白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

Being tossed about like a leaf on the waves

2007-08-20 | 日常、思うこと
8月17日午前11時46分発のぞみ10号10-Dに
ゆったりと腰をおろして、プレミアムモルツを開けて
サンドウィッチを頬張りながら、
浜名湖の碧緑の水面、大井川の乾き切った白州を眺め、
しばらく眼を瞑って祈りのように手を組み合わせてから
富士川鉄橋で首を左に曲げた。
昨年、頂上だけを雲間から覗かせていた霊峰は、
荘厳で巨大な山体を、夏の靄と湧き上がる積乱雲に
抱き込まれていた。
望んでいた光景を得ることが出来ずに、灰褐色の湿気た
空気を吸い込んだような心地になった。




13時30分東京駅に到着し、有楽町へ引き返して
メトロに乗車し、麹町で降り、ホテルに向かった。
旧日本テレビの社屋と在イスラエル大使館に隣接した
ホテルであったためだろうか。
スーツケースを抱えて6号階段を上ると、日本テレビの
関係者用入り口が近かったこともあってか、
日本テレビの警備員にしつこく絡まれる羽目になった。
甚だ不快なやり取りの後、今度はホテルの眼の前で
警視庁、あるいは公安の人間に呼び止められた。
僕の歩く先々で東京が過剰に反応する。




14時前にホテルに到着し、部屋にこもった。
僕が会いに行こうとしたひとびとから、
8月18日の日没までそっとしておいてほしい、と
いう言葉が、新幹線の車中、僕に届いた。
東京在住の知人と会おうと思い立ち、携帯電話を
開けてみたのだが、表示されたカレンダー文字が示す
金曜の日付を見て、知人の生活を乱したくないという
思いと、拒絶に対する慄きから誰にも連絡を取ることが
出来なくなってしまい、結局昼間から酒を飲んで
午睡を貪り、夕刻、コンビニエンスストアでおにぎりや
カップラーメン等、粗末な食材を買い求めて再び部屋に
転がり込んで、猿のようにそれらを貪った。
日本テレビは24時間テレビの準備のためか、
日付を跨いでも煌々と電灯が照っている。
ケルアックを読んでいるうち、カーテンの隙間から
明けきらぬ夜の軽い闇が、仄かな乳白を空に混ぜ込み
始めているのに気付いた。




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8月18日、身支度を整えてメトロに乗り込み、
市ヶ谷から京王線直通列車で明大前を経て、吉祥寺に降りた。
目指す場所は東京都武蔵野市吉祥寺南町2-14-5の
埴谷雄高の家のあった場所である。
案内所の女性に聞くと、彼女はまずグーグルで埴谷のことを
検索し始めた。
そして表示される「死霊」「虚体」といった禍々しい単語に
慄いたのか、僕をまるで薄気味の悪い異形のもののように
観たのだろうか、僕は彼女に祓うような案内を受けた。





そこはアパートに建て替えられ、もはや名残と呼べるものは
何一つ残っていなかった。
ここから歩き始めて、井の頭公園をぐるりと巡ることにした。
「死霊」冒頭、三輪と矢場の対話が成される深更の闇の森は
井の頭公園の木々から着想を得たものだという。
歩を進めているうちに、僕は奇妙な感慨に襲われた。
戦前の洋館建築、マンション、ワンルームアパート、カフェ、
駐車場、デパート、雑居ビル、連れ込み宿が混在している
吉祥寺南町の一帯を、炎のような蝉の声と深緑の井の頭池が
雑然と生活する人間を煮込んでいるように思えてきたのだ。





ここは独歩が清麗な叙情に歌った武蔵野ではない。
東京という容器から溢れ出してしまった人間が、
自分の趣味嗜好と生活を携帯したまま集まってきた、
溜まりであり、淀みである。
広大な武蔵野は人間の生活の「重さ」によって沈んで
いまやすり鉢状の窪地となり、
窪地の底、井の頭池の水の中で、人間が具材として
ぐつぐつと煮込まれているような気がしてくるのだ。





それはいわば人間の雑炊の鍋の底である。
雑炊鍋の底から見上げると、
木々の葉のさざめきや降り注ぐ黄金の流砂のような光は
地上に到達する前に、手の届かぬ高さで消えてしまう。
国立音大の学生と思しき、タイスの瞑想曲をソロで
演奏するものがあって、しばらくこれを聴いたのだが、
音の底に泥や焦げ付きを聴き取ってしまい、
手入れの行き届かぬ音の汚さに背を向け、その場を離れた。
古書店でレイン、メルロ=ポンティを購い、京王線に乗り
府中へ向かった。






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僕が会いに行ったひとびとの音は、精一杯の音だった。
明暗を分けたものは、表現能力の懐の深さの度合いだろう。
精一杯であることを見抜かれたのだと思う。
それは技術の深さ、解釈の深さ、設計の深さ、戦略の深さ、
クリエイティビティの深さなど、諸々だろう。
すぐれた音楽には、分け入っても分け入っても真髄が
見えてこないという特性が備わる。
それはまるで未踏峰のように僕たちの前に現れ、
全身を揺るがし、通過し、消えていくものなのだ。
見抜かれるということは、底を見通せるということである。




決して悪い音ではなかった。
演奏が素晴らしかったのは、僕を含め万人が認めるはずだ。
技術、解釈、設計、創造の能力を底上げすることで
「底を見えなくすること」が出来れば、もっと素晴らしい
音楽が生まれることだろう。





府中でMr.Biff、H氏と合流し、Mr.BiffのFUGAで
調布から高速に乗り、道中、20歳になったばかりの
リードトランペッターと音楽談義を交わして東京へ戻った。
青山のMr.Biff邸に車を置き、そのままメトロで渋谷へ
向かい、深夜1時過ぎまで飲み、体調を慮って失礼ながら
中座し、タクシーを拾ってホテルに戻った。
表参道から深更の外苑を抜ける最中、車窓から眺め見る
夜の森は深く呼吸していた。
孤独であること、干渉されぬことが好きな種族にとっては
このような夜を駆け抜けることが何故か懐かしく親しい。




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8月19日、ホテルをチェックアウトし、
24時間テレビの準備に慌しい日本テレビの横を過ぎて
再び麹町からメトロに乗り、市ヶ谷で京王線直通列車に
乗り込み、終日を武蔵野で過ごした。
車中、吉増剛造の詩集を、彼が詩としてとらえた風土を
浴びるような意識を以って読み進めた。
調布、飛田給を過ぎるときに

「死に激突するよりもはやく人間は彼岸へ渡り
 死ぬよりも美しい、鳥のような身ぶりをして」
                   (吉増剛造)

などと、阿呆のように口の中で言葉を暗誦しながら。




夜、悔しさに泣き崩れるひとを抱きしめたり
疲れた体のひとを揉み解しつつ深夜3時まで府中で飲み、
欅並木の下でベースを弾き、
時折片言の日本語で話し掛けてくる売春婦を斥けながら
8月20日の夜明けを待ち、
午前4時、2人のギタリストと同乗して国立府中から
中央道に入り、詩人の速度によって武蔵野を走り抜けた。
中途、山梨に入る手前で仮眠を取った後、
甲府盆地、八ヶ岳、南アルプスを眺め見た。
大地を神があたかも天空につかみ上げたかのような
雄大な山並みが、鮮烈な夏の光を浴びて静止している姿は
この上なく美しい。




駒ケ岳、恵那山をくぐり、岐阜を滑り降りるようにして
名神に入り、一宮で一旦高速を降りてもらい、
尾張一宮駅で車を降りた。
この先も旅を続ける同郷出身のギタリストに謝意を述べ、
1人のギタリストとともに、名鉄で名古屋に向かい、
握手して別れた。





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肉体は帰還したけれど
こころがどうもまだ東京から帰ってきていないような
そんな気もしている。
東京では、さまざまのひとびとのさまざまの感情や
思いだけでなく、
さまざまのひとびとの背負ってきたものや時間、記憶、
身に付けられた技術といったものから、
失われた作家の身体と残された虚の文学、疾駆する詩篇の
ありったけを自分の中に注いで攪拌したのだが、
それを紙片にとどめることが出来なかったせいで
思念をどうやら東京に置き忘れてきたようだ。





疲れのせいか、考えることがなかなかできない。

「渋谷を
 黄金の笹舟が静かに漂流している」
                (吉増剛造)




ありがとう。




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