真の謝罪が見込めない時の心の持ちようですが、
以前、私が東京犯罪被害者ボランティアセンターにボランティア登録所属している時のことです。
その時に被害者遺族の声を聞く本(もう一度会いたい)や講座がありました。
時期を違くして二つの同じ被害に遭った遺族の声です。
一つは、お子さんを交通事故で亡くされたお父さんの声です。子どもの命を奪った憎い加害者は逮捕され、収監されました。とても許せるはずもなく、ずっと悲しみに暮れていたそうです。でも加害者の彼は毎月謝罪の手紙を送り続け、刑期を終え出所してからも命日にお線香をあげに来たそうです。毎年毎年それは続けられ、何年目だったか、お父さんはその彼に「もう来なくていい。自分の人生を考え、生きなさい。」と言ったそうです。
真の謝罪は相手の恨みを氷解させます。絶対許せるはずもないことでも相手の未来を大切に考えられるようになるのだと感じました。
もう一つは大変怒っているお父さんでした。お子さんを交通事故で同じように奪われ、その加害者は一度も謝ることもなく、謝りの手紙もない、出所後も何もすることのない加害者でした。
そのお父さんは、昨日事故が起こったかのように怒りに震えていました。
もうずっと何年も前のことでも、ずっと怒りに震えていました。
これは本当につらいです。
真の謝罪は被害者も加害者も双方が救われる。それに比べて、謝罪をされないことって被害者側がずっと苦しむのだ、と。
リエゾンは真の謝罪ができるように学びを深めていきます。ただし、これはその①の冒頭にも書きましたが、非常に難しいのです。
なぜなら、禁止令という存在があるからです。
禁止令は子どもの時に生き延びるために決断する決めごとですが、大人の自分には非常に息苦しい生き方となっています。自分が本当に感じている思いが正しく分からない大人になっているのです。例えて言うなら、重たい鎧(禁止令)を纏っているような状態で日々生活をしているようなものです。
真の謝罪が出来るには、まず、禁止令の解決をする必要があります。重たい鎧を外すことが必要です。
本来感じられる感覚を取り戻した上で、自分の行為を振り返るのです。その時、周りの景色が変わって見えるでしょう。
しかし、ここにも一つ問題が出てきます。
被害者(パートナー)からの仕返しであったり、過度な要求があると相互DVとなり、加害者からの謝罪の形を取ることが難しくなっていくのです。
ここで大切なことは、双方(加害者、被害者)が許される仕返しと、許されない仕返しの違いをわかっていることになります。
許される仕返しと許されない仕返しの説明は次回に続きます。