7月15日午後、名古屋駅名鉄裏成城石井にてハンガリーの貴腐ワイン
「トカイ エッセンシア」7400円を購い、新幹線に乗り込み、
シメイを開栓し、ショートホープを吸いながら、35分で京都駅へ。
祇園宵山、人溢れ、蒸し暑い。
名神渋滞のため50分遅れて到着したトランペッタ―と合流、蒸篭料理と
エビスビールで再会を祝福、JR藤森に移動、京都教育大キャンパスへ。
学内研究棟の誰も寄り付かぬ展望塔に登り、七条から伏見、淀の夜景を
眺め、「ここで首吊ったら気分いいだろうな」と話す。
そのままトランペッタ―の家に向かい、ワインを空け、
ケニー・ホィーラーを空中へ広げてから、痛飲。
彼の撮影したさまざまの写真、思い出、傷、リース、音楽、
女性、思想、性、これらとめどなく午前3時まで話してから、眠る。
***********************************************
7月16日午前9時起床、トランペッターと交互にシャワーを浴びて
朝食をとり、京都教育大音楽棟へ移動。
数台のピアノを試し弾きしてから、もっともこころと指に馴染んだ
中教室のヤマハC3を用いることとして、lanonymatの練習。
完全即興にて数曲を演奏したところで疲れ果てる。
わずかな舌のもつれを感じ、練習を中断、京阪墨染へ向かい昼食。
体調の変調を感じたため、一旦トランペッターの家で休息。
力を抜いて、気負わず、無理に世界を作ろうとせず、楽にして、
委ねるように、との彼の言葉を聞いて、
対象を特定しない感謝と、音を遊ぶ無邪気を、無為自然の指さばきに
ほのかに照射することを思い出す。
突然の雷鳴と激しい風雨が巻き起こり、窓に映じる竹林は暴れた。
しかしそれも過ぎ去り、平安なこころを以って、再び教育大へ戻り、
練習。
「ときどき吹きたくも歌いたくもなくなるんですよ。
ピアノをじっと聴いていたくなるんです。」
午後5時30分、練習を終え、彼と別れ、
JR奈良線、東海道線、宝塚線を乗り継ぎ、伊丹へ。
尼崎の事故の現場にさしかかったので、じっと手を組んで、祈った。
午後7時30分、エリントンを聴く。
立ち見ながら、飲む。
そばにいたトランペッターの表情を察し、彼女に話し掛けながら
音を聴く。
独特のハーモニーを濁らせずに響かせるにはたしかに
音構造の明快さの追求も確かに必要なのだろうけれど、
それによって、滑らかな紫の絹地のような妖艶な質感を感じなかった。
あれも、ひとつの解釈だろうか。
午後11時、西梅田のホテルに到着するも周囲の飲食店は全て閉店、
桜橋のコンビニにて食料を買い求めて孤独に食事する。
心地よく疲れ、就寝。
***********************************************
7月17日午前6時30分起床、ごろごろ、身支度の後12時まで
寝転んで読書、チェックアウトの後、モーニングコール。
待ち合わせ時刻までをタワーレコードにて過ごすこととして、
音盤渉猟。
廃盤になっていたはずのケニー・ホイーラー「ヌー・ハイ」を発見、
即購入。
そして、お土産に、ラドカ・トネフの「フェアリーテイルズ」を
購入し、北浜へ。
京都へ行く予定だったが、疲れ気味の相手の体調を思い、
大阪に留まることにする。
地下鉄ホームでぼんやりしていると、肩をとんとんと叩かれて、
振り返る。
いつか神戸で会ったときも、電車のホームだったような。
お互いに似たようなメガネを掛けていた。
この7年の記憶に無く、新鮮な印象。
彼女は北浜近辺の店をいろいろと調べてくれていた。
大阪証券取引所前「ロビンソン」にてイタリアンの昼食をとり、
そのまま「北浜レトロ」にてチーズケーキと紅茶。
大阪の近代建築群が北浜にはよく残っている。
近況、インテリア、ヨガ、音楽、仕事、10年後、ロスコ、クレー、
その他様々を話した後、お土産を渡す。
その後天王寺に移動、「プラド美術館展」を観覧。
写真を取ろうとしたけれど、雨のため断念。
会話、尽きず。というよりは、話し続ける彼女を聴く、というか。
一緒にいて、話すより、聴くほうが楽しい相手というのは、
そうはいないんだろうな。
難波の喫茶店で時を過ごしたあと、見送られて近鉄特急に乗り帰着。
眠る前に、お土産に渡した音と同じ音を聴く。
それはとても大切な音。
そういえばジョアン・ジルベルトも、一緒に行ったんだった。
そういえば、来年5月、キースがトリオで来日するらしい。
**********************************************
眠ろうとして、後輩からメールが届いた。
苦しんでいた。
悩むのも苦しむのも、生きているからこそ味わえる幸せだとしたら?
おまえが死んだら、俺は泣くだろうけど、その涙をお前は見ることは
出来ない。
俺の涙が見たいんなら、生きてろ。
この言葉を携帯に打ち込んでいるとき、耳の中に、ラドカ・トネフは
滅びるように、しかししっかりと生きて、響いていた。
**********************************************
ほんとうにたいせつなこころを、言葉にはし尽くせない。
だから、ぼくは例えば、それを音に託してみたりする。
「トカイ エッセンシア」7400円を購い、新幹線に乗り込み、
シメイを開栓し、ショートホープを吸いながら、35分で京都駅へ。
祇園宵山、人溢れ、蒸し暑い。
名神渋滞のため50分遅れて到着したトランペッタ―と合流、蒸篭料理と
エビスビールで再会を祝福、JR藤森に移動、京都教育大キャンパスへ。
学内研究棟の誰も寄り付かぬ展望塔に登り、七条から伏見、淀の夜景を
眺め、「ここで首吊ったら気分いいだろうな」と話す。
そのままトランペッタ―の家に向かい、ワインを空け、
ケニー・ホィーラーを空中へ広げてから、痛飲。
彼の撮影したさまざまの写真、思い出、傷、リース、音楽、
女性、思想、性、これらとめどなく午前3時まで話してから、眠る。
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7月16日午前9時起床、トランペッターと交互にシャワーを浴びて
朝食をとり、京都教育大音楽棟へ移動。
数台のピアノを試し弾きしてから、もっともこころと指に馴染んだ
中教室のヤマハC3を用いることとして、lanonymatの練習。
完全即興にて数曲を演奏したところで疲れ果てる。
わずかな舌のもつれを感じ、練習を中断、京阪墨染へ向かい昼食。
体調の変調を感じたため、一旦トランペッターの家で休息。
力を抜いて、気負わず、無理に世界を作ろうとせず、楽にして、
委ねるように、との彼の言葉を聞いて、
対象を特定しない感謝と、音を遊ぶ無邪気を、無為自然の指さばきに
ほのかに照射することを思い出す。
突然の雷鳴と激しい風雨が巻き起こり、窓に映じる竹林は暴れた。
しかしそれも過ぎ去り、平安なこころを以って、再び教育大へ戻り、
練習。
「ときどき吹きたくも歌いたくもなくなるんですよ。
ピアノをじっと聴いていたくなるんです。」
午後5時30分、練習を終え、彼と別れ、
JR奈良線、東海道線、宝塚線を乗り継ぎ、伊丹へ。
尼崎の事故の現場にさしかかったので、じっと手を組んで、祈った。
午後7時30分、エリントンを聴く。
立ち見ながら、飲む。
そばにいたトランペッターの表情を察し、彼女に話し掛けながら
音を聴く。
独特のハーモニーを濁らせずに響かせるにはたしかに
音構造の明快さの追求も確かに必要なのだろうけれど、
それによって、滑らかな紫の絹地のような妖艶な質感を感じなかった。
あれも、ひとつの解釈だろうか。
午後11時、西梅田のホテルに到着するも周囲の飲食店は全て閉店、
桜橋のコンビニにて食料を買い求めて孤独に食事する。
心地よく疲れ、就寝。
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7月17日午前6時30分起床、ごろごろ、身支度の後12時まで
寝転んで読書、チェックアウトの後、モーニングコール。
待ち合わせ時刻までをタワーレコードにて過ごすこととして、
音盤渉猟。
廃盤になっていたはずのケニー・ホイーラー「ヌー・ハイ」を発見、
即購入。
そして、お土産に、ラドカ・トネフの「フェアリーテイルズ」を
購入し、北浜へ。
京都へ行く予定だったが、疲れ気味の相手の体調を思い、
大阪に留まることにする。
地下鉄ホームでぼんやりしていると、肩をとんとんと叩かれて、
振り返る。
いつか神戸で会ったときも、電車のホームだったような。
お互いに似たようなメガネを掛けていた。
この7年の記憶に無く、新鮮な印象。
彼女は北浜近辺の店をいろいろと調べてくれていた。
大阪証券取引所前「ロビンソン」にてイタリアンの昼食をとり、
そのまま「北浜レトロ」にてチーズケーキと紅茶。
大阪の近代建築群が北浜にはよく残っている。
近況、インテリア、ヨガ、音楽、仕事、10年後、ロスコ、クレー、
その他様々を話した後、お土産を渡す。
その後天王寺に移動、「プラド美術館展」を観覧。
写真を取ろうとしたけれど、雨のため断念。
会話、尽きず。というよりは、話し続ける彼女を聴く、というか。
一緒にいて、話すより、聴くほうが楽しい相手というのは、
そうはいないんだろうな。
難波の喫茶店で時を過ごしたあと、見送られて近鉄特急に乗り帰着。
眠る前に、お土産に渡した音と同じ音を聴く。
それはとても大切な音。
そういえばジョアン・ジルベルトも、一緒に行ったんだった。
そういえば、来年5月、キースがトリオで来日するらしい。
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眠ろうとして、後輩からメールが届いた。
苦しんでいた。
悩むのも苦しむのも、生きているからこそ味わえる幸せだとしたら?
おまえが死んだら、俺は泣くだろうけど、その涙をお前は見ることは
出来ない。
俺の涙が見たいんなら、生きてろ。
この言葉を携帯に打ち込んでいるとき、耳の中に、ラドカ・トネフは
滅びるように、しかししっかりと生きて、響いていた。
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ほんとうにたいせつなこころを、言葉にはし尽くせない。
だから、ぼくは例えば、それを音に託してみたりする。
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