、
このあとわたしは寺を離れて誰かの車に乗せてもらい、
幾重に山の重なる景色を眺めるうち、
近代的な、コンクリートの建築の駅へ着くのである。
しかしそこは目指した駅ではなかったので、
仕方なく街へ歩いて、楽器店を彷徨ったり、
バスに乗り換えて、夕暮れの茜の車窓にもたれて
眠ったりしたのである。





そのうちに、「眠りながら」眼が醒めて、夢が終わった。
しかしこれらのことは、冒頭に記したような夢に比して
甚だ平凡で、今までにも何度も見てきた類のもの、
いま、わざわざ書き留めておくほどのことでもない。
いま、特筆しておくべきことは、「扇」と「鶴」である。





**************************





江戸の頃より、夢に見ると縁起の良いものとして
「一富士、二鷹、三茄子」と言われてきた。
実はこの文言には続きがある。
現在では広く知られてはいないものの、本来は
「一富士、二鷹、三茄子、四扇、五煙草、六座頭」と
言っていたものらしい。
それが、時代が下るにつれ、三番目まであれば十分と
略されるようになったらしいのである。
つまり、「扇」は夢に見れば非常な吉兆であって、
「扇を開く」という行為は、
「自分自身の魅力の高まり」を暗示するものらしい。





そして、「鶴」である。
古来より、「鶴」は吉祥の意味の象徴であり、
夢に見れば大変な幸福が訪れることの暗示であるという。
例を挙げれば、病の全快、出世、発展、幸運、平和が
もたらされるものらしい。
とりわけ、「鶴」は縁談や懐妊など、男女の良縁の訪れの
象徴なのだそうである。





鶴のことは知っていたが、扇のことは調べて初めて知った。
婚礼の儀に招かれたこともないから、「高砂や」と謡う折、
手に持つ扇には鶴が描かれているということも知らない。
それに、生まれてこのかた、鶴が夢に出てきたことも、
扇が夢に出てきたこともない。
まったく、思いがけぬ夢であった。





**************************





さて、果たして、吉兆はわたしに訪れるのであろうか。

「知らなかったっていいなさい」
「頭が真っ白だったっていいなさい」

という、吉兆ではなく、

「あなたが好きです」

という、吉兆のほうである。





ちなみに、「駅」は「人生の転機」の暗示、
「バス」は「周囲から外れる事無く生活を送る」暗示、
「楽器」は「周囲から良い評価を得たいという思い」の
表れだそうである。
また、「自動車」は「安定して明るい生活」の前触れで、
恋愛やセックスが充実したものになる可能性があり、
「寺」は「願いがかなうことを望む強い思い」の象徴、
「墓」は「運気の上昇」の兆しだそうである。
我ながら、何だか涙ぐましくも哀れにさえ思われてくる。





疑念が拭いきれないが、これを「お告げ」として
しばらくそのように振舞ってみるのも一手ではある。
さて、これから、どのようなことになるだろうか。
昨日、誂えたばかりのスーツがかぎ裂きになった、
というのは、この際、なかったことにしておこう。





************************





エリック・ドルフィーの「LAST DATE」の
レコードを聴いていて、
さまざまを思っているうちに、震えてきて、
頬を、なにものかが伝った。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿