[個人史]: 「子ども」「しつけ」
病院の待合室や 会堂、役所のロビーなどなど およそ子ども達が退屈するほど待たされる事が多い場所で 子ども達と親御さんの様子を見ていると、自分の子どもが騒ぐ事に開き直っている感さえ受ける。
誰もが静かにしている場所で 自分の子(幼児)が大きな声を出しても 「こどもだから仕方ない」「だからどうしろと云うの?」 と 自家の子育てに異論を挟ませる様子もない。 子どもが騒ぐと子ども以上に大きな声で親が子に話しかけている。
どこでもかしこでも、子どもが「欲しい」と望めば 飲食物を与え、 自由闊達に育てたいと 皆が静かにして欲しい場所でも 子どもを走り回せて平気でいられる。 私には、子どもたちに何を教え(シツケ) たら良いのか 図りかねているようにしか見えない。 子育て(シツケ)の継承が出来ていないのだろうと思うのである。
最近改めて気づいた事だが、
海外の子 が、第一番目に 公共・公衆の場で 他の人に不快な思いをさせる子どもの行動を絶対に許さない親の姿勢 を教え込まれるのに対し、
日本の子 は例えば バスなどで 後ろに大勢の人が待っているのに時間を掛けてでも自分の子自身で乗り降りさせる練習をさせたりするように 公衆の場所で他の人に迷惑を掛けながら 子どもの訓練をしようと考える違いであろうと思う。
私が最も気になる事は、 子どもに取り入ろうとして一緒になって声を出し遊び相手になる周りの大人達(日本人)が多い事だ。 私もごくごく若い頃はそうだった。
<子守で得た結論>
だが、預けても泣かないからと 親たちからたくさんの子どもを子守させられた私がすぐに見つけた結論は 『教えるべき事を子どもに教える大人が信頼を得る』 という事実だ。
いまでは、
たとえ遠くからでも母親の腕の中でぐずって大きな声を出す子どもと目が合ったとき、目と表情・口元だけで「ウルサイよ!」 と伝えるだけで、 (その場所で初めて会った子どもでも) 照れ笑いしながらおとなしくなり、 初対面のヨチヨチ歩きやハイハイ移動するこどもたちが私を見つけると 普段から遊んでくれる大人達が満面の笑みで差し出す手には見向きもせずに、 子どもに取り入る気も、愛想を振りまく事もしない私のもとへと まっすぐにやってくるのである。
だが、日本での子どものシツケが良しと云えないのは、実はいまの若い親世代だけの問題ではない。
(続)
関連記事
01/24
『じゃじゃ馬ならし』 という言葉が有った
01/24
子どもの行動に見る国際事情..? - 宣言
10/25
子育て問題、日本の『こどもたち』を取り巻く世相変化