3ヶ月ほど続いた日跨ぎ近い仕事にもどうやら
漸く落ち着きの兆しが見える。
先日、帰途のブックオフで偶然、ショスタコーヴィチの
「24の前奏曲とフーガ」(演奏:キース・ジャレット)が
投売りされているのに出くわして、これを購い、
毎夜、酒に呑まれた頭へのチェイサー代わりに使っている。
マデイラやポートといった甘口馬鹿の酒に少々飽きて
このところジョニ黒を飲んでいるのだが、
甘い酒とは違って、スコッチは副交感神経にはちっとも
働いてくれず、
心拍昂進、いざネオンの街へ繰り出そうか、というような
気付けの酔いにしか陥らないので困る。
先日生まれて初めての合同コンパというものに招かれて
脂ぎって生々しく塩臭い欲求を隠し切れぬ酒席というものを
経験したのだが、酒が酷く不味く感じた。
酒は独りなら独り、気の合うもの同士がよい。
鍵盤にふれず、音楽とは程遠い日常の業務と疲労と、
悪夢に遮られる眠りをただ繰り返している日々を過ぎて、
脳髄の奥底にどす黒く溜まったマーラーとショスタコーヴィチを
排泄するようにして、
今日、指に導かれて即興の音を奏でることが出来た。
嬰ハ短調を基音とした3声、旋法的に、対位的に、
プロコフィエフのように。
**************************
http://blog.goo.ne.jp/lanonymat/e/e4b9a6a70b856585f42fcfa8c54245de
http://blog.goo.ne.jp/lanonymat/e/ff0a2b802d6ca5688f7b9afbbeb4e415
http://blog.goo.ne.jp/lanonymat/e/9a13ca440975e65d47a38cdf0e3c87c9
上の記事を布石として、少し、漱石のことを書こう。
漱石には文学者となる以前に建築家を志した時代がある。
自らが、資本主義経済と文明・思想の西欧化を急ぐ明治の
日本にあって、それに相容れぬ知識人的エトランゼとしての
自己を意識したのは青年期においてであるようで、
「変人」「偏屈」な自身が到底世の中に受け容れられないのを
はっきりと自覚して、たとえ「変人」であることを
矯正出来ないとしても、
己の嗜好趣味に鑑み、美的なものの創造と実学の結節としての
建築を生業とすることで、趣味と実益を兼ね、
食い扶持としようとしたようだ(明治39年「落第」)。
漱石の青春期である明治20年代は、ドストエフスキーの
没して間の無い時代であり、
海外文学の翻案もそれほど成されておらず、
「罪と罰」さえ、因果応報の物語として語られていた
未明の時代であった(こうした読み方を初めて打破したのが
北村透谷である)。
自由民権運動の高まりと憲法発布・日清戦争へと進む明治の
時代にあって、漱石が読み進めたのは夥しい漢籍であった。
国家社会の要求する文物と、市井に流布する文物の内容の
乖離は甚だしく、漱石が自らの来歴と、自らを取り巻く社会の
変化のずれに引き裂かれるのは必定であった。
国粋主義の高まり、教育勅語の発布など、
国家社会を繋いで揺るぐことのない道徳や、倫理の確立が
求められた時代にあって、22歳の漱石はこれを喝破する。
「私には、標準としての道徳など無い。
だから、物事の善悪について判断なども出来ない。
今日の私は、いまこの瞬間の感情によって行動している。
物事の善悪を決めるのも、いまこの瞬間の感情でしか
ないではないか。
瞬間は過ぎ去る。今の私は昨日の私ではない。
昨日の標準は今日の標準ではない・・・」(意訳)
***********************
世の中に唯一無二の真理、あるいは倫理というものなど
存在しないことを、
人間の生の本質的な流転性に拠って主張した若年の漱石は、
その後、小説という西欧的方法のなかで
様々の日本人の類型を登場させて議論・喧嘩、批判させあい
人間のいわば「血の実像」をじりじりと絞り出していく。
漱石にはインテリとしての自負があり、自らよりも下等な
ものどもの無名の動きの集合によって駆動されている
俗な社会に痛罵を浴びせながら、実生活のうえではそれに
巻き込まれざるを得ない自らの生に怒り狂う。
漱石は鬱病だった。
漱石は自らの病について、こう語っている。
「ロンドン留学時も、帰国後も、私は周囲の者から神経衰弱、
あるいは狂人と見られているようだ。
しかし、神経衰弱と狂気が私に小説を書かせているのなら、
私は神経衰弱と狂気に感謝する」(「文学論」序、意訳)
後年「思い出すことなど」において、ドストエフスキーの
癲癇に伴う至福の恍惚体験について率直な羨望を述べつつ、
これを天与のものとして賛美しながら、
自らの経験した恍惚感を単なる喀血に伴う貧血によるものと
落とし噺にしてしまう漱石の心理と、
上記したことばに伺える告白を比べれば、
3代目小さんを贔屓にした落語好きの漱石が残した
膨大な手紙から伺える他者との交わりへの異常な執着と、
ドストエフスキーの「地下室者」のような
他者への絶望的な孤独、切迫した闇、こころの断崖、
クレバスの底からの叫びとの恐ろしく明確な2面性を感じて
仕方が無い。
カントが天才を「自然の所与」として祝福した時代は過ぎ、
資本主義社会・市民社会の発展のなかで
異常者、狂人として扱われていった芸術家たちの境遇を知り
明治という時代に引き裂かれる漱石は、
自分の中には底辺の無い3角形がある、といってみたり、
2辺が平行する3角形がある、といってみたりする。
夥しい漢籍、和書の教養に育まれた漱石の自我は、
留学体験による西欧文明の津波に教われて崩壊の危機に瀕し、
引き裂かれる自己を「詩の論理化」ともいうべき小説によって
辛うじて生き長らえた。
山田風太郎は漱石の「野分」をつまらぬ、といっているが、
落語譲りの戯作、ユーモアを交えた作家から、
「間違ったら神経衰弱でも気違いでも入牢でも覚悟する」との
宣言によって、人間というものを描き尽くそうとする決意に
いたる過程で、「野分」は非常に重要な位置にある。
余談だが、永井荷風は青春期、一時落語の世界に身を置いている。
作家として誕生するはるか以前のことである。
****************************
若年において、普遍の倫理の存在を否定してなお
人間の実像を暴き出すことに生涯を賭した漱石は、
「自己本位」に自らの基盤をおきながら、
その実、他者も「自己本位」を主張すれば
必定、自己にとって周囲は敵ばかりとなり、
それが自らが現にここに生きていることに由来することに
思い至って行き詰まることとなって、
信仰、狂気、自殺、の三者択一にまで思い至る。
漱石はここで自然に帰る事を選んだ。
フーコーが、それまで近代的自我というものが
いかにして捏ね上げられた紛い物であるかを
さんざん解剖し、暴露してきたのに、
最晩年になって主体の回復を唱えた立場に近い。
それは自らを育んだものへの回帰である。
漱石の場合は仏教的宇宙観、ミクロコスモスと
マクロコスモスとの交感であり、
フーコーの場合は原初的疑念、コギトへの着地であろうか。
**************************
所感。
業務多忙の束の間の休日に安部公房など読むべきではない。
錯覚であるとはいえ、しばらくぶりにピアノを弾いて
全く弾いた事の無い、聴いたことも無い音が生まれるのを
聴くのは楽しいものだ。
ロジェ=カイヨワのいうような、ホモ・ルーデンスの概念が
こういうときには真実に見えるからたまらない。
漸く落ち着きの兆しが見える。
先日、帰途のブックオフで偶然、ショスタコーヴィチの
「24の前奏曲とフーガ」(演奏:キース・ジャレット)が
投売りされているのに出くわして、これを購い、
毎夜、酒に呑まれた頭へのチェイサー代わりに使っている。
マデイラやポートといった甘口馬鹿の酒に少々飽きて
このところジョニ黒を飲んでいるのだが、
甘い酒とは違って、スコッチは副交感神経にはちっとも
働いてくれず、
心拍昂進、いざネオンの街へ繰り出そうか、というような
気付けの酔いにしか陥らないので困る。
先日生まれて初めての合同コンパというものに招かれて
脂ぎって生々しく塩臭い欲求を隠し切れぬ酒席というものを
経験したのだが、酒が酷く不味く感じた。
酒は独りなら独り、気の合うもの同士がよい。
鍵盤にふれず、音楽とは程遠い日常の業務と疲労と、
悪夢に遮られる眠りをただ繰り返している日々を過ぎて、
脳髄の奥底にどす黒く溜まったマーラーとショスタコーヴィチを
排泄するようにして、
今日、指に導かれて即興の音を奏でることが出来た。
嬰ハ短調を基音とした3声、旋法的に、対位的に、
プロコフィエフのように。
**************************
http://blog.goo.ne.jp/lanonymat/e/e4b9a6a70b856585f42fcfa8c54245de
http://blog.goo.ne.jp/lanonymat/e/ff0a2b802d6ca5688f7b9afbbeb4e415
http://blog.goo.ne.jp/lanonymat/e/9a13ca440975e65d47a38cdf0e3c87c9
上の記事を布石として、少し、漱石のことを書こう。
漱石には文学者となる以前に建築家を志した時代がある。
自らが、資本主義経済と文明・思想の西欧化を急ぐ明治の
日本にあって、それに相容れぬ知識人的エトランゼとしての
自己を意識したのは青年期においてであるようで、
「変人」「偏屈」な自身が到底世の中に受け容れられないのを
はっきりと自覚して、たとえ「変人」であることを
矯正出来ないとしても、
己の嗜好趣味に鑑み、美的なものの創造と実学の結節としての
建築を生業とすることで、趣味と実益を兼ね、
食い扶持としようとしたようだ(明治39年「落第」)。
漱石の青春期である明治20年代は、ドストエフスキーの
没して間の無い時代であり、
海外文学の翻案もそれほど成されておらず、
「罪と罰」さえ、因果応報の物語として語られていた
未明の時代であった(こうした読み方を初めて打破したのが
北村透谷である)。
自由民権運動の高まりと憲法発布・日清戦争へと進む明治の
時代にあって、漱石が読み進めたのは夥しい漢籍であった。
国家社会の要求する文物と、市井に流布する文物の内容の
乖離は甚だしく、漱石が自らの来歴と、自らを取り巻く社会の
変化のずれに引き裂かれるのは必定であった。
国粋主義の高まり、教育勅語の発布など、
国家社会を繋いで揺るぐことのない道徳や、倫理の確立が
求められた時代にあって、22歳の漱石はこれを喝破する。
「私には、標準としての道徳など無い。
だから、物事の善悪について判断なども出来ない。
今日の私は、いまこの瞬間の感情によって行動している。
物事の善悪を決めるのも、いまこの瞬間の感情でしか
ないではないか。
瞬間は過ぎ去る。今の私は昨日の私ではない。
昨日の標準は今日の標準ではない・・・」(意訳)
***********************
世の中に唯一無二の真理、あるいは倫理というものなど
存在しないことを、
人間の生の本質的な流転性に拠って主張した若年の漱石は、
その後、小説という西欧的方法のなかで
様々の日本人の類型を登場させて議論・喧嘩、批判させあい
人間のいわば「血の実像」をじりじりと絞り出していく。
漱石にはインテリとしての自負があり、自らよりも下等な
ものどもの無名の動きの集合によって駆動されている
俗な社会に痛罵を浴びせながら、実生活のうえではそれに
巻き込まれざるを得ない自らの生に怒り狂う。
漱石は鬱病だった。
漱石は自らの病について、こう語っている。
「ロンドン留学時も、帰国後も、私は周囲の者から神経衰弱、
あるいは狂人と見られているようだ。
しかし、神経衰弱と狂気が私に小説を書かせているのなら、
私は神経衰弱と狂気に感謝する」(「文学論」序、意訳)
後年「思い出すことなど」において、ドストエフスキーの
癲癇に伴う至福の恍惚体験について率直な羨望を述べつつ、
これを天与のものとして賛美しながら、
自らの経験した恍惚感を単なる喀血に伴う貧血によるものと
落とし噺にしてしまう漱石の心理と、
上記したことばに伺える告白を比べれば、
3代目小さんを贔屓にした落語好きの漱石が残した
膨大な手紙から伺える他者との交わりへの異常な執着と、
ドストエフスキーの「地下室者」のような
他者への絶望的な孤独、切迫した闇、こころの断崖、
クレバスの底からの叫びとの恐ろしく明確な2面性を感じて
仕方が無い。
カントが天才を「自然の所与」として祝福した時代は過ぎ、
資本主義社会・市民社会の発展のなかで
異常者、狂人として扱われていった芸術家たちの境遇を知り
明治という時代に引き裂かれる漱石は、
自分の中には底辺の無い3角形がある、といってみたり、
2辺が平行する3角形がある、といってみたりする。
夥しい漢籍、和書の教養に育まれた漱石の自我は、
留学体験による西欧文明の津波に教われて崩壊の危機に瀕し、
引き裂かれる自己を「詩の論理化」ともいうべき小説によって
辛うじて生き長らえた。
山田風太郎は漱石の「野分」をつまらぬ、といっているが、
落語譲りの戯作、ユーモアを交えた作家から、
「間違ったら神経衰弱でも気違いでも入牢でも覚悟する」との
宣言によって、人間というものを描き尽くそうとする決意に
いたる過程で、「野分」は非常に重要な位置にある。
余談だが、永井荷風は青春期、一時落語の世界に身を置いている。
作家として誕生するはるか以前のことである。
****************************
若年において、普遍の倫理の存在を否定してなお
人間の実像を暴き出すことに生涯を賭した漱石は、
「自己本位」に自らの基盤をおきながら、
その実、他者も「自己本位」を主張すれば
必定、自己にとって周囲は敵ばかりとなり、
それが自らが現にここに生きていることに由来することに
思い至って行き詰まることとなって、
信仰、狂気、自殺、の三者択一にまで思い至る。
漱石はここで自然に帰る事を選んだ。
フーコーが、それまで近代的自我というものが
いかにして捏ね上げられた紛い物であるかを
さんざん解剖し、暴露してきたのに、
最晩年になって主体の回復を唱えた立場に近い。
それは自らを育んだものへの回帰である。
漱石の場合は仏教的宇宙観、ミクロコスモスと
マクロコスモスとの交感であり、
フーコーの場合は原初的疑念、コギトへの着地であろうか。
**************************
所感。
業務多忙の束の間の休日に安部公房など読むべきではない。
錯覚であるとはいえ、しばらくぶりにピアノを弾いて
全く弾いた事の無い、聴いたことも無い音が生まれるのを
聴くのは楽しいものだ。
ロジェ=カイヨワのいうような、ホモ・ルーデンスの概念が
こういうときには真実に見えるからたまらない。
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