http://www.youtube.com/watch?v=azBU3wPxPIc
反則だろ。泣いちまいそうになるじゃねえか。
**************************
金曜夕刻、課長から大阪視察随行の代理を命ぜられ、
土曜、急遽大阪へ出張。
もともと今週末大阪へお忍びでふらりと行こうと
考えていたところ、水を得た魚となる。
折角の大阪ゆえ、ホテルを予約し一泊することとする。
車中、眠る課長の横で唐木順三の漱石論を読む。
感じること多々あり。本件については後日執筆予定。
漱石の倫理学観、詩学、等々。
喫煙のため席を立ち、窓から外を眺め見ると、
杉木立越しに長谷寺本坊の大屋根が覗く。
記憶の複数性、流転する自己、その統一体としての
拵え物の自我の観念など、思い巡らす。
大阪駅前のサテライトキャンパスにて、
千里ニュータウンの老齢化と課題について、
また、中心市街地空洞化の問題について、
企業誘致中心の雇用・収税・産業振興について、
さまざまの議題について教授連と会合、及び現地視察。
終了後、日帰りの課長と別れ、
定宿の千里阪急へ向かい、午睡。
夜八時、母校を訪れると、軽音時代の同窓生である
サックス吹きが練習しているところに出くわす。
*************************
彼女は2006年1月11日の日記に書いたひと。
以下、引用。
「みんな、それぞれに、
ほんとうにさまざまのことを過ぎてきて、
今も、つながっている。
彼女たちと出会っていなければ、
ぼくはジャズピアノをすることもなかったかもしれない。
少なくとも、軽音楽部に入ることはなかっただろう。
そして、2006年になった。
僕は26歳になり、サックス吹きの彼女は25歳になった。
綺麗になり、惹きつけられるような女性になっていた。
彼女は、僕にいろいろなことを話してくれた。
いろいろなことを教えてくれた。
卒業してからのこと、プライヴェ-ト、心の内側のこと。
プロとして生きているひとに、音楽の話をするのも失礼で、
彼女の音を聴けば、それはわかることだろうことだけれど、
それでもまあ、音楽のまわりをぐるぐると回りながらのほうが
ものごとについて話しやすいということもあり。
彼女は何もかも、ストレ-トにぶつけてくれた。
それゆえに、僕も正直に話した。
さまざまのことがらについての、自分の思いも。
以前なら、軋轢になったかもしれないことが、
お互いに、そうはならないように話せるようになっていた。
僕は、思わず口にした。
「僕は、あなたに感謝してるんだよ。
照れくさいから言わなかったけど。」
そういうと、彼女は「へへっ」と、笑った。
互いを尊重し気遣いながら、本音を話すことが出来るという
年齢に、なったのかもしれない。
さまざまのことを通り過ぎてきて、初めてうまれるものもある。
さまざまのことを通り過ぎ、経験し、考え、摩擦や軋轢を
繰り返してきた。
時にはおそらく互いに憎みあっていたのかもしれない。
出会ってから、もう7年になろうとしていた。
互いに起こった出来事も、いろいろと知っている。
それなのに、遠かったような気がしていた。
でもそれは、杞憂でしかなかった。
差し向かいで笑いながら飲めたことが、たまらなくうれしかった。」
****************************
この日と同じように、行きつけの保呂酔で新入りのお兄さんに
軽くちょっかいかけつつ、近況、美術、歴史、哲学、音楽、恋愛、
さまざまを話し込み、気付けば1時。
翌日、彼女と心斎橋でウィンドウショッピングののち、
クリスタのカフェで昼食し、帰途につこうとして、事態急変。
*************************
難波駅の掲示板を見、故郷に地震があったことを知る。
すぐさま実家に連絡を取り、無事を確認。
ほぼ同時に、職場から出動要請が来る。
しかし乗車予定の近鉄特急の運行に目途が立たず、
急遽新幹線に振り替えて帰路につく。
名古屋帰着するも、在来線の混乱甚だしく、
混雑、列車運行の乱れ等多々。
どうにか職場に到着し、所管する公共施設の被害状況等の
巡視にあたる。
幸い無事。
余震は落ち着きつつあります。
こころの状態もなだらかになりつつあります。
ご心配おかけして、申し訳ない。
***********************
亜矢ちゃんへ。ありがとう。
反則だろ。泣いちまいそうになるじゃねえか。
**************************
金曜夕刻、課長から大阪視察随行の代理を命ぜられ、
土曜、急遽大阪へ出張。
もともと今週末大阪へお忍びでふらりと行こうと
考えていたところ、水を得た魚となる。
折角の大阪ゆえ、ホテルを予約し一泊することとする。
車中、眠る課長の横で唐木順三の漱石論を読む。
感じること多々あり。本件については後日執筆予定。
漱石の倫理学観、詩学、等々。
喫煙のため席を立ち、窓から外を眺め見ると、
杉木立越しに長谷寺本坊の大屋根が覗く。
記憶の複数性、流転する自己、その統一体としての
拵え物の自我の観念など、思い巡らす。
大阪駅前のサテライトキャンパスにて、
千里ニュータウンの老齢化と課題について、
また、中心市街地空洞化の問題について、
企業誘致中心の雇用・収税・産業振興について、
さまざまの議題について教授連と会合、及び現地視察。
終了後、日帰りの課長と別れ、
定宿の千里阪急へ向かい、午睡。
夜八時、母校を訪れると、軽音時代の同窓生である
サックス吹きが練習しているところに出くわす。
*************************
彼女は2006年1月11日の日記に書いたひと。
以下、引用。
「みんな、それぞれに、
ほんとうにさまざまのことを過ぎてきて、
今も、つながっている。
彼女たちと出会っていなければ、
ぼくはジャズピアノをすることもなかったかもしれない。
少なくとも、軽音楽部に入ることはなかっただろう。
そして、2006年になった。
僕は26歳になり、サックス吹きの彼女は25歳になった。
綺麗になり、惹きつけられるような女性になっていた。
彼女は、僕にいろいろなことを話してくれた。
いろいろなことを教えてくれた。
卒業してからのこと、プライヴェ-ト、心の内側のこと。
プロとして生きているひとに、音楽の話をするのも失礼で、
彼女の音を聴けば、それはわかることだろうことだけれど、
それでもまあ、音楽のまわりをぐるぐると回りながらのほうが
ものごとについて話しやすいということもあり。
彼女は何もかも、ストレ-トにぶつけてくれた。
それゆえに、僕も正直に話した。
さまざまのことがらについての、自分の思いも。
以前なら、軋轢になったかもしれないことが、
お互いに、そうはならないように話せるようになっていた。
僕は、思わず口にした。
「僕は、あなたに感謝してるんだよ。
照れくさいから言わなかったけど。」
そういうと、彼女は「へへっ」と、笑った。
互いを尊重し気遣いながら、本音を話すことが出来るという
年齢に、なったのかもしれない。
さまざまのことを通り過ぎてきて、初めてうまれるものもある。
さまざまのことを通り過ぎ、経験し、考え、摩擦や軋轢を
繰り返してきた。
時にはおそらく互いに憎みあっていたのかもしれない。
出会ってから、もう7年になろうとしていた。
互いに起こった出来事も、いろいろと知っている。
それなのに、遠かったような気がしていた。
でもそれは、杞憂でしかなかった。
差し向かいで笑いながら飲めたことが、たまらなくうれしかった。」
****************************
この日と同じように、行きつけの保呂酔で新入りのお兄さんに
軽くちょっかいかけつつ、近況、美術、歴史、哲学、音楽、恋愛、
さまざまを話し込み、気付けば1時。
翌日、彼女と心斎橋でウィンドウショッピングののち、
クリスタのカフェで昼食し、帰途につこうとして、事態急変。
*************************
難波駅の掲示板を見、故郷に地震があったことを知る。
すぐさま実家に連絡を取り、無事を確認。
ほぼ同時に、職場から出動要請が来る。
しかし乗車予定の近鉄特急の運行に目途が立たず、
急遽新幹線に振り替えて帰路につく。
名古屋帰着するも、在来線の混乱甚だしく、
混雑、列車運行の乱れ等多々。
どうにか職場に到着し、所管する公共施設の被害状況等の
巡視にあたる。
幸い無事。
余震は落ち着きつつあります。
こころの状態もなだらかになりつつあります。
ご心配おかけして、申し訳ない。
***********************
亜矢ちゃんへ。ありがとう。
みんなそれぞれ色々、角がとれたり経験したりで変化していく面もあるけど、芯になる部分は変わらないよねー。
時間が経ってから改めて話すとおもしろい。
大学時代にバンドをやったメンバーは今でも戦友だと思ってます。
誰が欠けてもあの音は出なかった!あの時がなかったら私の今もないと思う。
ではでは、余震、おさまったとはいえ引き続き用心してね!
余震はおさまってきました。
記憶っていうのは単なるノスタルジーではなくて
離れているもの、解れてしまったものをもう一度
違う形で結び合わせてくれますよね。
あの音はいい音でしたねえ。
山野の3曲目でサックスセクションのバックの音に
思わず「あ、邪魔しないでおこう」って思って
きれいだなあ、とにやけて聴いてた記憶があります。
誰かに任せても大丈夫だ、と初めて思った瞬間だな。
あ、あと買い物ってあんな楽しいもんなんですね。
知らなかったわ(笑)