白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

今朝、修羅のごとく

2007-04-29 | 日常、思うこと
教育テレビ寺山修司特集は久しぶりに面白かった。





************************





如何にも矛を収めきれぬので書くこととする。
乱文失敬。




我が家には現在、父、母、母方の祖母、小生の
4人が暮らしている。
いわゆるサザエさん型の家庭であって、
父、母、小生の苗字はA家であり、祖母の苗字はB家である。
イソノ家と異なるのは、昭和60年に母方の実家に
父が事務所兼ピアノ教室兼寝室を増築したため、
2世帯住宅となっていることである。
それぞれの棟は井戸屋形で結ばれて自由に往来出来、
2世帯住宅のようでありながら、生活形態は1世帯の
それである。




祖母は元々のB家の棟で商売を営んでいるため、
A家宛の宅急便や速達もB家側の店に届くことが屡である。
B家側の荷物が、A家側に届くことは殆ど無いといってよい。




**************************




今朝9時45分、新聞をB家側の棟で読もうとした所、
呼び鈴を鳴らし、勝手口のガラス戸をがんがん叩いて
「Bさん、Bさん」と呼ぶ声がする。
その声に多少のいがらっぽさの滲んでいるのに、
僕の聴覚は反応した。




祖母に「横で誰か呼んどるで、郵便やろ」というと、
祖母は「ええわ、今から店開けるで」と答えた。
正月に39度の熱が2週間程度続いたり、友人が亡くなる等
様々のことが重なって、86歳の祖母は今年に入って少し
衰えが見られるようになってきている。
食欲はあり、頭も明晰であるのに体がついてこないことが
歯がゆくて悔しいらしい。
手伝おうとしてもそれを拒むのだから仕方ないのだが、
呼び鈴に駆り立てられるようにして、いそいそと
店のシャッターを開けようとする祖母の背中は確かに
去年より小さくなった。




その様子を見て、予期せぬ、そして対処を咳かせる来客に
理由もなく苛立ちを覚えながら、僕は店の控えの間に座り
様子をうかがった。
果たして来訪者は郵便配達員であった。
齢55から60であろうか。
集配業務の多忙か、日曜も働かされることへの苛立ちか、
応対に時間がかかったことに対して甚だ不満であることが
表情から見て取れる。




配達員は表に出た祖母につっけんどんに
「これ速達やから印鑑要んねん、ちょっと押してきて」
などと、停めたバイクのところまで祖母を呼びつけて
郵便集配票の紙切れを押し付けた。
老人だからと軽く見たのだろうか。
店の中にも入らずに、停めたバイクのところから動かずに
配達先の住人に集配票を押し付けた。




無礼千万である。
僕は無礼な者には容赦ない。
場を乱すものにも容赦ないが、無礼はその上を行く。




祖母は急がぬ足を引きずってこちらに来ようとした。
つまずいて転ばれたのではたまらない。
配達員のあまりの横柄な態度に腹が立ったことから、
とうとう僕は「なんや」とやや声を低く殺して店へ出た。
祖母が「印鑑がいるんやて」というので、
「Bの家の印鑑かね」と答えると、
「どっちでもええのやろ」と祖母が答えた。
店の引き出しからB家のシャチハタを取り出して
店先の祖母に渡すと、祖母はそれを手に外に出て、
配達員の手元で集配票に捺印した。




「違う違う、Aのや、Aのとこのがいるんや。
 しゃあないな、もう」
A、と、僕の苗字を呼び捨てにしながら、
明らかに苛立った様子の集配員がやっと店に入ってきた。
僕の「なんや」という声は聞こえていなかったようだ。
僕はもう一度同じように「なんや」と声をかけた。
思いがけず黒尽くめの180CMの無精髭の大男に出くわして
配達員はさすがに少しまずいと思ったのか、こちらから
眼をそむける。
この時点で、自分の祖母を蔑ろに扱うこの配達員への怒りが
かなり高まっていたのだが、それを押し殺すようにして
「ここにサインしたらええんか」と僕は答えた。
「ええ、そうです」
と、ここに到って初めて、配達員は初めて語尾にです、ますを
つけて話した。
「じゃ、これね、どうも」
郵便物を僕に押し付けるように手渡すと、配達員は店先の祖母を
押しのけるようにしてバイクにまたがって走り去った。




手元の郵便を見ると、それは父親のクレジットカードの
更新に伴う新しいカードの送付封筒、
つまりA家宛の郵便物であって、
通常本人確認の必要なものであることがわかった。
ここにきて、僕はとうとう修羅と化した。
一連の粗暴な言動と横柄な態度への怒り、
何よりも肉親を蔑ろに扱われたことへの激憤である。
身内の人間に危害を加えられたものの怒りというものが
ほんの少し判るような気がした。




**************************




中央郵便局の集配部署に連絡を取るが、休日のため
応答が無い。
営業課に電話すると、ようやく応対があった。
僕は事の一連の経緯について冷静(のつもりで)順序だてて
説明し、直接集配員に詫びを入れに来るように要求した。
とはいえ、こちらは怒っている。
どうしても大阪弁になる。前日の酒で喉も焼けている。
当然巻き舌にもなる。語尾も堅気のそれではない。
僕の怒りの現場を知っているひとならば、
それが如何ばかりの口調で成されたか想像ができるだろう。




程なくして郵便局の集配所管から電話があり、
それと同時に件の集配員が謝罪にきた。
「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
えらく神妙な口調ではありながら、嫌々ながらに謝罪にきたのが
表情に出ている。
この若造が、とでも思っていたのだろう。





こちらは、祖母を年寄りだからと軽く扱ったのではないのか、
身内が同じことをされたらどう思うのか、
その誠意の無い謝り方はどうなのか、
謝れば済む問題と済まない問題があるのではないのか、
頭さえ下げていれば許してもらえると思っているのか否か、
同じことを他でもやっているのではないか、
そうしたことが信頼の失墜につながるのではないか、
何様のつもりなのか、といったことを話した。
とはいえ、こちらは怒っている。
どうしても大阪弁になる。前日の酒で喉も焼けている。
当然巻き舌にもなる。語尾も堅気のそれではない。
僕の怒りの現場を知っているひとならば、
それが如何ばかりの口調で成されたか想像ができるだろう。
店の向こう側に2,3人、近所の住人が見えていた。




最後に「もうええ、帰れ」と言うと、
配達員は「申し訳ありませんでした」と繰り返して去った。




***************************




それにしても、怒りが収まらない。
それは、肉親を蔑ろにされたような怒りというものが
非常に根深く、重く暗く、それでいて灼熱であるからだろう。
しかし、それ以外にも要因はあって、
こうやって文章にしてみると、何時の間にか、
僕や祖母よりも、僕に恫喝されている郵便配達員のほうが
気の毒に思えている読者もいるのかもしれないな、と思い、
そう読める文章になってしまっているのかもしれないな、と思い、
経験を言葉にすることによって相対化される記述の本質、
あるいは理性というものの存在が強いる苦しみに対する苛立ちを
感じているせいかもしれない、と思う。




かの配達員も今日一日を非常に気分を害して過ごしたことだろう。





厄介なことに怒りは錯綜して伝播する。
怒りは連鎖する。
誰かを怒れば、同じ目にも合う。
蒔かれた種は地中に埋もれて、
それを発芽させることのみに土は働く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿