父(87歳)、多発性骨髄腫で九月四日から入院しました。
相変わらず多治見県病院の救急外来の対応はダメだね。
土曜日の夜中に腰の激痛で動けなくなって病院に電話したら、
「今日は研修医しかいないので応急処置しかできないけどそれでもいいなら来てください」と言われた。
あのねぇ、また同じこというけど、何のための救急外来ですか?
研修医が「腰の激痛は僕の専門じゃないからうまく断って」って言ったの?
それとも電話を受けた人の自己判断?
多治見の病院に限らず、どこの病院も患者に対して冷たい対応をする医者や看護師、医療スタッフがいるでしょ。本人はそんなつもりはないんだろうけどね。だからたちが悪いんです。自分のしたことが相手にどういう印象を与えるのかって考えたこともないんでしょ。自覚がない奴は治しようがない。
病院は「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」といってはいけない接客業だ、と私は思ってます。
昔から「医は仁術」っていうじゃない。だから、患者に対する言葉の使い方や接し方を大事にしてほしいな。
父は現在抗がん剤の治療を始めてます。余命は1~2年。でも、2年は無理だと思う。担当の先生から癌だといわれても全然ショックじゃなかった。父にも告知しました。
だって今まで医者の言うことも聞かず体に悪いことばかりしてきたのに(最高血圧200なのに塩っ辛い物ばかり食べてた)、大きな病気もせず87年も生きてきたんだから。もうそろそろあっちの世界に行ってもいいんじゃないの。今まで、死んでもおかしくないような目に何度もあってるのに死ななかったってのは死神に嫌われてるんだろうなって思ってました。
例えばこんな話があります。
父は若いころから大酒のみでした。
ある宴会の晩、盲腸になっちゃってトラックの荷台に乗せられて病院に運ばれたんだけど、酒のせいで麻酔がきかなくて、麻酔なしで盲腸の手術をしました。そのあと腹膜炎を起こして大変だったらしい。父の盲腸の傷跡、直径5センチあります。
戦時中、破傷風を自力で治した。薬も飲まず、ただひたすら寝てたとか。
獣医の見習い期間中、二日酔いで仕事に行き、足元ふらついた拍子に手に持ってたメスをのどに突き刺した。痛みは感じなかった代わりに突然息ができなくなって口から血が出てきたので結核だと思ったらしい。そのまま意識不明。メスの位置があと数ミリいざってたら動脈損傷で命はなかったとか。
戦時中は韓国のバッキョウにいました。終戦になって日本に引き揚げてくるとき船の中でひどい下痢になり毎回便所に行くのが面倒だった。船の底のほうに人間一人しがみついているのにちょうどよい場所があった。そこは海面すれすれで波が打ち寄せてくるところ。ここにしがみついていれば波が下痢便を洗い流してくれるだろうということで、日本の港に着くまでずっとその場所にいたとか。
玄界灘ですよ。人食い鮫のいる海ですよ。
そんなとこにいたら鮫に食われてもおかしくないのに襲われなかったってことはよっぽど悪運が強いというか死神に見放されてるというか、ある意味、有難いことです。
死神さんにお願いします。多発性骨髄腫の末期はかなり痛いらしいので、そうなる前にお迎えに来てください。
家は母が認知症で施設に入ってるし、旦那は日本語さっぱりわからないアメリカ人でアメリカにいるし、家には長男がいますが、息子にばかり頼るわけにもいかないし、頼りになるのは自分しかいないね。
でも、正直、困ってます。来月 退院してきますが、父の面倒 どうするんだろ。
私、仕事をやめるわけにもいかないし、父は生命保険にもがん保険にも入ってないし、年金は最低金額しかもらえないしね。
そんな話をしても誰も信じないよね。だって、父は獣医だったからお金はあるでしょって誰でも思うよね。なんで年金がそんなにすくないの? なんで生命保険に入ってないの?っていまさら言っても仕方ないけど。全部、将来設計をミスった結果です。
病院のソーシャルワーカーは頼りにならないから、家に住み着いてる貧乏神様と死神様も交えて、今後どうするか話し合います。
どれをとっても悪い結果しか出てこないんだけど、その中でも悪いことが最小限ですむ道を見つけます。
最悪の中における最高の方法。
戦場の兵士はいつもこういう決断を迫られてたのかな。ふと思った。
相変わらず多治見県病院の救急外来の対応はダメだね。
土曜日の夜中に腰の激痛で動けなくなって病院に電話したら、
「今日は研修医しかいないので応急処置しかできないけどそれでもいいなら来てください」と言われた。
あのねぇ、また同じこというけど、何のための救急外来ですか?
研修医が「腰の激痛は僕の専門じゃないからうまく断って」って言ったの?
それとも電話を受けた人の自己判断?
多治見の病院に限らず、どこの病院も患者に対して冷たい対応をする医者や看護師、医療スタッフがいるでしょ。本人はそんなつもりはないんだろうけどね。だからたちが悪いんです。自分のしたことが相手にどういう印象を与えるのかって考えたこともないんでしょ。自覚がない奴は治しようがない。
病院は「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」といってはいけない接客業だ、と私は思ってます。
昔から「医は仁術」っていうじゃない。だから、患者に対する言葉の使い方や接し方を大事にしてほしいな。
父は現在抗がん剤の治療を始めてます。余命は1~2年。でも、2年は無理だと思う。担当の先生から癌だといわれても全然ショックじゃなかった。父にも告知しました。
だって今まで医者の言うことも聞かず体に悪いことばかりしてきたのに(最高血圧200なのに塩っ辛い物ばかり食べてた)、大きな病気もせず87年も生きてきたんだから。もうそろそろあっちの世界に行ってもいいんじゃないの。今まで、死んでもおかしくないような目に何度もあってるのに死ななかったってのは死神に嫌われてるんだろうなって思ってました。
例えばこんな話があります。
父は若いころから大酒のみでした。
ある宴会の晩、盲腸になっちゃってトラックの荷台に乗せられて病院に運ばれたんだけど、酒のせいで麻酔がきかなくて、麻酔なしで盲腸の手術をしました。そのあと腹膜炎を起こして大変だったらしい。父の盲腸の傷跡、直径5センチあります。
戦時中、破傷風を自力で治した。薬も飲まず、ただひたすら寝てたとか。
獣医の見習い期間中、二日酔いで仕事に行き、足元ふらついた拍子に手に持ってたメスをのどに突き刺した。痛みは感じなかった代わりに突然息ができなくなって口から血が出てきたので結核だと思ったらしい。そのまま意識不明。メスの位置があと数ミリいざってたら動脈損傷で命はなかったとか。
戦時中は韓国のバッキョウにいました。終戦になって日本に引き揚げてくるとき船の中でひどい下痢になり毎回便所に行くのが面倒だった。船の底のほうに人間一人しがみついているのにちょうどよい場所があった。そこは海面すれすれで波が打ち寄せてくるところ。ここにしがみついていれば波が下痢便を洗い流してくれるだろうということで、日本の港に着くまでずっとその場所にいたとか。
玄界灘ですよ。人食い鮫のいる海ですよ。
そんなとこにいたら鮫に食われてもおかしくないのに襲われなかったってことはよっぽど悪運が強いというか死神に見放されてるというか、ある意味、有難いことです。
死神さんにお願いします。多発性骨髄腫の末期はかなり痛いらしいので、そうなる前にお迎えに来てください。
家は母が認知症で施設に入ってるし、旦那は日本語さっぱりわからないアメリカ人でアメリカにいるし、家には長男がいますが、息子にばかり頼るわけにもいかないし、頼りになるのは自分しかいないね。
でも、正直、困ってます。来月 退院してきますが、父の面倒 どうするんだろ。
私、仕事をやめるわけにもいかないし、父は生命保険にもがん保険にも入ってないし、年金は最低金額しかもらえないしね。
そんな話をしても誰も信じないよね。だって、父は獣医だったからお金はあるでしょって誰でも思うよね。なんで年金がそんなにすくないの? なんで生命保険に入ってないの?っていまさら言っても仕方ないけど。全部、将来設計をミスった結果です。
病院のソーシャルワーカーは頼りにならないから、家に住み着いてる貧乏神様と死神様も交えて、今後どうするか話し合います。
どれをとっても悪い結果しか出てこないんだけど、その中でも悪いことが最小限ですむ道を見つけます。
最悪の中における最高の方法。
戦場の兵士はいつもこういう決断を迫られてたのかな。ふと思った。
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