
Set list : Oct 3,2010
1st
1 Golden Earthings
2 Snow Nuff
3 Little Man, You Have Busy Day
4 Butch & Butch
5 Last Night When We Were Young
2nd
1 You Won't Forget Me
2 Things Ain't What They Used To Be
3 Broadway Blues
Encore
1 I've Got A Crush On You
2 Answer Me, My Love
3 Straight. No Chaser
**************************
この日は、三ノ輪にある樋口一葉の記念館を訪れた。
一葉については優れた研究や評伝が数多く残されており、
僕などが改めて何事かを物す身ではないが、
いま、本郷の一葉旧居跡から、歩いて数分のところに暮らし
物思うゆえに、それなりの感慨がある。
赤門前から、本郷台町と真砂町の合間にある菊坂「大どぶ」、
更に、吉原と投げ込み寺たる浄閑寺の間にある竜泉、
そして、終焉の地である西片の崖下、現在の白山通りへと、
一葉の暮らした地は、貧窮の度が増すごとに、谷の底へと
移っていった。
下級とはいえ、士族の出であることを終生の誇りとしていた
気位が高い一葉にとって、労働を蔑視しつつも、質屋に通い、
やがて戸主としての誇りから実業を試みるに至った心中は
いかばかりであったろうか。
「我れは女なり、いかにおもへることありとも、そは世に
行ふべき事か、あらぬか」
(一葉「日記」から)
気位は高くとも、その才覚とたくましさは、性別を問わず
多くのひとびとを惹きつけたことは想像に難くない。
一葉の原稿や日記などの資料が散逸することなく、現代に
伝えられたのも、鴎外や露伴、上田敏や森田草平といった
当時の一級の文人に、早くから認められていたからである。
泉鏡花も一葉を訪ねたという。
鴎外は一葉の葬儀に騎馬で随行しようとして、樋口家から
地位の違いを理由に、丁重に断られている。
もっとも、山田風太郎は、最晩年の一葉が高利貸しを訪ねて
借金を申し込んだ際、
その相手から妾になるように言われていたことを記しており、
「たけくらべ」を書けずに余命を保っていれば、
一葉は高利貸しの手に落ちていた可能性がある、
死は一葉を汚辱から救った、と述べている。
また、一葉が思いを寄せた相手であり、文学の師でもあった
半井桃水は、一葉について、顔色は浅黒く、首は短く、
髪はちぢれて赤茶けていた、との証言を残している。
***************************
三ノ輪から上野へ出て、銀座線に乗り換えて渋谷へ向かった。
この日は初めて、雨に濡れずに済んだ。
オーチャードホールは満員の聴衆でぎっしりと埋まった。
実は、僕はこの日の音楽を、ほとんど覚えていない。
奏者の心拍と同期する感覚や、表面的な聴覚の心地よさや
滑らかさは、1st set で、幾らでも経験した。
メンバーの加齢に起因するであろうアンバランスやミスは
この日も三者三様に、幾つもあった。
ピーコックとディジョネットがキースに追いつけない場面が
いくつもあって、
これで最後にしたほうがいい、と思う瞬間もあった。
それでも、心臓を鷲掴みにされて、
全身を持ちあげられる音も聴いた。
煮えた鉛のなかに沈められるかのような音も聴いた。
土と葉の匂いの漂う音も聴いた。
花のような音も聴いた。
それらすべてが消え去った代わりに、ある種の熱量、
焔のようなものが点ったまま、消えないのは、
いつも通りの、キース・ジャレット・トリオの音だった。
誰にも透かし見ることのできない、密やかな名の無い焔を
自分だけがこころに点していると思いこんでしまうような、
そのことに、幾分かのあやしさと訝しさを感じつつも、
それを自らに許してしまうような感情を、
どうしても否定することが出来ない、独特の音である。
ただ、この日は、これまでとは何かが違っていた。
****************************
物理的には無音になっても、いつになっても響いている。
そうした経験は今までにもあった。
しかし、例えば、ケアの場で相手を労り、撫でているうちに
共振してしまって、
ふるえのなかに、相手の苦しみや感情の奔流を感じた瞬間に
どっと、それらが自分の中に流れ込んできて、
我が身が我が身で無くなるほどに揺さぶられて自失して、
どうにもならなくなって泣き出してしまいそうになるような、
そんな状態に陥ったことは、初めてだった。
決してバラードを聴いていたのではない。
オーネット・コールマンの Broadway Blues を基点に始まった
フリー・フォームでのことだ。
一分の隙もないどころか、臨界点に達したまま、
いつメルトダウンしてもおかしくないようでありながら、
怖ろしくなるほどに静謐な演奏を聴いている最中に、
それは起こった。
このフリー・フォームの終了後、拍手が鳴りやまなくなった。
メンバーがそれぞれの場を離れてお辞儀に移るまでに
しばらく時間を要していたから、
予定では、おそらくもう一曲、続けて演奏されるはずだったと
思われる。
どのような曲がどのように演奏されるはずだったのかは、
おそらくはメンバーも含めて、もはや知る由もない。
****************************
キースの言葉を引けば、彼にとっての音楽は、
音楽以外の何物かの翻訳である。
それは、音楽を超えたところにある何かを目指そうとする
飛翔の試みであろう。
しかし、天才ゆえの無邪気に因るものと解すべきか、
即興演奏における、楽器上の制約、奏法上の制約、
身体機能上の制約、学理的な制約、歴史・慣習上の制約、
身体記憶上の制約に対して、
彼の言葉を見る限り、これを巡る思索は欠落している。
例えば、高柳正行や、高橋悠治のような厳しさは無い。
かつて高橋悠治は、キースの演奏を厳しく批判している。
彼の音が、その証左となる。
その高橋悠治が、師にあたる武満徹と離反していた時期に、
武満はキースと対談している。
トリオを結成して間もない時期のキースから、
武満は次のような言葉を引き出している。
「私は、私自身の音を聴きたい、私の音楽を所有したいという欲望は、
今はもうなくなりました。
今は、他の人の音楽のなかで欠けていると思われるものを
取り戻したいと思っているのです」
***************************
この日、encore 2曲目に演奏された
Answer Me, My Love は、その言葉の証であったと思う。
あの演奏を、言葉にすることができない。
ただ、感極まったという事実を記すに留めたい。
そして、今は、あのような音を弾きたいと、願っている。
会場が総立ちとなって、彼らの姿が見えないので、
立ち上がって、拍手をした。
メンバーが抱き合っているのが見えた。
この日、あの音を分かち合えたことを、うれしく思う。
1st
1 Golden Earthings
2 Snow Nuff
3 Little Man, You Have Busy Day
4 Butch & Butch
5 Last Night When We Were Young
2nd
1 You Won't Forget Me
2 Things Ain't What They Used To Be
3 Broadway Blues
Encore
1 I've Got A Crush On You
2 Answer Me, My Love
3 Straight. No Chaser
**************************
この日は、三ノ輪にある樋口一葉の記念館を訪れた。
一葉については優れた研究や評伝が数多く残されており、
僕などが改めて何事かを物す身ではないが、
いま、本郷の一葉旧居跡から、歩いて数分のところに暮らし
物思うゆえに、それなりの感慨がある。
赤門前から、本郷台町と真砂町の合間にある菊坂「大どぶ」、
更に、吉原と投げ込み寺たる浄閑寺の間にある竜泉、
そして、終焉の地である西片の崖下、現在の白山通りへと、
一葉の暮らした地は、貧窮の度が増すごとに、谷の底へと
移っていった。
下級とはいえ、士族の出であることを終生の誇りとしていた
気位が高い一葉にとって、労働を蔑視しつつも、質屋に通い、
やがて戸主としての誇りから実業を試みるに至った心中は
いかばかりであったろうか。
「我れは女なり、いかにおもへることありとも、そは世に
行ふべき事か、あらぬか」
(一葉「日記」から)
気位は高くとも、その才覚とたくましさは、性別を問わず
多くのひとびとを惹きつけたことは想像に難くない。
一葉の原稿や日記などの資料が散逸することなく、現代に
伝えられたのも、鴎外や露伴、上田敏や森田草平といった
当時の一級の文人に、早くから認められていたからである。
泉鏡花も一葉を訪ねたという。
鴎外は一葉の葬儀に騎馬で随行しようとして、樋口家から
地位の違いを理由に、丁重に断られている。
もっとも、山田風太郎は、最晩年の一葉が高利貸しを訪ねて
借金を申し込んだ際、
その相手から妾になるように言われていたことを記しており、
「たけくらべ」を書けずに余命を保っていれば、
一葉は高利貸しの手に落ちていた可能性がある、
死は一葉を汚辱から救った、と述べている。
また、一葉が思いを寄せた相手であり、文学の師でもあった
半井桃水は、一葉について、顔色は浅黒く、首は短く、
髪はちぢれて赤茶けていた、との証言を残している。
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三ノ輪から上野へ出て、銀座線に乗り換えて渋谷へ向かった。
この日は初めて、雨に濡れずに済んだ。
オーチャードホールは満員の聴衆でぎっしりと埋まった。
実は、僕はこの日の音楽を、ほとんど覚えていない。
奏者の心拍と同期する感覚や、表面的な聴覚の心地よさや
滑らかさは、1st set で、幾らでも経験した。
メンバーの加齢に起因するであろうアンバランスやミスは
この日も三者三様に、幾つもあった。
ピーコックとディジョネットがキースに追いつけない場面が
いくつもあって、
これで最後にしたほうがいい、と思う瞬間もあった。
それでも、心臓を鷲掴みにされて、
全身を持ちあげられる音も聴いた。
煮えた鉛のなかに沈められるかのような音も聴いた。
土と葉の匂いの漂う音も聴いた。
花のような音も聴いた。
それらすべてが消え去った代わりに、ある種の熱量、
焔のようなものが点ったまま、消えないのは、
いつも通りの、キース・ジャレット・トリオの音だった。
誰にも透かし見ることのできない、密やかな名の無い焔を
自分だけがこころに点していると思いこんでしまうような、
そのことに、幾分かのあやしさと訝しさを感じつつも、
それを自らに許してしまうような感情を、
どうしても否定することが出来ない、独特の音である。
ただ、この日は、これまでとは何かが違っていた。
****************************
物理的には無音になっても、いつになっても響いている。
そうした経験は今までにもあった。
しかし、例えば、ケアの場で相手を労り、撫でているうちに
共振してしまって、
ふるえのなかに、相手の苦しみや感情の奔流を感じた瞬間に
どっと、それらが自分の中に流れ込んできて、
我が身が我が身で無くなるほどに揺さぶられて自失して、
どうにもならなくなって泣き出してしまいそうになるような、
そんな状態に陥ったことは、初めてだった。
決してバラードを聴いていたのではない。
オーネット・コールマンの Broadway Blues を基点に始まった
フリー・フォームでのことだ。
一分の隙もないどころか、臨界点に達したまま、
いつメルトダウンしてもおかしくないようでありながら、
怖ろしくなるほどに静謐な演奏を聴いている最中に、
それは起こった。
このフリー・フォームの終了後、拍手が鳴りやまなくなった。
メンバーがそれぞれの場を離れてお辞儀に移るまでに
しばらく時間を要していたから、
予定では、おそらくもう一曲、続けて演奏されるはずだったと
思われる。
どのような曲がどのように演奏されるはずだったのかは、
おそらくはメンバーも含めて、もはや知る由もない。
****************************
キースの言葉を引けば、彼にとっての音楽は、
音楽以外の何物かの翻訳である。
それは、音楽を超えたところにある何かを目指そうとする
飛翔の試みであろう。
しかし、天才ゆえの無邪気に因るものと解すべきか、
即興演奏における、楽器上の制約、奏法上の制約、
身体機能上の制約、学理的な制約、歴史・慣習上の制約、
身体記憶上の制約に対して、
彼の言葉を見る限り、これを巡る思索は欠落している。
例えば、高柳正行や、高橋悠治のような厳しさは無い。
かつて高橋悠治は、キースの演奏を厳しく批判している。
彼の音が、その証左となる。
その高橋悠治が、師にあたる武満徹と離反していた時期に、
武満はキースと対談している。
トリオを結成して間もない時期のキースから、
武満は次のような言葉を引き出している。
「私は、私自身の音を聴きたい、私の音楽を所有したいという欲望は、
今はもうなくなりました。
今は、他の人の音楽のなかで欠けていると思われるものを
取り戻したいと思っているのです」
***************************
この日、encore 2曲目に演奏された
Answer Me, My Love は、その言葉の証であったと思う。
あの演奏を、言葉にすることができない。
ただ、感極まったという事実を記すに留めたい。
そして、今は、あのような音を弾きたいと、願っている。
会場が総立ちとなって、彼らの姿が見えないので、
立ち上がって、拍手をした。
メンバーが抱き合っているのが見えた。
この日、あの音を分かち合えたことを、うれしく思う。
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